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【モデル・ブレンダさん】モデルの仕事は、常にあと1年かなと思っていた

  • 2024.6.8
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数々のファッション誌でカバーモデルを務め、多くの世代から憧れの存在であり続けるブレンダさん。コロナ後の現在は自宅のあるハワイと日本と行き来する生活が復活。プライベートではふたりの男の子のママの子育て中ですが、ヘルシーな美しさは今も健在です。そんなブレンダさんにCLASSY.での思い出、そしてハワイで謳歌しているナチュラルライフについて語っていただきました。

撮影現場の思い出を聞かせてください。モデルのスタートはJJからだったんですよね。
よく覚えています。初めてのモデルの仕事だったから、やっぱり思いが強いのかもしれません。赤文字と呼ばれる若い子向けの雑誌はとにかくカット数が多くて、朝から晩までずーっと撮影。モデルも4人でひとり50カットとか。着替えるのがすごく早くなりました(笑)。一応ヘアメークの人はいたんですけど、モデル4人に1人みたいな。だからメークも自分でしたりして。最初は私だけ全然できなくて、眉毛なんてすごく太く描いてしまって。これじゃダメだとヘアメークを最初からやり直されてました(笑)。とにかくハードでしたね、でもそれもいい経験。いい勉強になりました。

JJを卒業してからはCLASSY.に。印象的な撮影はありますか?
大人の雑誌を始めたら、全然違う世界でした。カット数より、とにかく絵作りにこだわっていて、映画みたいな感じ。ストーリー性があるっていうか。一番の思い出は上野動物園にある古い遊園地で、天使のコスチュームを着たちっちゃい子と一緒にロケしたこと。ニューイヤーの企画で、私にはその天使が見えていないけど、いつもそばにハッピーな天使がいるっていう設定で。そういう遊び心のある撮影が多くて、毎月すごく楽しみでした。
あとは海外ロケ。ハワイはもちろん、LAやNY、そしてパリにも行きました。普段の撮影は一日で忙しく終わるけど、海外ロケでは1週間ほど滞在するので、仕事しながらちょっと観光したり、美味しいものを食べたり。スタッフと仲良しになるのも嬉しくて…。夜遅くまでおしゃべりしたりして、そういう楽しい思い出がいっぱいあります。

ハワイから離れてホームシックになることはありましたか?
少しはありましたけど、それほどでもなかったかな。私の実家はすごく厳しくて、夜は10時までに帰らないといけなくて、全然遊びにもいけなかったんです。だから日本に行くことになって初めて家を出たから、楽しもうと思っていました。同じ事務所の後輩たちとシェアハウスに住んでいたので、お姉さん的な立場として面倒見たりもしていました。それに3ヶ月に一度は時間を作ってハワイに帰れていたので、ホームシックになる時間がなかったのかもしれません。

体作りなど、心がけていたルーティンはありますか?
若い頃は何も考えていませんでした(笑)。ダイエットというより、逆にいっぱい食べないと痩せちゃうタイプだったから…。それはすごくありがたいことですけど。ただ、運動しなくても元々すごく動くタイプだったんです。とくにすごく歩いてた。家から撮影するスタジオまで近ければ、朝はいつも歩いて行ってました。だからたくさん食べてもバランスが取れていたんだと思います。

長いキャリアがあるブレンダさん。ずっとモデルを続けるモチベーションを保ってきた理由は何でしょうか。
それがあんまりなかったんですよね。後になって、できることなら長く続けていこうという考え方に変わったんですが、始めた頃は、常にあと1年かなと思っていたんです。始めたばかりの17、18歳の頃は、20歳になってから仕事があると思わなくて。アメリカ人の考え方として、モデルの仕事はテンポラリーなものというか。ずっと続けられることではないと思っていたんです。だからモデルとは違う仕事をしようかなと思って、一回辞めて大学に行ったんです。そうしてハワイに戻ってきたんですけど、友人がハワイアンジュエリーのブランドを立ち上げるのを手伝ったりするうちに、日本にもまた来ることに。23歳くらいの頃かな、頼まれて短い時間だけモデルを再開したら、前よりも忙しくなってしまって…。じゃあ、もうちょっとやってみようかなと。でもいつかハワイに戻りたかった。子供も欲しかったので。昔の考えで、やっぱり20代で子供を作らないといけない、30歳はもう歳だと思ってしまっていて。いま考えたらそんなことはないとわかるんですが、結構、オールドファッションのマインドだったんです。子供ができたら、当然モデルの仕事は卒業って思っていた。まわりにはモデルをなるべく長くやりたいとか、その次は女優になりたいとか、そういう夢を持っている人も結構いたと思うんですが、私にはそれはなかったかも。だから今でもやってるし、子供が生まれてもモデルを続けているから、その時感じたことを大事にしているんですよね。

ハワイに戻ったタイミングは?
34か35歳の頃かな。主人と出会ってプロポーズされて、この人と一緒にいたいと思ったし、子供も欲しかったから、仕事を辞めてハワイに戻ろうと決心したんです。日本に友達もいっぱいいたし、結構忙しい時だったからもったいないっていう人もいたし、事務所のマネージャーにも「今辞めるの?」と言われたけれど、やっぱり今しかないと思って。決めたら迷いませんでした。性格もあるのかもしれないけど、先のことを考えてクヨクヨ悩んでも仕方ないかなと。
でもそうやって一大決心してハワイに帰ったんだけど、ブレンダが日本にいないならこちらが行くって、撮影チームがハワイに来てくれるようになっちゃって。もう二度と会えないねって泣いていたのに、なぜか翌月には撮影しているという(笑)。それからハワイと日本、いいバランスで仕事を続けさせていただいています。

ブレンダさん
ハワイ出身。17歳でスカウトされてモデルデビュー。1990年の来日後は『JJ』を皮切りに、数々のファッション誌で表紙を飾り続けるモデル界のレジェンド的存在。二児の母であり、ハワイを拠点に日本と往来しながらモデルとして活動中。

Gジャン¥83,600タンクトップ¥22,000デニムパンツ¥57,200パールネックレス¥385,000(すべてマディソンブルー)シューズ¥115,000(ジェイエムウエストン/ジェイエムウエストン 青山店)

shoplist
ジェイエムウエストン 青山店 03-6805-1691/マディソンブルー 03-6434-9133

撮影/須藤敬一 スタイリング/荒木里実 ヘアメーク/佐藤エイコ(ilumini) 取材/志摩有子 構成/前田章子

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