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新垣結衣の長台詞がもたらす“至極の映画体験”とは? 映画『違国日記』徹底考察&評価レビュー。瀬田なつき監督の演出を解説

  • 2024.6.8
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Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

ヤマシタトモコによる大ヒットコミックを、新垣結衣×早瀬憩のW主演で実写化した映画『違国日記』が公開中だ。監督を務めるのは、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)の瀬田なつき。原作の世界観を瑞々しい画面と音響で表現した本作のレビューをお届けする。(文:荻野洋一)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。「カイエ・デュ・シネマ」日本版で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boidマガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。今年夏ごろに初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ(仮題)』(リトルモア刊)を上梓する予定で、500ページを超える大冊となる。

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

死は、映画において、なんどもなんども描かれてきた。『違国日記』という映画もまた、死が前提となって物語は始まる。交通事故で両親が急死し、死体解剖があり、葬儀がある。しかしながら、物語の前提でしかなかったはずの葬儀シーンに、予想外のエネルギーが充填されていく展開に、私たち観客は動揺を隠せないだろう。

【写真】新垣結衣の名演が堪能できる劇中写真。映画『違国日記』劇中カット一覧

通夜、告別式、火葬まで終えたあとの御斎(おとき)の席。両親の乗用車がトラックに激突された瞬間を目撃した中学3年生の少女・田汲朝(たくみ・あさ/早瀬憩)の胸中の叫びが、映画を始動させる。

「帰れない、帰れない、帰れない、どうしよう、どうしよう」

口さがない葬儀参列者たちが、会席料理とビールを頬張りながらひそひそと、「向こうの方はどなたも親類がいらっしゃらないの?」「姉妹そろって好きな生き方をして…」「あの子はたらい回し」と噂する。そのノイズの耳元の反響。両親は夫婦別姓を選んだだけのことだろうに、わざわざ「実子じゃないんでしょう?」「それが血はつながってるかもとかって」「かも?」などと反響する俗物どもの集まり。

「朝!」

朝の胸中の叫びを制止する、もうひとつの叫び。声の主は、死んだ朝の母・実里(みのり)の妹・高代槙生(こうだい・まきお/新垣結衣)である。実里と槙生の姉妹は若い頃から対立が絶えず、ここ10年以上は絶交状態だったから、朝にとって槙生は幼少期のかすかな記憶にしか存在しない。

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

「“たらい” って どうやって書くんだっけ?」

耳元のノイズに溺れてパニックに襲われた中学3年生のクエスチョンに対して、やさしくいたわる口調ではまったくなく、コーチのような毅然とした口調で、槙生の早口がまくし立てる。ヤマシタトモコの原作漫画『違国日記』の冒頭、読者全員の心をいっきにかっさらっていった、槙生の演説がとうとう現実の俳優によって、それも現代を代表する俳優である新垣結衣の口寄せによって、カメラに向かってまっすぐに発せられるという、至極の映画体験――

「朝。私は、あなたの母親が心底嫌いだった。死んでもなお憎む気持ちが消えないことにも、うんざりしてる。だからあなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は、決してあなたを踏みにじらない。もし帰るところがないなら、うちに来たらいい。今夜だけじゃなく、明日もあさってもずっとうちに帰ってきたらいい。それから“たらい” は、臼に水を入れて、下に皿を敷く、と書く。盥回しは、なしだ」

まるでカメラのこちら側にいる私たち観客に向かってまくし立てているかのごとき鋭い視線をこちらに投げかけながら、吐き出されるコアビタシオン(共存)宣言。孤児になったばかりの姪の返事は、簡潔である。

「いっしょに 帰る…」

朝の返事にうなずく槙生、ビールを飲み干し、グラスを乱暴に置く。コアビタシオン、秒での締結である。次のカットは日没後、葬儀帰りの槙生と朝。どうやら槙生のマンションに向かっている。途中で無印良品かKEYUKAあたりに寄って購入したらしい布団セットを、朝は提げて歩く。

映画は映像と音響だ。そこからあらゆる状況を作り出す。幸福も、絶望も、孤独も。そしてそれらの喪失や処方箋すら。布団セットを提げて夜道を歩く2人の女性に追っつけたパン。両親の事故死という、最大の不幸に見舞われてまもない中3少女を、この夜道の歩行ショットが言葉ひとつすらなく救助している。

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

「きみさ 人生かわるね エポックだ」

若き伯母と姪のコアビタシオンが始動してからまもなく、槙生とは中学時代からの親友・醍醐奈々(だいご・なな/夏帆)が訪ねてきて、パオダン(包団 =手作り餃子パーティのこと)を催した帰りぎわ、醍醐がぽろりと。人見知りが激しく、他者との共生などとうてい不可能に思えた友の身に生じた生活激変への、醍醐なりの応援コメントである。このように、この映画は原作漫画の名セリフをよきターンとして活用しながら、絶望と死と喪失の物語を、思いのほか小気味よく、リズムよく進行させていく。

監督は瀬田なつき。『ドライブ・マイ・カー』(2021)で米アカデミー賞を受賞した濱口竜介監督とは東京藝術大学大学院映像研究科の同窓だった才能豊かな女性監督であり、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(2011/原作 入間人間)で商業デビュー後は、『PARKS パークス』(2016)、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(原作 岡崎京子)、『HOMESTAY』(2022/原作 森絵都)と、ユース年代の原作ものを中心に、シティポップの歌詞の進行のように心地よく、そして時には怖さとともに描いてきた。

『違国日記』の画面と音響を前にして、筆者が確信したのは、ヤマシタトモコのつむぐ言葉と、瀬田なつきの独特な造形、編集リズムの相性がすこぶるよいということである。どんなに弱々しく吐かれた愚痴も、どんなにかすれた声帯で絞りだされたため息も、瀬田なつきの画面はこれみよがしの大仰さとは無縁に、絶妙な感触で拾い上げていく。原作漫画が発表された当時、最も肝心に響いた、朝による次のモノローグを意外にもあっさりと排除しながら。

「この日 このひとは 群れをはぐれた狼のような目で わたしの天涯孤独の運命を退けた」

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

瀬田なつきの映画はこれまで多くの乗り物によってリズムを変速させてきたように思う。自転車、バス、モノレールなど。そして道路、橋、階段。瀬田なつきだけの地理学があったように思う。今回、それがもっぱら歩行によって跡づけられる。先述の葬儀帰りの帰宅シーンの布団セットもそうだが、朝、槙生、醍醐の3人の歩行が、たった数ヶ月前の悲劇を包み込む。槙生は小説、おもにライトノベルを執筆して生活している。朝は下北沢の本屋B&Bでの槙生のサイン会イベントに行列するが、槙生の男性の影に気後れし、サインを回避して立ち去る。その時の朝の歩行の寂しさは、すでに両親の死にまつわるものではない。

朝にとって槙生との新生活は、それまでの娘としての生活とはまるで別世界で、彼女はその生活を「違国」と評する。違うということ――好きとか、嫌いとか、良いか、悪いかではなく、違うということ。違うという前提において、朝と槙生は共にここにいる。それがいつまで続くのかということではない。それはかりそめの共同生活であるかもしれない。今年から始まる高校生活は槙生とともにいるが、遠からず朝は自立するかもしれない。あるいはこのパートナーシップは永遠に存続するのかもしれない。それはわからない未来である。

瀬田なつきは前作の『HOMESTAY』(Amazon Primeオリジナル)で、主人公シロ(なにわ男子の長尾謙杜)に「人生はしょせん、長めのホームステイ」と言わしめていた。それは朝と槙生も同じことだろう。ホームステイとはつまり本質的には、長めのアウェーを、ホームとして錯覚することである。長め=眺めとしての錯覚を、果敢に引き受ける。

中学時代に合唱部だった朝は、高校入学後は軽音学部に入部し、ベース、作詞、ヴォーカルを担当する。同学年の友・えみり(小宮山莉渚)、三森(滝澤エリカ)、森本(伊礼姫奈)の3人がそれぞれにすばらしい。特に三森を演じた滝澤エリカは、『ジオラマボーイ・パノラマガール』の主人公・ハル(山田杏奈)の級友・カエデを演じていたから、カエデの再来のように思える。

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

朝の作詞によるロックンロールナンバーが、昼休みの校内で披露される。いつもの知らないニュースだ/いつもの知らない天気予報だ/いつもの知らない献立だ/いつもの知らない時間だ、と押韻しながら進行していく彼女の詞は、絶望と孤独から身を引き剥がそうとする意志に満ちている。続いてサビ部分で――

おやすみなさい あしたよ待ってて
未来を前借りさせた声に寄せて運びたい
ほどけないエコーだ
からだじゅうを駆けめぐる
この手にあるすべては 私だけが知るものだろう

上記の歌詞は、ヤマシタトモコ漫画を端的に表したものとして提示されつつ、また同時に時/空間をかなり乱暴にストップ&ゴー、イキツモドリツばらばらに粉砕し、拾い上げてはまたそのかけらを散開させてきた瀬田なつきの映画的道程でもあった。

ことに「未来を前借りさせた声に寄せて運びたい ほどけないエコー」などというフレーズは、まさに瀬田なつき映画そのものである。この初夏、ヤマシタトモコ/瀬田なつきの創造的コアビタシオンを、心ゆくまで味わい尽くして過ごしたい。

(文:荻野洋一)

6月7日(金)より全国公開中

【作品情報】
タイトル:『違国日記』
出演:新垣結衣 早瀬憩
夏帆 小宮山莉渚 中村優子 伊礼姫奈 滝澤エリカ 染谷将太 銀粉蝶 瀬戸康史
監督・脚本:瀬田なつき(『PARKS パークス』、『ジオラマボーイ・パノラマガール』)
原作:ヤマシタトモコ「違国日記」 (祥伝社 FEEL COMICS)
音楽:高木正勝 劇中歌:「あさのうた」(作詞・作曲:橋本絵莉子)
製作:太田和宏 小山洋平 桑原佳子 奥村景二
プロデューサー:西ヶ谷寿一 西宮由貴 共同プロデューサー:西田佑子
ラインプロデューサー:飯塚信弘 深津智男
企画:橋本匠子 撮影:四宮秀俊 照明:永田ひでのり 美術:安宅紀史 田中直純
録音:高田伸也 衣裳:纐纈春樹
ヘアメイク:新井はるか 音楽プロデューサー:北原京子
音響効果:岡瀬晶彦 助監督:久保朝洋 制作担当:桑原 学
企画・制作: 東京テアトル 制作協力:ジャンゴフィルム
製作委員会:東京テアトル、MaP、VAP、日販
配給:東京テアトル ショウゲート
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

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