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ガンになった夫婦が同じ病院で闘病生活。そんなふたりの姿を通して読者へ問いかける、生きるということ、愛するということ

  • 2024.6.7
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ダ・ヴィンチWeb
『病棟夫婦』(宮川サトシ/日本文芸社)

生涯をともにすると誓った相手との間に訪れる、別れの日。それが「死」だ。人間はいつか死ぬ。だから、どんなに一緒にいたいと願う人とも離れ離れになる日がやって来る。寂しいけれど、それが自然の摂理である。

でも、仮にそうだとしても、最期の瞬間までは側にいたい。そんな純愛にも似た真っ直ぐな思いに感動させられるマンガがある。『病棟夫婦』(宮川サトシ/日本文芸社)。これは、母親を亡くしたときのことをリアルに描いた『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)で知られる、宮川サトシ氏による渾身のヒューマンドラマだ。

主要な登場人物である富永夫妻はともにガンで、同じ病院に入院し、闘病生活を送っている。本作ではそんな夫妻の様子がややコミカルに描かれている。

たとえば、味気ない病院食に飽きた〈お父さん〉は、白米にふりかけをかけては、看護師に叱られてしまう。それを見た〈お母さん〉は、「小さくなって叱られてる姿がなんか可愛くって」とクスクス笑う。あるいは隣同士の病室で眠るふたりは、夜中に壁をコンコンと叩き合って、互いの存在を確かめ合う。「まだ起きてますよ」と。

なんとほのぼのしたやり取りだろうか。作中で描かれるこのエピソードから、〈お父さん〉と〈お母さん〉がとても仲の良い夫婦であることが伝わってくる。しかし、次の瞬間に思う。このふたりはガン患者であり、決して能天気でいられる状況ではないのだ。

本作では、死と隣り合わせの状況に生きる〈お父さん〉と〈お母さん〉の姿から、「生きるとはなにか」「愛する人とともに過ごす意味とはなにか」といった問いが投げかけられる。ただ、その答えはわからない。正確に言うならば、答えなんてないのだろう。読者一人ひとりが考えなければいけないのだと思う。

その手掛かりになるのは、〈お父さん〉と〈お母さん〉の子どもである、祐一と春子だ。特に祐一は父親に対して屈折した思いを抱いており、現在は引きこもり生活を送っている。しかし、そんな祐一が両親の病気と向き合い、現実を見つめるさまからは、生の儚さと美しさが感じられるだろう。彼の瞳を通して、私たち読者は、愛する人とともに生を全うするということの意味を知る。

そうして迎えるラストは涙なしには読めない。ただそこで流れる涙には「可哀想」などの感情以上に、もっと豊かなものがこもっているはずだ。私はラストシーンの〈お父さん〉〈お母さん〉を見て、ふたりはとても幸福な終わりを迎えたのだと思った。それはどんなに願ったとしても、なかなか手に入れられない終わりだ。

同じ病気を患い、同じ病院で闘病生活を送る平凡な夫婦。このふたりがどんなラストを迎えるのか、そして残された人々はなにを思うのか。ささやかだが非常に奥深いメッセージを持った本作を、ひとりでも多くの人に読んでもらいたい。

文=イガラシダイ

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