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離婚おめでとうと書いたケーキ。子として親の自由を阻みたくはない

  • 2024.6.7
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「今年31かー。私は○○ちゃんを産んでいたなー」

ゴールデンウィーク中で家族の集まっていた日曜日、母はふと私の年齢と自分の年齢を重ねて呟いた。

私は何も答えずにスマホに落とした目を上げずにいた。次の言葉を待つ。父も無言でテレビから目を離さない。母はまるで話の繋がりがあるように、全く関係のない今度私が出張する金沢にあるおすすめの洋菓子屋さんの話をし始めた。

テレビから大谷翔平が8号ホームランを打ち上げた気持ちいい打球音が聞こえた。

21歳で姉を出産した母は、成人してから自分ひとりだけでいた時間がほとんどない。3人目の子どもである私を30歳で出産し、40歳になるまでは専業主婦を続けた。

海外留学を目指して勉強する私を見て、「お母さんも留学したかったんだよね」とこぼしたことがあった。多くは語らなかったものの、幼少時代に外国人である子どもとよく遊んでいたこと、仕事で関わる海外駐在経験のある人の話を聞くことが大好きなことを時折話した。

◎ ◎

母の初めての海外旅行は、私が受験勉強に行き詰まっていた高校3年生の秋だった。唐突に提案してきたかと思えば、風の速さでパスポート申請やら予約やら行い、現地では私以上に彼女がはしゃいでいた。そのグアム旅行を皮切りに、友人と様々なアジア諸国を旅するようになり、ついにはひとりでシンガポールまで出かけていた。

私がアメリカへの短期留学をして日本へ帰国すると、開口一番に「お母さんたち離婚するから」と言われた。

確かに夫婦間の喧嘩が年々増えていたために、大きな驚きはなかった。妹が高校を卒業するまで離婚はしないと言っていたが、2年早い決断となった。
グアム旅行よろしく、またしても彼女は風の速さで新居を探し、生まれて初めての1人暮らしを始める準備を整えた。

私は彼女が家を出る前日の夜、「離婚おめでとう」と書かれたケーキをプレゼントした。
「何よこれ」と笑いながらも美味しそうに食べる彼女。ケーキ屋の店員さんにはびっくりされたけど、彼女が言葉通りの祝福として受け取ってくれてよかったと思った。

だってこれは皮肉などではない。

これは海外に行きたいとずっと望んでいた彼女が、受験勉強に悪戦苦闘している私を励ますという名目であっても、初めて日本以外の土地を踏んだときと同じ旅立ちだから。

◎ ◎

親は家族ができると、子どもができると、言い訳がないと自身の考えを押し通しづらくなるのかもしれない。特に母親にはその気持ちの働きを感じることがあった。

私の留学中に離婚を決断したことも、かつての彼女の夢である海外留学を遂行している私が後押しになったのかもしれない。もしくは、毒親ではなく毒子として、彼女の夢を体現する私を疎ましく思うこともあったのかもしれない。

毒親など親の責任や存在が話題に上がるが、親が子供の自由を奪っているという視点だけでは親子の問題を紐解くことはできないだろう。
親子体験は超個人的な体験であり、恋愛よろしく一般論や学術的見解が浸透するのが難しい領域でもある。

だから親にはもっとファーストネームを大切にしてほしい。
確か離婚をした頃だと思う。私を含むきょうだいは母親と父親のことをファーストネームで呼ぶようになった。
さん付けをしたりと呼び方は様々だが、役割や肩書きで呼ぶことはしていない。
これも親としての権威を感じなくなったからではない。純粋に一個人として関わりたいから。

◎ ◎

金沢駅で行列になっている洋菓子屋さんの話をする彼女に適当な返事をしながら、目線を快音が響いたテレビに上げる。
大谷翔平の放つホームランは綺麗な弧を描いていた。

物理学上、球は45度で飛ばすと最も飛距離が伸びると聞いたことがある。
しかし、空気抵抗の影響で少しずつブレーキがかかる。そのために打法はいかに速度が上げられるかが大事になる。

なんとか言い訳を見つけて自由を謳歌しようとしても、徐々に感じる抵抗で志なかばになってしまうこともあるだろう。風のように速い彼女の行動は、少しでも抵抗を小さくするためのものだったのかもしれない。

なお、離婚した同士の彼女と彼は昨年一緒に還暦旅行をしている。
あと数年したら夫婦ではなくパートナーとして一緒に移住するらしい。
速く打つ方法は知らないが、せめて彼女らの子どもとしてブレーキをかける存在ではないようにしたいなと、オオタニサンを見て思う。

■chikotoのプロフィール
言葉を愛しています。 目に見えないものにこそ、重きを置いていきる東京人。

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