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責任が伴う自由を自覚することは、就活を成功へと導くお守りになる

  • 2024.6.7
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“大人になるにつれて「幸せの基準軸」がブレていく気がする”

高校生の時から心の内に秘めた夢やモヤモヤを書き連ねているノートに、25歳の私が書き残していた言葉だ。

ここで言う「幸せの基準軸」を少し分かりやすく説明すると「何に幸せを感じるかを測るものさし」といったところだろう。

あの時の私が何を言いたかったのか、27歳になった今、もう少し噛み砕いてみようと思う。

子供っぽい大人を「ガキだね〜」と揶揄することがあるが、子供の「幸せの基準軸」は英語表現でいうところの「freedom(言いたい放題、やりたい放題で責任が伴っていない自由)」だった。

それが大人になるにつれて、いつしか英語表現でいうところの「liberty(抑圧や困難な状況から勝ち取り、責任が伴う自由)」が「幸せの基準軸」となっていく......。

◎ ◎

当時私が関東で大学4年生だった頃、「5月中に内定を貰えたら優秀」といった暗黙の認識があった。

大学生だった私は今よりももっと考えが浅はかで、「私生活に重きを置きたい=女性のライフコースに寛容な職場=女性だけの職場」という連想ゲームの元、興味のあった美容業界に複数エントリー。

今思えば「あのブランドで働いていたら、今も美容部員を続けていただろうな」と思える会社の二次選考も控えていた。

しかし、当時の私は1万5,000字におよぶ卒業論文の執筆にいち早く取り掛かりたいがために、5月中に内定通知をくれた化粧品会社への就職を決め、自分と向き合う時間がツラすぎる就活をサッサと終わらせた......。

freedomを好み、自分と向き合うことのツラさから目を背け続けたツケが回ってきたのだろう。

私が入社した年に会社のやり方が大幅に変わるという、最悪の事態が起こったのだ。

◎ ◎

就活の時に検討もつかなかったようなやりがいのない業務、時短勤務のママさんの肩身の狭さや生理休暇もまともに取れない女性の働きづらさを目の当たりにする日々。

就活生だった私が思い描いた連想ゲームはただの幻想にすぎなかった。

そんな日々が続くと、何のために働いているのかが次第に分からなくなり、私の理想のライフコースは音を立てて崩れ落ち、のちに心身を病んで休職することとなってしまった。

大人が自由を勝ち取るために責任が伴うということは、実際に社会に出て経験してみないと簡単には理解できないという現実にも直面することとなった。

◎ ◎

就活生だった当時の私は無自覚のうちにfreedomな行動をしていたため、学生時代に力を入れたこと(エントリーシートでいうところのガクチカ)を意識したことがなかった。

そのため、周りに聞いて回った私のガクチカらしきものにも自覚がなく、他人事のように書いたり話したりしていた。

あの頃にひとつひとつの選択や行動にガクチカを意識して行動していたらと思う反面、最近SNSでは「大学は就活のための予備校ではないのだから、ガクチカのために大学生活を送るのはいかがなものか」という意見もあるそうなので、どっちがいいとは言い難い。

振り返ればliberty的なガクチカは言い換えると成功体験に等しい。

liberty的なガクチカ=成功体験をお守りとして懐に携えていれば、社会に出た時に降りかかる選択や行動に対する“自分の責任”に自信を持たせてくれる。

かくいう私は自分の責任を微塵も感じずにやりたい放題の楽しい思い出しか携えていなかったため、ちょっとやそっとのことで「幸せの基準軸」がブレて心身を病んでしまったのではないかと内省する。

◎ ◎

そもそも、安直な連想ゲームで就活の軸を決めること自体、脇が甘かったのだ。

社会人になって、いきなりのしかかってきたかのように感じた自分の責任。

就活を機に自己分析をすることは、自分の責任を自覚するためのスタート地点でしかない。

だから、時間に余裕のある学生の間に「幸せの基準軸」がブレないようなliberty的なガクチカを自覚すればよかったと振り返っても、私の“新卒カード”は戻ってこない。

liberty的なガクチカを成功体験として、何があっても揺るがない「幸せの基準軸」のお守りにしてほしいと、就活を控えた学生たちに強く願う。

■吉川リサのプロフィール
福岡出身のMCとエッセイのひと。美容部員時代に適応障害になり休職した経験あり。お笑いと焼肉とゴルフがひそかな楽しみ。

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