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松田聖子の“壮絶な学び直し”が、私たちに教えてくれたこと

  • 2024.6.6
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小倉優子の大学受験は感動的ですらあった

“学び直し”が、ある種のブームとなっている。言うまでもなく、一度社会に出た人が、仕事をしながら大学に通って勉強すること。そこにはハッキリ2つのパターンがあり、一つは今の仕事に必要だから。もう一つが、これまでの自分を更新するように新しい人生を模索するため。

じゃあ、芸能人が仕事をしながら大学に通うのは、どういう意味があるのか。ニュースワイド的な番組のMCをする芸人が大学に通うのはわかりやすいが、元アイドルなどが学び直すのは一体なぜ?

もちろん、いくつになろうと、どんな状況であろうと、学びたいとの思いが自然に湧き上がるのは手放しによいこと。でも物事をわざわざ斜めから見ようとする世間の目からすると、やっぱりちょっと突っ込みたくなる。営業の一環なのではないかと。

いやそういう意味で、実に率直にその理由を明かしたのが40代を前に番組の企画で大学受験に挑んだ小倉優子さんだった。「この仕事は、来月あるかわからない。おまけにシングルだから、そこに危機感もあった。そこで何らか、ほかの仕事につながればと。また、子どもの勉強を全然教えられなくて、自分をふがいなく思い……」と。「しかも高校生の時にデビュー、きちんと勉強をしてこなかったから、自分には教養がないと、ずっとコンプレックスだった」とも話したのだ。知識を深めて視野を広げることで、仕事の幅も自分の可能性も広げられるのでは?と考えたというのである。

最初は批判もあったのだろう。人生かかってる受験生にとっては、番組の企画で受験されてはたまらない。しかし第一志望の早稲田大学以下、5つも6つもの大学を受けて白百合女子大学に合格、めげずに最後までやり切ったことに結構な感動が集まった。本気だったのだと。若い受験生とはもうまったく違う理由で、人生かけて切実に勉強したいのだという思いが伝わってきて、その一生懸命さにちょっと胸が熱くなったほど。勉強へのコンプレックスがあったことも、それを公の場で語ることも含めて素晴らしいと思ったもの。純粋な向学心って、実はかくも尊いものだったのだと、今さらながら気づかされたりした。

そして、最近になって判明したのが、松田聖子、62歳での大学卒業。なんと中央大学法学部通信教育課程をストレートの4年で卒業したというのである。しかもそれは4年間、完全に伏せられており、教授との面接などにも変装して出かけ、卒業となって初めて公表されたのだ。まずそこに、本気を感じた。

それこそ色眼鏡で見るなら“芸能人の学び直し”は、卒業することよりも大学に入ろうとする心意気や、入るまでの苦労、通っている姿をほのめかすことが重要なはずで、そのどれをもアピールできないなら意味がないのでは?と思うところ、その人の学び直しはアピール性がまったくなく、箔をつけるためでもなかったことが、二重に世間を驚かせた。そもそもアピールしたいなら、通信制は選ばないはず。そこにもある覚悟が見てとれた。

ちなみに通信教育といっても、有名大学の、それも法学部となると想像以上に過酷らしく、卒業に必要な124単位を取るためには度重なるレポート提出、度々行われるテストも、通すためでなく落とすために行われ、4年で卒業できる人は1割に満たないという。それをやってのけたのは、さらなる驚きだ。

じゃあそれこそなぜ?と思うわけだが、聖子さんの場合も、高校生の時に芸能界入りしており、大学進学できなかったことがずっと心残りであったというのである。

それにしても法学部という一番ハードそうな学部をなぜ選んだか? 本人は法律を学ぶのが夢だったということらしいが、いわゆる司法試験を受けるために受講する人も多く、尚更ハードルが高い。ひょっとしてこれから司法試験を受けるなどということがあったりするのだろうか。いやそれも不可能ではない状況にあるわけで、どこから見ても、あっぱれな行動だったのは確かなのだ。

想像を絶する苦しみを忘れ、虚無感を埋めるための猛勉強

でも実は、もう一つ驚かされることがある。ご存知のように3年前、聖子さんは長女である神田沙也加さんを亡くしている。その後は仕事量を極端に減らすほど傷心の極みにあったはずだが、逆に想像を絶するほどの苦しみを忘れ、果てしない虚無感を埋めるためにこそ猛勉強したのだとも言われているのだ。

小倉優子さんの場合も、3人の子どもを抱え、ましてや3人目を出産するかしないかのタイミングで2度目の離婚となっており、逆境の中での大学入試だったことは、どこか通じるものがある。

そこまで深く勉強の意味を考えたことはなかったが、学問には苦悩から人を救い出してくれる力があるのかもしれない。ましてや、覚悟の上の学び直しは、それこそ人生をやり直すくらいのスタンスで勉強に向かい合うわけで、ここで得た成果は間違いなく人生を変えるのだろう。景色が違って見えるほど視界が変わるのだろう。

ただ皮肉にも、勉強にそこまで大きな意味と意義があるのを知るのは、やっぱり社会に出てから。ましてや誰もがそれに気づくわけではない。気づけるのは、ほんのごく一部。本気で勉強に没頭できる人だけなのだ。そして昔はガリ勉をからかっていた人も、大人になるとわかる。知的欲求に駆り立てられた学習欲、これを持てること自体一つの才能で、人生の明暗を分けるくらい、かけがえのないことなのだと。

有名な心理学者が唱えた“マズローの欲求5段階説”という理論がある。その最下層に位置づけられるのが、いわゆる食欲、性欲、睡眠欲の3大欲求をまとめた「生理的欲求」。次の段階が、安全に生きたいという「安全欲求」、3段階目に、誰かと関わりたいという「社会的欲求」。4段階目に、誰かに認められたいという「承認欲求」。そして欲求ピラミッドの一番上位に位置するのが、もっと成長したいという「自己実現欲求」。多くの欲求を満たしても、さらに理想を追求し続ける人間が、本当の望みを叶えられるということ。この頂点に属するのが「学習欲」だと言ってもいい。もっと学んで、もっと知識を得て、もっと上のステージに行きたいと思う自己実現。そのためにはどうしたって学習欲が必要なのだ。

今の30代、40代にはあまりなじみがないかもしれないけれど、松田聖子という人は1980年代から常に時代の寵児であり続け、日本女性の意識を大きく変えた人。「握力の強い女」と言われたのも、すでに何もかも持っているのに、さらに欲しがり、すべてをしっかりと手中に収め、決して離さないというイメージから。結婚間近とも噂された郷ひろみとの破局を単独記者会見で涙ながらに伝え、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」という名言を残したが、そのわずか1ヵ月後に神田正輝との交際を認め、2ヵ月後に婚約、世間に衝撃をもたらしたことなど、別の意味で欲が強めとされてきた。ただ今回のことでその握力は、単なる欲張りという意味ではなかったことが見えてもきた。人間の5段階欲求に忠実に生き、成長をやめない証、それが中央大学法学部卒業だったのかもしれないから。本当の意味で人生の成功をつかむのは、まさにこの成長をやめない人なのだから。

大人になってから、仕事をしながらの勉強はもちろん容易なことではない。でも生きていく上で何か一つの大きな目標になるほど重要なことであるのを、この人は身をもって教えてくれた気がする。承認欲求のためでも、アピールのためでもない。あくまで人としてもっと進化したいという素直な気持ち、それはやっぱり経験も含めた学習でしか得られないもの。だからそのぶん、尊く素晴らしいものだということに、しみじみ気づかせてくれたのである。

苦悩から人を救い出してくれる力が、学問にはきっとある。ましてや、覚悟の上の学び直しで得た成果は、間違いなくその人の人生を変えるのだろう。景色がまったく違って見えるほど視界が変わるのだろう。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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