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「杏の人生に思いを馳せてくれたらうれしい」入江悠監督&河合優実が覚悟を持って挑んだ『あんのこと』

  • 2024.6.6
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2019年のデビュー以来、数々の映画賞に輝き、ドラマ「不適切にもほどがある!」ではお茶の間にもその名を轟かせるなど、いまもっとも注目の俳優の1人となった河合優実。映画『あんのこと』(6月7日公開)では、幅広いジャンルの作品を手がけ、社会の片隅で必死に生きる人を見つめてきた入江悠監督とのタッグが実現。実在の女性をモデルに、虐待の末に薬物に溺れながらも、更生の道を歩み始めた矢先にコロナ禍によって運命を変えられていく主人公、杏の苦悩、そして彼女の生きようとするエネルギーまでを鮮やかに体現し、観る者の心を奪う。壮絶な人生を辿った女性の人生を映画化するうえで覚悟したことや、本作を通して感じた映画の力について、入江監督と河合が語り合った。

【写真を見る】いまもっとも注目の俳優、河合優実!クールな眼差しも印象的な撮り下ろしカット

「いつもの河合さんとはまったく違う姿になっていた」(入江)

過酷な人生を送ってきた杏。河合優実が彼女の苦悩や生きるエネルギーまでを体現した [c] 2023 『あんのこと』製作委員会
過酷な人生を送ってきた杏。河合優実が彼女の苦悩や生きるエネルギーまでを体現した [c] 2023 『あんのこと』製作委員会

2020年の日本で現実に起きた事件をモチーフに、「SRサイタマノラッパー」シリーズや『AI崩壊』(20)の入江監督が映像化した本作。主人公となるのは、幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた21歳の杏。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は多々羅(佐藤二朗)という変わった刑事や、週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)と出会い、次第に更生の道を開いていくが、ちょうどそのころ出現した新型コロナウイルスによって、手にした居場所や人とのつながりを奪われてしまう。

――映画の冒頭から、どれほど壮絶な人生を歩んできたのだろうかと思わせる主人公、杏の表情や佇まいに釘付けになります。杏という女性は、演じるには過酷な役柄だとも想像しますが、脚本を読んで河合さんは、モデルとなった女性のことを「守りたい」と感じたとのこと。それはどのような理由からだったのでしょうか。

【写真を見る】いまもっとも注目の俳優、河合優実!クールな眼差しも印象的な撮り下ろしカット 撮影/河内彩
【写真を見る】いまもっとも注目の俳優、河合優実!クールな眼差しも印象的な撮り下ろしカット 撮影/河内彩

河合「杏のモデルとなった女性が“実際にいた”ということが、私のなかでとても大きなことでした。これを映画にするということは、かなり覚悟がいることだなと思いました。やはりいまはいなくなってしまっている人について描くので、『こういうことはしてほしくない』『やってはいけない』ということを話すこともできないため、彼女の意志や尊厳を守れない可能性もある。だからこそ強く、『彼女を守りたい』と感じたんだと思います。その矛盾を胸に刻んだうえで、彼女に『大丈夫だよ』と語りかけたくなりました」

――入江監督も、実話を基に描くうえで大きな責任を感じましたか。

入江「脚本作りを始めて、『自分にとって実話を基に映画を作るのは初めてだ』と突然気がついて。そこから急に、緊張し始めましたね。『僕がこれだけプレッシャーを感じているということは、河合さんもそう感じるはずだ』と思いました。稲垣吾郎さんが演じた新聞記者のモデルになった方にはお会いすることができたのですが、やはり映画って、一方的に見え方を押し付けてしまうものでもあるので、どれだけ多面的に描こうと思ってもこぼれてしまうこともある。ご本人に失礼なことがあってはいけないというプレッシャーや恐さは、かなり感じていました」

――入江監督は、脚本の準備稿と一緒に河合さんにお手紙を託されたそうです。どのような想いで、杏という役を河合さんにお任せしたのでしょうか。

入江「今回は撮影前、撮影中も、すべての答えを探しながら、みんなが手探りで進んでいくという感じでしたが、杏に関しては僕よりも河合さんのほうが年齢も近いし、おそらく彼女のことを深くわかってくれるはずだと思っていました。撮影前のカメラテストのタイミングで『大丈夫だな』という感じもあって。その時点で、いつもの河合さんとはまったく違う姿になっていた。このまま答えを急がずに、一歩ずつ歩いて行けば、最後まで辿り着けるのではないだろうかと感じました」

杏は幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられていた [c] 2023 『あんのこと』製作委員会
杏は幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられていた [c] 2023 『あんのこと』製作委員会

――演じるうえで河合さんは、モデルとなった女性を知る記者の方に取材をしたとのこと。もっともヒントになったのはどのようなことでしたか。

河合「かなり長い時間、お話を伺いました。一番印象に残っているのは、『彼女のことを思いだした時に、パッと出てくるイメージはどのようなものですか?』と尋ねた際、『いつもニコニコと笑っていて、恥ずかしがって大人の影に隠れてしまうような、幼い女の子のような印象が強いです』とおっしゃっていたことです。また入江監督とお話をして、『杏を“かわいそうな人”という目線では描かない』と共有できたことも、大きな指針になりました。『こういう人物にしよう』『この答えに向かっていくんだ』と着地点を決めるのではなく、とにかくその指針を基に『一生懸命にやろう』と思い、監督をはじめとする皆さんで手を携えながら、いろいろな可能性を探っていくような時間でした。彼女が歩いている姿、座っている姿、こういう文字を書く、食べ方はどうだろう…と杏の日常的な動作を自分の身体を通していろいろとやってみて、少しずつ杏という女性が立ち上がってきた感覚だったように思います」

――答えや着地点を決めずに映画作りをするというのは、監督にとっても新たなご経験だったのではないでしょうか。

入江「そうですね。自分が頭のなかで作ったキャラクターであれば、最終的なゴールをある程度想定できるのですが、本作の場合は、どこで終わるかということは定めなくていいなと感じていました。そういった意味だと、不安もたくさんありました。ただ最後を決めないことによって、自分としてはこれまでとは違う発見もいっぱいあって。ひたすら主人公に寄り添い、彼女はなにを思っているんだろうと考えて映画に打ち込んでいる時間は、監督としてとても幸せな瞬間だったなと思います。重くてつらいシーンもたくさんありますが、1人の人生に寄り添うということは、こんなにも充実した時間になるんだということがわかりました」

「彼女の生き方について知れば知るほど、前向きな力を感じた」(河合)

――本作を観ていると、映画は誰かに寄り添うことができるものだと感じます。お二人が本作を通して映画の力や、ものづくりの意味について、改めて感じたことはありますか?

杏は、あらゆる出会いを通して更生の道を歩んで行こうとする [c] 2023 『あんのこと』製作委員会
杏は、あらゆる出会いを通して更生の道を歩んで行こうとする [c] 2023 『あんのこと』製作委員会

河合「(この映画を通して)その答えをずっと見つけようとしていました。新聞記事やテレビのニュースで見ただけなら忘れてしまっていたかもしれない出来事が、映画で観たら深く心に残るということもあると思います。“遺す”ということだけが映画のできることではないと思いますが、本作を観てくださった方が、『2020年にこういうことがあったんだ。杏という人が前に進もうと一生懸命に生きていたんだ』ということを忘れないでいてくれたら、映画にした意味があるのかなと思います。私自身、彼女の生き方について知れば知るほど、懸命に生きる前向きな力を感じていました。また撮影中には『杏と近いような境遇にいる人は、映画にもたどり着けないかもしれない。あなたたちの映画だよ、と言いたい方には届かないかもしれない』と話していたんですが、だからこそ杏が同じ街や電車にいるかもしれないと、そういう人の人生に思いを馳せたり、想像してくたらうれしいなと思っています」

本作を通して感じた、映画の力について語った入江悠監督 撮影/河内彩
本作を通して感じた、映画の力について語った入江悠監督 撮影/河内彩

入江「映画を観ているとエネルギーをもらえたりしますよね。僕自身、だからこそこの仕事に就きたいなと思いました。そんななか本作を通して感じたのは、“語る力”です。杏のモデルになった方に思いを馳せる時間がとても大事だったなと思っていて。撮影前にも、監督と主演という立場で河合さんとコミュニケーションを取っていましたが、それはずっと杏について語っている時間だったんですね。これから観客と映画のコミュニケーションが始まって、そこからも語り続けることができる。それは大きな力だと言えるのではないかなと思います。やはりいま、時代はどんどん速く流れていって、みんながいろいろなことを忘却していきます。でも忘れないでいたいことはあるし、コロナウイルスが原因ではなかったとしても、僕はコロナ禍のように、きっとまた社会全体が息苦しくなるような瞬間があるのではないかと思うんです。僕自身、脚本を練りながらコロナ禍における人と人とのつながりについて改めて考えて、次にもし同じような状態が起きたら、2020年にはできなかった行動を起こしたいと思ったりもしました。そうやって映画を通して新たな気づきを得ることもあるのではないかと感じています」

――過酷な状況のなか懸命に生きた、ある女性の人生を映しだした渾身作を完成させたお二人。お二人の出会いについて、教えてください。

入江悠監督&河合優実の出会いとは? 撮影/河内彩
入江悠監督&河合優実の出会いとは? 撮影/河内彩

入江「河合さんはまだ10代だったと思うのですが、そのころに演技のワークショップでお会いしました。あのころはもう、なにか作品に出ていたんでしょうか」

河合「まだ出ていないころだと思います」

入江「その時からすでに光るものがあって、センスがいいなと思っていたんですが、ワークショップの帰り道がたまたま同じで。電車で一緒に帰ることになった時に、河合さんが急に自分の生い立ちについて話を始めたんですよ。誰も聞いていないのに(笑)」

河合「ええ!全然覚えていないです(笑)」

入江「人懐っこいというか、なんだか僕はその感じがちょっと本作の杏に似ているなと思っていて。その時のことをすごくよく覚えています」

河合「もしいまの私が監督と出会って、帰りの電車が一緒になっても自分の身の上話はしないかもしれないですよね。その時の自分の奔放さなのかもしれないですし…恐らくわかり合おうとして自己開示をしたんだと思います。わかり合おうとするという意味では、本作では、脚本をもらって、衣装合わせをして、撮影をして…というだけではなく、撮影前に監督とコミュニケーションを取る時間を多く持つことができました。そういった時間はとても必要なもので、これからもそうやって諦めずに力を尽くしていきたいなと思いました」

「河合さんは表舞台に出てくる人だと思っていた」(入江)

仕事や勉強に励み、杏の人生に光がさしたのも束の間、世の中はコロナ禍に突入していく [c] 2023 『あんのこと』製作委員会
仕事や勉強に励み、杏の人生に光がさしたのも束の間、世の中はコロナ禍に突入していく [c] 2023 『あんのこと』製作委員会

――本作を通して、河合さんの魅力を実感したできごとはありますか。

入江「撮影中に具体的な話をした記憶はなく、僕はただじっと見ていた感じなんですが、河合さんは気を緩める瞬間がなかったように思います。ずっと杏に寄り添い続けていました。演技のうまい人はたくさんいるし、皆さん努力をしているのですが、僕が本当にすごいなと思うのは、正しくアプローチをできる人だと思っていて。河合さんを見ていると、ここまで真摯に向き合うんだと驚かされます」

――河合さんが10代のころにお会いしたという入江監督ですが、近年の河合さんの快進撃もうなずけるところが多いでしょうか。また次回ご一緒するとしたら、どのような役を演じてほしいと思いますか。

入江「僕は演技がうまい人は100パーセント(表舞台に)出てくると思っているので、まったく意外ではありませんでした。やはり監督も俳優もそうなんですが、歳を取るとだんだん自分の型のようなものができてきて、よくも悪くも目的にたどり着くスピードが速くなってくる。今回はそのギリギリのタイミングで、河合さんとお仕事をすることができたなと思っています。だからこそ、これだけ悩みながら、近道をせずに杏にアプローチをしてもらえたんだろうなと。もし次にまたご一緒できるとしたら、型ができて、その型の壊し方で悩んでいる時に出会いたいなと思います。経験値ができてくると、それを崩すのはとても難しいことですから。本作に出演していただいた佐藤二朗さんを見ていても、いろいろなものを壊そうとしているのを感じて。その姿勢がとても勉強になりました」

――河合さんは、ドラマ「不適切にもほどがある!」の純子役でお茶の間にもその名を轟かせました。『ナミビアの砂漠』(24年公開)ではカンヌ国際映画祭のワールドプレミアにも参加されるなど、話題作への出演が続いている現状についてどのように感じていますか?

話題作への出演が続く河合優実。現状への想いや、今後の展望を告白 撮影/河内彩
話題作への出演が続く河合優実。現状への想いや、今後の展望を告白 撮影/河内彩

河合「いろいろなものに出演をさせていただいて、そこであらゆる反響があって私に注目してもらえたという意味では、『河合優実が出ている』ということをきっかけに作品を観てくださる方がいるとしたらすごくうれしいことだなと思います。まったく違う層の方がご覧になる作品同士がつながることこそが、それぞれの作品にとってとても良いことだなと思います」

――河合さんの映画デビュー作『よどみなく、やまない』(19)から、約5年が経ちました。そのなかで変化を感じていることはありますか。

河合「いつも目の前のことを一生懸命にやっていて、それが次につながってきたように思います。もともと私はダンスが好きで、そこからお芝居に興味を持ちました。自分の性質として、パフォーマンスをすることが楽しい、芸を披露することが好きだという想いでやっていましたが、その想いしかなかったものが、誰かに物語を届けることや、私はどのように作品に関わりたいのかという方向に興味が変わってきた感覚があります。“演じることが楽しい”という想いが根底にありながら、自分が楽しいだけではなく、現場で過ごす時間や、ものづくりの過程全体を楽しむようになりました」

――ものづくりの良さを実感する日々のようですね。入江監督も常に新たなチャレンジを続けて、作品を生みだしています。今後公開となる『室町無頼』(2025年1月17日公開)もそうですが、社会の片隅で必死に生きる人に光をあてる作品を多く撮られています。そういったテーマに惹かれる原点がありましたら、お聞かせください。

河合優実が、底辺から抜け出そうともがく主人公の杏を演じた『あんのこと』 [c] 2023 『あんのこと』製作委員会
河合優実が、底辺から抜け出そうともがく主人公の杏を演じた『あんのこと』 [c] 2023 『あんのこと』製作委員会

入江「なぜだか僕は、もがいている人にすごく惹かれるんですよね。自分自身も、20代の時にすごくもがいていたという経験が原点になっているのかもしれません。当時はそこまで社会が貧しくなかったのでなんとか生きていけましたが、やっぱりそれなりに貧乏で。映画の世界を志したものの、どこに光が見えるのかまったくわかりませんでした。20代はそういった状態が続いたので、底辺でもがいている人にとても共感するのかなと思います」

――もがいたとしても映画作りを続けてきたからこそ、いまがあるのですね。

入江「でも決して、苦しくはなかったんです。家賃を滞納したりと大変ではありましたが(笑)、それでも映画を作ることはやっぱり楽しくて。大変でもがいているけれど、それでも映画を撮りたい。世の中の映画監督、もしかしたら俳優も全員、そういう人たちじゃないかなという気もしています。いまとなっては、そういった20代があったことはとてもよかったなと思っています。光が当たらない時期というのは長くてしんどいものですが、無駄ではなかったなと。そういう時期があったからこそ、大変な状況にいる人に共感したり、社会の歪みや問題点に少しは気づくことができたかもしれないと思います」

――もがいた経験があるからこそ見えるものは、きっとあるはずだと感じます。河合さんは現在、23歳です。20代をどのように過ごしていきたいと思っていますか?

河合「私も、監督のおっしゃった『もがいていたけれど、苦しくはない。楽しかった』という気持ちは、とてもよくわかるなと思います。私はいま、お仕事が続いてとてもありがたい状況ではありますが、作品に向かううえで迷うことだってあるし、もがくこともあります。でもやっぱり、それでも楽しい。これからもいろいろなことが起きると思いますし、忙しくてそれを忘れてしまう人もたくさんいるかもしれせんが、楽しんでいられる心を忘れずに過ごしていきたいです」

取材・文/成田おり枝

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