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祝われることで満たされる承認欲求はいらない。純粋な祝福のメッセージが届くように

  • 2024.6.6
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最近SNSの機能で「誕生日が近いお友達」が表示される機能がある。皆がどう思っているか分からないけれど、私はあの機能、いい機能だなあと思っている。友達の誕生日を全員分、1日もずれずに覚えているほど記憶力はよくないし、聞いた瞬間に手帳にメモするほどマメでもないけれど、誰かにとって大切な日は祝いたい、そんな面倒な性格の私にとって最適な機能だなあと、ありがたく思っている。

でもそれは、祝う側の話で、祝われる側は違うのかもしれない、と先日思った。

私は、あまり誕生日に誰におめでとうと言われて、誰に言われてないとか、メッセージ数とか人数とかに固執しないように気を付けていて、きっとそういうものは友達の数とかと同じで、誰かと競うものではないと思うようにしている。そうしないと全員に祝って貰えないことが不幸せなように見えてしまう気がする。
実際、「今日誕生日でした!」とか、「○○お祝いありがと~!」とか、誕生日の度に見かけるSNSの投稿の裏には、「みんなもっと私/僕をお祝いして」のメッセージにさえ思えることがある。

◎ ◎

私も同じように投稿しようと思うのだが、だからといって、SNSで少し繋がっているだけの誰かからの「おめでとう」に素直に喜べるほど、私は人が出来ていないことも自覚している。「おめでとう」「ありがとう」でやり取りが終われば、あっさりしてむしろ好感度が高まるのだが、大体がそうではない。「今度ご飯行こうよ。いつが暇なの?」と言われると、「ああ、今日私は誕生日で幸せなはずなのに……」と億劫になる。
ましてや、なんとなく一緒にいて疲れるなあと思って敢えて距離をとった人とかから、SNSの機能で誕生日がばれて、予定を求められた瞬間、こちらのワガママで距離を置いたことへの罪悪感とせっかくの誕生日に相手の苦手だった部分を思い出してしまって、自分のいやな部分を考えてしまって残念な気持ちになる。

誕生日の日は、「今日まで生きてて偉いね」「生まれてきてよかった」って思わせてほしい。もちろん、親への「産んでくれてありがとう」が最優先だけど。
若くして大活躍するような人達のように立派な人にはなれないけれど、それでも私なりに頑張ってるんだからなあと。

◎ ◎

SNSと誕生日。今はすぐに繋がれて、誰の誕生日でも簡単にわかっちゃう時代だから、嬉しいことも沢山あるけど、モヤモヤすることもある。こんな風に書いてる今日も誰かの誕生日なんだろうなあと思って、ふとSNSを開いたら、毎年ギフトカードを送りあっている友達の誕生日だった。「あれ!?今日だっけ?」となった。毎年祝ってるのに忘れてるポンコツ加減に落ち込む。そもそも覚えることを諦めてる気もする。

でもSNSの機能で思い出したからセーフ、と思って、ギフトカードを今年も送る。普段は何でも送る友達だけど、少し気を遣ってメッセージには、返信を求める疑問系は入れないで、「おめでとう!またあそぼー!素敵な1年を過ごしてね!」にした。今年こそは新しいことをはじめたいんだ、友達からの宣言メッセージに、うん、毎年新しい一歩を私は見てるよ、今年も一緒に頑張ろうね、と心の中で思いながら、少し嬉しい気持ちになった。

■りー。のプロフィール
どこにでもいる、でも人と少し違う。ちょっと繊細で気遣いすぎちゃう社会人。
友達は狭く深く。

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