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スカイラインGT-R、S13シルビア…。ブームの火付け役に聞く、アメリカ西海岸での日本車への熱狂

  • 2024.6.6
アメリカ西海岸で感じる日本車への熱狂

現在、旧車と呼ばれる古いクルマがブームになっている。タダ同然だったような車種が今では数百万円、そしてレアなモデルになると数千万円で取引されることも珍しくない。この流れは世界中で起こっていて、空冷のポルシェ911やヴィンテージの欧州車、そして古いアメ車も驚くような値段で取引されているのが現実。少し前まで“ジャパニーズカー”と聞くと大抵の人が、「性能が良くて安くて壊れない、燃費も良くてよく走るクルマ」と答えていただろう。

もちろん今でもその認識は生きているものの、一部のクルマ好きからはただそれだけのジャパニーズカーではなくなってきているのだ。そんなアメリカでの日本車事情に精通し、このブームの火つけ役の一人、現在ロサンゼルスで〈KAIDO HOUSE〉というブランドを経営するJun Imai。彼は、以前世界的に有名なミニカーブランド〈HOT WHEELS〉のディレクターを務めていたという経歴を持つ人物だ。

アメリカ西海岸で感じる日本車への熱狂
左から、Dai Yoshiharaとシルビアボディの日産 S13(240SX)、Jun Imaiとダットサン 510 ワゴン、Chris MarionとR33 GT−R。

「僕がクルマを好きになったのは父親の影響からなんです。初代のホンダ『インテグラ』やいろいろなクルマを持っていて、いつもそれらをいじっていたんです。僕も子供の頃から父の整備を手伝っていました。ほかにもクルマのプラモデルを組み立てたり、ミニカーも大好きでした。ほかの子供たちがGIジョーのようなフィギュアで遊ぶ代わりに、僕はミニカーに夢中だったんです。初めて買ってもらったミニカーは、母親が近所のスーパーマーケットで買ってくれた〈HOT WHEELS〉製のディキシー チャレンジャーでした。今でもそれを覚えているくらいとても好きなんです」

クルマもミニカーも好きだったJun、自動車のデザインを学んだ後、最初に選んだ道がまさに〈HOT WHEELS〉となった。

Junの愛車であるダットサン 510 ワゴン
Junの愛車であるダットサン 510 ワゴン。実車を基に製作したダイキャスト製ミニカー。
〈KAIDO HOUSE〉のディスプレイ
〈KAIDO HOUSE〉のディスプレイにはこれまで製作してきたプロダクトが並ぶ。

実車もミニカーもどちらも日本車

14年勤めた〈HOT WHEELS〉を退職して本格的に〈KAIDO HOUSE〉をスタート。ダイキャストのミニカーやアパレル、日産のレーシング部門〈NISMO〉とともにオリジナル商品を製作している。

〈KAIDO HOUSE〉からリリースされたR33 DAI.モデルのミニカー
〈KAIDO HOUSE〉からリリースされたR33 DAI.モデルのミニカー。
日本語の“街道”からつけたというブランド名。
日本語の“街道”からつけたというブランド名。

「小さな時から好きだった実際のクルマとおもちゃのクルマの両方を隔たりなく扱いたいと思って始めたブランドなんです。ダイキャストのミニカーでいえば〈HOT WHEELS〉では作ることができなかった細かいディテールにこだわった商品を作っています。そして今回撮影のために用意したグリーンの1971年式ダットサン510ワゴン。塗装も自宅のガレージでしたんです。所有している15年間、自分で何度もいろいろなカスタムを繰り返してきました。僕はこの510とともにクルマ人生を歩んでいるんです。そのほかに、スカイラインGT−X、260Z、R33 GT−R、R34 GT−Rをすでに2台日本で購入してあって、そのうちの1台を5月にアメリカに輸入する予定です」

日本から個人輸入された「R33 GT−R」。
日本から個人輸入された「R33 GT−R」。
ボディの色に合わせて制作したテールレンズ。
ボディの色に合わせて制作したテールレンズ。

アメリカには「25年ルール」という法律が存在し、新車製造時から25年以上経過したクルマに限りアメリカへ個人輸入できる。今年はアメリカでも大注目されているR34型スカイラインGT−Rが25年を迎えたということで日本車愛好家たちがざわついている。そのようなわけで、彼が購入した車両も2024年の5月にようやくアメリカに渡れるのだ。

「これほどまでに日本車がブームになった火つけ役は2001年に上映された映画『The Fast & Furious(邦題:ワイルド・スピード)』だったと思います。僕たちはドンピシャな世代で、そこから生まれたカーカルチャーがクルマ好きをつなげるようになったんですよね。例えば、街中で同じ車種のクルマに乗っていれば、その時点でもう友達なんです。その時に注目されたのが日本車。日本車はクルマ好きやカーカルチャーをつなげてくれる大きな要素として多くの人たちに受け入れられたんだと思います」

カリフォルニアでレーサーとして活躍中で、Junとも親しいDai Yoshiharaも愛車とともに駆けつけてくれた。

〈KAIDO HOUSE〉のメインカー的存在「ダット サン 510 ワゴン」
〈KAIDO HOUSE〉のメインカー的存在「ダット サン 510 ワゴン」。日本名ブルーバードワゴン。
Daiが操るS13
Daiが操るS13。

日本車への憧れが熱狂につながる

「当時日本でも人気だったドリフトの大会『D1』のアメリカ版が初めて開催されたのが2003年だったんです。僕もそれがきっかけで活動拠点をロサンゼルスに移しました。それまでアメリカではドリフトがほとんど認知されていませんでした。でも煙を上げ派手にコーナーを走るクルマは現地の人たちにもすぐに受け入れられ人気になりました。それからドリフトのできるFR車や日本車が注目されるようになりました。特にスカイラインGT−Rが人気になったのはアメリカで販売されていない車種というのが大きな理由ですね。要するにないものねだりなんですよね。僕たち日本人が、大きなV8エンジンを搭載したアメ車に憧れたのと同じだと思います」(Dai)

またJunの友人でもありエージェンシーのパートナーでもあるChris。

「日本車は安く手に入るし、壊れないから若い人たちを中心に人気です。特に今のようにコンピューター制御される前の時代のクルマですね。自分で整備したり、いじったりすることができますから。それにカスタムパーツも豊富にあり、バンパー一つとってもさまざまな種類のアフターパーツがあって自分の好みに仕上げることができるんです。日本車以外だとここまでパーツは揃いません。そして車体同様に人気なのは日本ブランドのパーツです。カスタムパーツも日本のブランドを使い、正統派にこだわる人が多いですね。古いものになると販売中止になっている部品も多く、日本のオークションサイトや、さまざまな方法を駆使してみんな血眼になって探していますよ。走る楽しみもありますが、自分の理想的なクルマへカスタムすること、そんなカーライフを楽しんでいる人が多いんです」

25年落ちの日本車を心待ちにしているアメリカの人たち。ここ日本でも“型落ち”と呼ばれるような日本車の魅力をさらに再認識していきたい。

クルマ談議の尽きない3人。

profile

Dai Yoshihara(レーシングドライバー)

東京都出身、現在ロサンゼルス在住のレーシングドライバー。アメリカで始まったドリフトの大会『フォーミュラD』に初戦から参戦。2011年にシリーズチャンピオンとなる。現在はアメリカの国際モータースポーツ協会のレースに参戦中。

profile

Jun Imai(〈KAIDO HOUSE〉代表)

アメリカの大手おもちゃ会社Mattel社のミニカーブランド〈HOT WHEELS〉の元ディレクター。現在、ダイキャスト製のオリジナルミニカー、オリジナルアパレルやグッズの製造販売に携わる。日産の子会社〈NISMO〉とともに公式アイテムも手がけている。

profile

Chris Marion(カービルダー、チューナー)

Jun Imaiのエージェンシーパートナー。プロフェッショナルのカービルダー、チューナーとして活動している。今回撮影したS31を含め、Dai Yoshiharaのクルマの何台かは彼が手がけた。Chris自身が乗っている愛車は、ホンダ「S2000」。

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