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多様性が生んだ“歪み”を描く…『パーセント』が時代を画するドラマになったワケ。話題のNHKドラマを徹底考察&感想レビュー

  • 2024.6.5
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『パーセント』第4話より ©NHK

伊藤万理華主演のNHKドラマ『パーセント』が完結を迎えた。本作はローカルテレビ局で働く新人プロデューサーが、俳優を目指す車いすの女子高生を主演にしたドラマ企画の実現に奮闘する物語。今回は、ドラマのテーマを深掘りしたレビューをお届けする。(文・あまのさき)(文・あまのさき)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
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【著者プロフィール:あまのさき】
アパレル、広告代理店、エンタメ雑誌の編集などを経験。ドラマや邦画、旅行、スポーツが好き。

『パーセント』第3話より ©NHK
『パーセント』第3話より ©NHK

“障害”について考えるとき、身体的なハンディを想像する人が多いのではないかと思う。ハンディとは、「立場を相対的に不利にする要因」を指す。身体機能なハンディの有無で、わたしたちは人を健常者と障害者とに分ける。

【写真】時代を画するドラマ…伊藤万理華の名演が堪能できる写真はこちら。NHKドラマ『パーセント』劇中カット一覧

土曜ドラマ「%(パーセント)」(NHK)が、先日全4回にわたる放送を終えた。「わからない。でも。あきらめない。」をキャッチコピーに、障害のある役者をドラマに起用する過程を赤裸々に描き出し、多様性の意味を問い掛けてくる意欲作だった。

ローカルテレビ局で働く吉澤未来(伊藤万理華)は、バラエティ班からドラマ班への異動を希望し企画書を出し続けていた。ある日未来の企画が採用されるのだが、局が行う「多様性月間」のキャンペーンの一環として、主人公を障害者に変更するようリクエストされる。

自分の企画なのに、思い描いていた内容からかけ離れていく。それでも未来はなんとかドラマを成立させようとし、取材先で出会った役者志望で車椅子に乗った高校生・宮島ハル(和合由依)や局内の人たちとの関わりを通して、様々な学びを得ていく……といった内容だ。

『パーセント』第3話より ©NHK
『パーセント』第3話より ©NHK

未来はもともと障害者に対してデリカシーがあるタイプではなかった。冒頭、ロケで訪れたカフェでは手に障害のある人に「(サーブする際は)映らないように反対の手でお願いします」と言えてしまう。これだけ多様性が叫ばれる時代において、少々ひやりとするやりとりだ。

そんな彼女がキラキラ学園ものを作りたいと思って出した企画書が、多様性をテーマにしたドラマへと塗り替えられていく。そういったテーマに興味関心があるならまだしも、興味もなければ深く考えたこともなさそうなのに。人選という概念はないのだろうか? と思っていると、部長は「若い女性の企画だから」ということを平気で宣う。

未来の“何か”を見込んだわけではなく、多様性の一部であるジェンダーバランスを鑑みての採用だった。なんと浅はかなのだろうと思わずにはいられないが、同時に、まだまだ世の中にはこういうことが多いのだろうという諦念も感じる。

だが、未来にはドラマが好きという誰にも引けを取らない強い気持ちがあった。それを頼りに、彼女はなんとか企画を成立させようと奮闘していく。その過程で出会ったのがハルだ。ハルに魅力を感じた未来は、ドラマの主役をやってほしいとお願いする。

ところがハルは、未来の言葉の端々に表れる障害者に対する哀れみを感じ取り、障害者だからという理由で起用されるのは嫌だと突っぱねる。障害を利用して夢に近づくことを良しとしないハルと、女性だからという理由で目標が叶おうとしている未来。多様性が生んだ歪みを感じざるを得ない。

『パーセント』第4話より ©NHK
『パーセント』第4話より ©NHK

ハルから出演の了承を得たものの、未来の企画は編成局長・長谷川(水野美紀)へのプレゼンをなかなかパスできずにいた。なまじ、未来は自分自身がかつてドラマに救われた経験がある。だからこそ、ドラマは現実逃避させてくれるものであってほしいという思いが人一倍強かった。ゆえに、長谷川がこのドラマに期待する「誰もがマイノリティでありマジョリティであることを突きつける」こととは相容れなかった。

「人間を描く意識が欠如している」「彼女(ハル)たちの身体や生きざまに、ペラペラの物語を貼り付けるのか」と辛らつな言葉が飛ぶ。障害者を主人公に据えることに対して、未来がまだまだ当事者意識を持って踏み込めていないことが指摘される。

未来が自分なりの答えを模索していく様子を、女性の新人プロデューサーという立場の“弱さ”のみを強調することなく描いていく。彼女は迷いや戸惑いを抱えながら、時に周囲の人に対する配慮を欠いた言動も取ってしまう。未来を演じた伊藤万理華は怒りや戸惑いだけでなく、無自覚に人を傷つけたり、生気を失ったりする様を躍動感を持って表現した。

最終的に「視聴者だとして、これを観たい?」という言葉にヒントを得て、未来は自分のドラマを再構築していく。未来が観たいのは“かっこいいハルちゃん”。

ハルが演じる主人公をスクールカースト下位の冴えない女子高生にするのではなく、むしろ一軍女子にすること。そしてそれは、障害者を弱者だと決めつけていないか?という、この作品の大きな問いへと繋がる。

未来のセリフにもあったように、元来テレビは視聴者が観たいと思うものを型にはめてつくってきた側面がある。多様化する社会において、それはもうフィットしない。

例えば車椅子ひとつとっても、ハルは誰かに押されることを「お世話されているようで嫌だ」と言ったが、他の車椅子ユーザーは「羨ましい」と言った。ものの捉え方は人の数だけあるといっても過言ではない。

『パーセント』第3話より ©NHK
『パーセント』第3話より ©NHK

さらに、人間を描くために未来が掴んだ糸口が、「人を知る」ことだった。性別も障害の有無も取っ払って、人と人として向き合うこと。合わないことや腹の立つこともひっくるめて、まずは受け入れること。

そして「人」には自分自身も含まれていること。そうやって生まれた信頼関係の先に、わかり合うためのきっかけが転がっている。

だが、ドラマ制作の過程で、わかり合えずに零れ落ちていってしまった人がいる。未来の恋人・龍太郎(岡山天音)だ。彼は将来を期待された脚本家だったが、その後作品を生み出すことができず、フリーターをしていた。今回、脚本協力という形で作品に携わるが、メインの作家による大胆な赤入れや現場の状況によって飲み込まざるを得ない妥協に耐えかねて途中で辞退してしまう。

岡山天音が演じた龍太郎からは、行き場のない苛立ちやもやもやを抱えた青年独特のピリついた空気が漂う。それは龍太郎のプライドの高さが生んだコンプレックスに由来する。ある意味で幼稚な龍太郎をすくい上げるほどの余裕は誰にもなかったし、彼自身もそれを望んでいなかったようにも見える。わかり合うには双方の合意が必要だという示唆を感じた。

『パーセント』第4話より ©NHK
『パーセント』第4話より ©NHK

台本の遅れもあったが、読み合わせの時間をつくったり、代役を立てることをやめたりするようになった。ただ、自分たちにはハルの身体のことが全部はわからないから、体調を気遣う。

なるほど、と腑に落ちた。わたしたちはどこまでいっても違う人間だ。相手を理解したいと慮ったって、とことん膝をつきあわせて話し合ったって、本当の意味でわかり合うことはできない。健常者と障害者とを線引きするなんて、なんと無意味なのだろう。

でも、だからこそ、知りたいから、好きだから、関わって、ぶつかっていくしかないのだ。そこに誰かに対してだけ特別な、ではなく、誰にとっても普遍的な思いやりを添えて。

(文・あまのさき)

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