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親友と過ごした東京最後の夜。彼女が付けたアルバム名を見て号泣した

  • 2024.6.4
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大学院の卒業は、これまでの小、中、高、大の卒業とはまた違った感慨深さがあった。

学問というのは、私の中の一生のテーマになっていた。小学校の頃からのめり込み、中高時代に中だるみしたり、大学時代は精神をすり減らしながらも、なんとか這いつくばって脱落せずに生き残ってきた。

自分ではもっとやれると余力を残しつつも、念願叶って希望の職種につくことが決まった。院時代も想像以上の成果を残せた。その一つの時代の終わり、人生の新たな章への突入、独り立ちへの怖さ、社会に出ることへの希望と不安、そんなよくわからない感情が一気に押し寄せ、私としても一つの区切りとしたくなった。

そうすることで、「学生時代」として保存したかったのかもしれない。

◎ ◎

大学院卒業にはもう一つ区切りとしての意味があった。大学で上京したのち、就職とともに地元に帰ることになったのだ。引っ越し作業、各種お世話になった方への挨拶を終えた最終日の夜、友人A子が夕食を共にしてくれた。

思えば、私は東京に行きたくて行ったわけではなかった。受験でうまく行かず、東京の大学に進学せざるを得なかったのだ。そんな事情もあったからか、初日からすでに帰りたくて仕方なかった。夜な夜な意味もなく、地元の大学の編入試験を検索したり、友人と電話したりしていた。毎日泣いて過ごしていた記憶だ。

気分転換も兼ねて、上京後初めての日曜日、近所を散歩してみた。線路沿いを歩き、坂道を上ってみると、ドラマでしかみたことのないような豪邸が並んでいる。本当に来たんだ東京に、という確かな実感のもと、とても現実のように思えなかった。

そうして近所でそういった富裕層の方々を対象としたアルバイトをするようになった。海外ブランドのデザイナー、家族が大企業役員、士業、様々な界隈の人の話を聞くようになり、学生で無垢だった私は、嫉妬以上に、未知の世界への憧れでいっぱいになった記憶だ。そこで出会ったのがバイト仲間の友人、A子だ。

◎ ◎

A子とはバイト終わりにラーメンを食べに行くようになった。ラーメンは学生にとって、安くて、お腹が膨れて最高な代物だ。恋愛の話や、サークルの愚痴、そんなたわいもない時間をすごしている間に、海外旅行に行こうという話になり、気がつくと親友になっていた。

A子は私より早く就職をした。そのため、私の就活が終わったタイミングで盛大にお祝いしてくれた。都内の高級ホテルで、メッセージ付きのホールケーキとブランド物のプレゼント。彼氏からだと間違われるほどだった。

そんなA子と東京最終日の夕食。東京駅のちょっとお高めのイタリアン。仕事終わりのA子は、いつもより荷物が多く、私への餞別かな、とすぐに気がついた。

もちろんその予想は当たりだった。A子は、お花屋さんに私のイメージを伝えてわざわざ花束を作ってくれていた。それだけではない。SNSからリサーチして、私の好きなブランドのお菓子と、マグカップを用意してくれていた。

月明かりに照らされた東京駅の前で写真を撮り、私は下りの新幹線に乗り込んだ。
新幹線の中でもらったプレゼントをゆっくりみていると、A子からその日の写真が送られてきた。作られたアルバム名を見て私は号泣した。

「いってらっしゃい」

◎ ◎

今思い返しても、こんなに、この言葉が嬉しかった日があるだろうか。何気ない挨拶の言葉が、これだけの重みを持つ日がこれから来るだろうか。
帰りたくて仕方なかった東京の街が、帰ってこようと思う第二の故郷となった。まぎれもなくA子のおかげだ。

数年が経ち、別の友人が、卒業することになった。私はA子がしてくれたことを思い出し、その友人にも、同じように、高級な旅館で、メッセージ付きのホールケーキとブランド物のプレゼントを用意した。幸せなお返しならぬ、幸せな伝達。こんな恩返しもありかな、と思う。

込み入った事情があり、A子とは会えなくなってしまった。理由はあまりにもどうしようもなく、解決の糸口は見えない。私もA子も悪くないために、どうすればよいか私もわからない。もうA子と会うなと言う人もいる。私も今は会うべきではないとわかっている。

でもそんな幸せの伝達をしながら、あの時の彼女のことは、これからもずっと信じていたいと、心に誓っている。きっと、本当に縁のある人なら、また会うことができるのだから。

■ありすのプロフィール
研究者。旅好きなので、いつか旅エッセイの出版を画策してます。趣味は小説の執筆。

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