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「地元にいてほしい」という母親の言葉。心の中の消えない呪い

  • 2024.6.3
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一人っ子の母にとって、私は娘でもあり、妹のような存在でもあるのだと思う。母は私にどんなことも話すし、相談もする。

長男の嫁で、隣に義理の両親が住んでいるという環境は、苦労も多かったのだろう。私は小学生の頃から、父や祖父母に対する不満を聞かされて育った。家族の中で、嫁は唯一外から来た他人。母は子どもを味方にするしか、自分の心を守る術がなかったのだと思う。

その影響から、私は父や父方の親族に複雑な感情を抱くようになったのだが、それを不幸とは思いたくなかった。私の存在で母が少しでも楽に生きられたのなら、それで良かったのだと納得していた。母の暗い顔を見ることが、子どもの私にとっては何よりつらいことだった。

◎ ◎

県外の大学を卒業し、私は地元の民間企業に就職した。ブラック企業とまではいかないかもしれないが、一族経営のその会社は、色々と理不尽なことが多かった。

社長の言うことは絶対だったし、どう考えても会社側に非があるのでは?というようなことも、誰も口にしなかった。おかしいことをおかしいと言えない、何が正しいか正しくないか誰も考えない、逆らわない方が楽だ。そんな会社の雰囲気に、私は耐えられなかった。

「せめて3年は働け」という言葉の呪縛がまだ根強い時代ではあったが、結局2年足らずで退職した。

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無職になり、私は転職のために死に物狂いで勉強した。「地元のそこそこ大きい企業だから」という理由で就職先を選んだ自分が愚かだったのだ。今度は失敗できないと思った。

勉強の甲斐あって、2つの内定をもらうことができた。どちらも職種は同じだが、勤務地が違った。地元か、実家から少し離れた市。今度こそ慎重に考えなければならない。胃が痛くなり、頭から湯気が出そうなほど何日も悩んだ末、地元ではない方を選んだ。純粋にどちらで働きたいと思うか、自分の心の声に従った結果だった。

私の決断を聞くと、母は黙り込んだ。それから数日、会話らしい会話はなく、まともに目も合わせてもらえなかった。私は、ひどく傷ついた。あぁ、お母さんは、私を応援してくれないんだ、と思った。一生懸命考えて選んだ道を、祝福してもらえないことがショックだった。

◎ ◎

家族が揃った休日、私の再就職のお祝いをしようと、寿司の出前を取ることになった。到着を待つ間、母が私に話しかけてきた。「あなたが行きたいところに行くのが一番だと思う。でも、これだけは言わせて。私は、地元にいて欲しかった」

この言葉は、10年近く経った今でも、私の心に重くのしかかっている。母を悲しませてしまった。私も母にあの暗い顔をさせてしまった。母の支えは私だけなのに…。思い出す度に、自分を責める。でも、それと同時に怒りも湧いてくる。私の人生は私のものだ。好きなように生きて何が悪いんだと、開き直る。地元を離れて生きていく以上、この複雑な感情とは一生付き合っていくことになるのだろう。厄介な呪いをかけられてしまったものだと思う。

◎ ◎

職場で出会った夫と結婚し、私も人の親になった。まだ幼い我が子も、いつかは巣立っていく日が来るのだと想像する。今となっては、あのときの母の気持ちもわかる。長い間大切に育ててきた、かけがえのない存在。そんな我が子が自分の側を離れていくと思うと、胸に穴が空いたような感覚になる。

でも私は、子どもに自分の気持ちをぶつけることは絶対にやめようと思う。それは死ぬまで消えない呪いになりかねない。子には子の人生がある。それもまた、かけがえのないものだ。親だからといって、ゆがめることはできない。自分の信じた道を真っ直ぐ歩めるように、私は子の心を守れる母でありたいと思う。

■オトハルのプロフィール
読むこと、書くことが好きです。

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