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小さいウソが言えず、「ウケ狙い」も無理。それなら素のまま勝負する

  • 2024.6.3
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私の周りには、小さいウソをつく人が二人いた。一人は高校時代の親友で、もう一人は大学時代の指導教授だ。

高校時代の親友のウソは、「ねぇ、パンツ見えてるよ」といったものだ。本当かウソか、微妙に分からない。高校時代の私は、冗談という概念がなかったから、「ねぇ、なんでウソつくの?」と真剣に親友に聞いたものだった。

大学時代の指導教授のウソは、「三カ月後に発表の人で、今、一日十時間取り組んでいなかったら呪う」というものだ。高校時代に、人は冗談として小さいウソをつくと学習したから、大学時代の指導教授のウソは笑えた。

◎ ◎

今、改めて小さいウソについて考えているが、少なくとも私が触れた小さいウソは冗談であり、人を楽しませるものだった。高校時代の親友などは、「パンツ見えてるよ」なんて言わなくてもいい。しかし、言うことによって会話が生まれる。コミュニケーションだ。

大学時代の指導教授だって、「三カ月後に発表の人でも、今から一日十時間は取り組んでください」と言ってもいい。だが、私の指導教授はユーモアで、「取り組んでいなかったら呪う」と言った。

ウソをつかれて思ったことは、人を楽しませるとは何だろうということだ。

◎ ◎

少し話が飛躍するようだが、私は三週間前からエッセイを投稿するようになった。ありがたいことに評価されて、今のところ書いた文章全てが掲載されている。

だが、私はふと思う。今までの三週間は、割と自分の中のモヤモヤや、膿(うみ)、うっぷんを文章化していた。だが、読んでいる人は楽しいだろうか?と。

もちろん、私もネガティブな文章を書こうと思って書いた訳ではなく、お題に沿って書いていくと、自然と自分の中の奥深い所にある、どろどろとした部分が文章になって現れた。そして、校正していただいて、評価の言葉をいただいて、インターネットに公開されると、自分の中の良くない感情が浄化されていった。

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だが、これで良いのだろうか?高校時代の親友のように、また大学時代の指導教授のように人を楽しませるエッセイは書けないだろうか?そんなことを最近考えるようになった。これが小さいウソがきっかけで変わったことだ。これまで、ただただ自分の感情を言葉にしていた私から、読む人の気持ちを考えるようになった。

私が好きな音楽のアーティストは、「聴いてくれる人の心がちょっとでも軽くなればいいなと思って曲を作っている」と言っていた。

だが、私は「ウケ狙い」が出来ないのだ。それが分かったのは、大学時代だ。大学で仲良くしているグループがいて、その中で「みおちゃんは面白いよ」と言われた。そして、「何かダジャレとかも言えるの?」という話になって、私は少し考えて言ったのだが、滑った。その時に、私は素のままでは「面白い」と感じてくれる人はいるけれど、人を笑わせよう・楽しませようということは苦手なのだなと知った。

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年次が上がって、別のゼミのグループでも、私が発表して質疑応答になる度に、先生を含めて爆笑が巻き起こっていたが、それも友人曰く、「狙っていない所が良い。誰でも真似できることじゃない」と言われた。

小さいウソという名の冗談が言える人は、ポジティブな意味で「ウケ狙い」ができる人だなと感じる。対照的に私は、もともと小さいウソという名の冗談の概念もなく、「ウケ狙い」が出来ない。だから私は、これまで通り、お題に対して思ったことを文章にするということを真摯に取り組んでいけばいいのではないかと感じた。大学時代のゼミの感触だと、私が真剣にやっていたから面白いのかな?分からないけれど、読んでくれる人が「面白い!」と思ってもらえる文章を書いていきたいです。

■ほりみおのプロフィール
國學院大学文学部日本文学科卒業。自宅で文章を書くのが好き。 Instagram:beautiful_culture

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