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しゃべるっきずむ!アップデートし続けるためにできる教育の話 前川裕奈さん×外川浩子さん(3)

  • 2024.5.31
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“多様”がどこにもない日本の教育

外川:ルッキズムに対する自己責任の圧も、多様な見た目が受け入れられない社会も、私は学校の教育が影響しているんじゃないかなという気がしているんですよ。基本的に“周りと同じ”を求められ続けて成長していく学校教育を見ていると、そりゃ視野の狭い社会になるよね、と。

前川:“前ならえ”が美徳ですもんね。物理的にも前ならえさせられるし……。

外川:教室も席も時間も、すべてがピシッと決まっていて、自由にトイレに行くことすらもできない。あの環境に疑問を持たずに成長したら、やっぱり「当たり前の枠に入れない人がおかしい」という価値観になってしまうと思います。

前川:見た目に関しても、特徴的なことが悪い意味で目立ってしまう。

外川:見た目に特徴がある子自身も「自分の特徴を隠さなければ、周りに合わせて変えなければ」と考えるようになってしまいますよね。

前川:そうかもしれないですね。日本はやっぱり同調しないと孤独を感じる社会だと思っていて、私がダイエットに囚われていた時は「モテたい」というよりも、「属したい」という気持ちが強かったんですよね。小学生で「デブスパッツ」というあだ名をつけられてショックだったのも、「太っていると笑われる(仲間はずれにされる)」という恐怖心があったように思います。

外川:見た目に関しても「これが普通」というものを、みんなが共有している感じですよね。

前川:体が細くて、顔が小さくて、平均身長これぐらいで、みたいな、いわゆる「かわいい像」が凝り固まってるから、みんなそこに同調しに行くしかない。すべて完璧に当てはまることなんてないから、みんな何かしらの悩みを抱えちゃうんですよね。

前川裕奈
Photo by Mana Wilson

学校教育はまだまだ変われるはず

前川:そういう教育って、何がどう変わっていったらいいんですかね。

外川:私は教職員研修などに呼ばれて、先生たちに「“多様性”を教えるためにどうしたらいいですか?」と聞かれることもあります。そこでは逆に「ひたすら同質化を教え込んでいるのに、その環境で多様性を教えるのは無理じゃないですか?」と聞くんです。不登校の課題も増えてきて「学校が全てじゃない」という風潮もあるので、今後は変わっていくのかもしれませんが。

前川:私が通っていた学校では、黒髪じゃない子は「赤髪届・金髪届」みたいなものを提出しないといけなかったんですよね。友達でひとり、生まれつき金髪の子がいたんですけど、当時は当然のように「金髪届、出さなきゃだもんね」と思ってました。今だったら、「じゃあ癖毛届は?二重瞼届も出すの?おかしくない?」と思えるけど、、全然そこに違和感を持っていなかったな。

外川:地毛証明書を始めとした、おかしな校則ね。例えば、「その校則って誰のためにありますか?」と先生方に聞いても、「生徒の生活習慣を乱さないために」と言われるんですね。でも、「生徒の自主性を重んじるのに、髪型、髪の色関係ないですよね」と突っ込んでいけば、先生たちも答えに窮しちゃう。校則は明らかに生徒を管理しやすいための決まりなんだと腹をくくった上で、本当に生徒のためにどうしたらいいかを考えた方がいいと思っています。

外川浩子
Photo by Mana Wilson

前川:アルビノのように症状がある人でも、黒染めさせられたりするんですか?

外川:今は学校の方針によりますね。アルビノと言ってもバリエーションがあるので、真っ白の人もいれば、ちょっと茶髪ぐらいの人もいるんです。今は海外にルーツを持つ子も増えていますし、本格的に多様な子どもたちがいる前提で校則を考えていかないといけないと思います。

前川:学校が大々的に「みんなと違う見た目はダメだ」と言っているということですもんね。その環境が当たり前になってしまうと、やっぱり自分と違う見た目の人に出会った時に対応できない。教育現場や社会が変わって、多様な見た目の人がいることが当たり前になっていけば、「見た目問題」を抱える人たちに対する戸惑いや偏見もなくなっていくんですかね。

外川:そうだと思いますよ。黒人の人を初めて見たらびっくりするけど、その人が町に住んだら隣人になる、みたいな。どれだけ自分の周りにそういう人がいて、どれだけ顔合わせるかっていうことかなって。

「違いがあって当たり前」を当たり前に

外川:そうだ!裕奈さんは『みんな みんな すてきなからだ』という絵本を知っていますか?いろいろな見た目の人がいることが当たり前になる、という意味ですごくいいなと思って、お見せしたかったんです。持ってきたのは日本語翻訳版なんですけど、原題は『Bodies are cool』。それぞれイケてる!っていうニュアンスが、すごくいいなと。

みんなみんなすてきなからだ
絵本『みんな みんな すてきな からだ』

前川:大きな体の人も、痩せてる人も、アザやそばかすがある人も。個性的な体の人が出てくるんですね。何か説明があるわけじゃなくて、「いろんな体の人がいて当たり前だよね」と視覚的に見せている感じ。こういう本って、私たちの幼少期にはすごく少なかったように思います。

外川:小さい時からこういう環境で育った子たちが社会の中心になる頃には、違う世の中になっているんじゃないかと思います。

前川:私の本を読んでくれた方々には子どもがいる人も多くて、「ルッキズムの呪いを自分の子どもたちに受け継ぎたくない」という感想をたくさんもらいました。たしかに小さいうちから「見た目で揶揄するのはクールじゃない」とか「違うことは当たり前なんだ」とか、絵本で伝えられたらすごくいいなと思いました。

外川:もうずいぶん前からあるものだと『ぞうのエルマー』も、近いものがありますよね。カラフルなエルマーがみんなと同じ色になろうと思ったけれど、実はカラフルのままでいいんだ、という感覚。ああいう動物に置き換えて伝えようとしているものは、結構あるかも。

前川:『みにくいアヒルの子』や『わたしはあかねこ』などもそうですね。でも、個人的には「大勢多数の正解があって、そこに染まれなくてもいい」という視点だけでなく、「大勢多数とされる“みんな”の中にもグラデーションがあって、それぞれ違うのが当たり前だよね」というメッセージを描いたものが読みたいな。

外川:いろいろな人種がいる欧米に比べて、日本は特にそういうものは少ないかもしれないですね。

前川:そうなんですよ。日本のルッキズムは、例えば「ストレートか、癖毛か」とか「一重瞼か、二重瞼か」みたいな、すごくミクロなところで容姿を比較している傾向があると思うんです。肌や目の色で違いを表現するのはとても大切だと思う一方で、そういったミクロな違いがあって当たり前なんだと伝えたいです。

次世代の感覚は、すでに変わりつつある

前川:絵本やテレビ番組などが子どもたちの「おもしろい」を形作っていくところはあると思っていて、まずはそこを変えないと「見た目が違う人を笑ってもいい」みたいな風潮は、社会全体からなくならないと思います。ハゲいじりとかもそうですよね。

外川:世の中で声が上がりやすくなり、容姿いじりのネタはだいぶ減ってはきていますよね。お笑いの芸人さんも別に見た目いじりがいい・悪いじゃなく、世の中の人にもう“ウケない”と感じ始めていると思うんですよね。芸人さんはプロなので、すごく敏感なはず。ウケないんだったら新しいネタをどんどん探していくんじゃないかと。その変化はダメなことじゃなくて、時代とともに社会の意識って変わっていくことだから、お笑いも新しく変わっていくだけなんだと受け止めている人も多いと思います。

前川:発信する人たちからバージョンアップしていかないといけないですよね。古い価値観の笑いやコミュニケーションを。

外川:包括的性教育で「外見も含めて自分の体を大事にしよう」と伝えていこうとしているのに、他人の容姿をバカにしていじる笑いを大人がやっているのはチグハグですよね。むしろ子どもの方が笑えないと言うようになるんじゃないかと、私は思います。

前川:そうやって時代が変わっていくといいな。

外川:そうそう、知り合いの子の話を聞いたんですけど。おばあちゃんと一緒に電車に乗っていたら、車椅子の子が乗ってきたと。それでおばあちゃんが何気なく「かわいそうね」と言ったら、その子が「かわいそうってなんだ」とおばあちゃんに怒ったんだって。おばあちゃんは「体が不自由でかわいそうだよね」って、むしろ優しい気持ちで発した言葉だったんだけど、その子と大きな感覚のズレがあったんですよね。

前川:すごい。そこまでアップデートされている子もいるんですね。その違和感を持ち続けてほしいです。最近は漫画やドラマでも「ルッキズム」という言葉が使われるようになってきて、私も時代の変化を感じています。TBSのドラマ『不適切にもほどがある!』にも当たり前のように出てきて、知り合いから「ルッキズムって言ってたよ!」と連絡がありました。ドラマの内容自体は賛否両論だったと思いますけど、まずは議論の土俵に上げるという意味では進歩だと思います。

外川:時代は進んでいくし、絶対に変わっていくからこそ、人の感覚もどんどんアップデートしていかなきゃいけないんですよね。正解はないから、子どもも大人も巻き込みながら「いろいろな人がいるよね」とディスカッションできる方向性になっていくといいなと思っています。

前川裕奈 外川浩子
Photo by Mana Wilson

Profile

外川浩子さん

NPO法人マイフェイス・マイスタイル(MFMS)代表。 東京都墨田区生まれ。

20代の頃につきあった男性の顔に大きな火傷の痕があったことがきっかけで、見た目の問題に関心をもつようになる。一緒に街を歩いているときも、電車に乗っているときも、たくさんの人たちの視線を感じ、「人って、こんなに無遠慮に見てくるんだ!?」という驚きと、見られ続けるストレスにショックを受ける。

2006年、実弟の外川正行とマイフェイス・マイスタイルを設立。見た目に目立つ症状をもつ人たちがぶつかる困難を「見た目問題」と名づけ、交流会や講演などを通して問題解決をめざし、「人生は、見た目ではなく、人と人のつながりで決まる」と伝え続けている。

作家の水野敬也さんとともに『『人は見た目!と言うけれど―私の顔で、自分らしく』(2020年、岩波ジュニア新書)。

前川裕奈さん

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「ルッキズムひとり語り」。

ウィルソン麻菜

「物の向こうにいる人」を伝えるライター。物の生まれた背景を伝えることが、使う人も作る人も幸せにすると信じて、作り手を中心に取材・執筆をおこなう。学生時代から国際協力に興味を持ち、サンフランシスコにて民俗学やセクシャルマイノリティについて学ぶなかで多様性について考えるようになる。現在は、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てながら、「ルッキズム」「ジェンダー格差」を始めとした社会問題を次世代に残さないための発信にも取り組む。

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