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しゃべるっきずむ!見た目問題とルッキズム、ふたつの視点から|前川裕奈さん×外川浩子さん(1)

  • 2024.5.31
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「見た目問題」と「ルッキズム」

ーー見た目で人のことを判断する「ルッキズム」の概念のなかには、前川さんが積極的に発信する「社会の定義する“美”」の問題のほか、外川さんが活動されている「見た目問題」もあると思います。最初に、「見た目問題」ついて、改めて教えていただけますか?

外川:「見た目問題」は、顔に大きな火傷やアザがあったり骨が変形する症状があったり、脱毛症やアルビノなども含め、見た目の特徴によって社会の中で不利益を被っていることを指しています。街中でジロジロ見られるストレスなどもありますし、見た目のせいで偏見や差別に晒されたり、就職しづらいなどの現実もいまだにあるんです。そういった社会の仕組みにも声を上げています。

前川:「ルッキズム」は大きな括りで言えば、症状による「見た目問題」も含まれている言葉だと認識しています。その上で今回は、私が主に発信している「社会で求められる画一的な美」に関する問題を「ルッキズム」、症状がある方々への差別・偏見などを「見た目問題」と表現させてください。

外川:わかりました。

しゃべるっきずむ
左から、前川裕奈さんの著書『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)、外川浩子さんの著書『人は見た目! と言うけれど――私の顔で,自分らしく』(岩波ジュニア新書)。Photo by Mana Wilson

前川:実はルッキズムについての本を出して、外川さんを始めとした「見た目問題」に関わる方々からポジティブな反応があったことに安堵したんです。私自身はアザや変形など症状の文脈ではない「体型へのコンプレックス」「偏った美」などをメインに書いたけれど、正直、当事者(事故や病気などによる見た目の症状がある人)の方々からしたら「ダイエットなどの話を、ルッキズムという同じカテゴリーで語らないで」と反感を買うんじゃないか、と。

外川:そうだったんですか。

前川:ただ、私自身が当事者になることはできないから、私は「私に見えている世界」を書こう、と執筆したのがこの本です。それを読んだ当事者の方々から「それぞれ悩みがあって、悩む権利がある」と言ってもらえたのが、すごく嬉しかったんですよ。

外川:私が裕奈さんの本を読んでイメージしたのは、違う道を登りながら同じ山頂を目指しているような感じ。見えている景色は少し違うけれど、向かっている先は同じなんじゃないかって。ただ、そう思ったのは私自身も当事者じゃないからかもしれないし、当事者の方々もそれぞれ感じ方は違うとは思います。

前川:そうですよね。「見た目問題にぶつかっていない私が、ルッキズムを書いていいのか」と思うこと自体が、もしかしたら私の中で無意識に区別してしまっていたのかも。「何がわかるんだ」と言われてしまうんじゃないか、と。

外川:それは実際、当事者同士でも起きることなんですよね。症状にも濃淡があるので、症状が部分的で目立たない人もいれば、顔全体が大きく変形している人もいる。だから、症状がある人の中にも「自分がこの問題を語っていいのか?」という葛藤が生まれることもあるんです。

前川:そうか、すごくグラデーションがあるんですね。単純に「みんな」とまとめてしまうのは、暴力的なことでもありますね。

外川:でも、やっぱり私は大きな方向性は同じだと感じています。マイフェイス・マイスタイルとして活動の指針にしている「誰もが自分らしい顔で、自分らしい生き方を楽しめる社会」。それぞれ悩みは違っても、最後は誰もが見た目でジャッジされずに楽しく生きていけるといいなと思います。

前川 外川
前川裕奈さんと外川浩子さん Photo by Mana Wilson

ルッキズムは、声を上げづらい?

外川:ただ、「ルッキズム」って、なぜかちょっと敵を作ってしまう言葉ではあるよね。見た目に症状がある人たちがつらいと発信しても、周りが攻撃的なことはなくて、むしろ「大変だよね」という声の方が圧倒的に多い。けれど、 ルッキズムに関してはどうしても反発したくなる人が多いのかもしれません。

前川:そうなんですよねえ。例えば、「セクハラやめろ!」という声に対して「いや、セクハラ最高だよ」と反論してくる人は、いないと思うんですよね。無意識にやっちゃってる人がいたとしても、基本的には「セクハラ=ダメなこと」だと社会に認識されている。これまで発信や活動をしてきてくれた方々のおかげ。「見た目問題」に対する共感も、そちらに近いと思うんです。

外川:そうですね。

前川:でも、ルッキズムはまだ新しい言葉で、いろいろな考えや意見がある印象です。「美しいものを好きと言って何が悪いの?」「整形しないと恋人ができないし」「ブスいじりもコミュニケーションのひとつなのに」など。本当に多様な価値観のなかで、「ルッキズム」という一言で、正義と悪を分けられないんです。

外川:それはすごくあると思う。でも、私はこの数年で「ルッキズム」という言葉が市民権を得始めたのは、やっぱりみんながモヤモヤしてきたからだと思うんですよ。必要以上に見た目が注目されて、いろいろなものを判断される社会に違和感を持っていたけど、 それを表す言葉がなかった。「ルッキズム」と名前がついたことで、これだ!ってなっているんじゃないかと思います。

前川:そうですね。今はまだ「ルッキズム」の定義も人それぞれ。もう少し整理することができたら、社会への受け入れられ方も変わるのかもしれません。

化粧やウィッグは「ありのまま」ではないのか

前川:ルッキズムの話をしていると、「化粧をしている時点で、ありのままの自分を愛せてないじゃん」みたいなこと言ってくる人もいるんですよね。でも、毎日すっぴんでいることが“ありのままの自分”というのは解釈が違うわけで……。

外川:顔にアザがある人が「アザのない顔になりたい」と思うのは、ありのままの自分を受け入れていないのか?みたいなことにも通じますよね。「ありのまま」という言葉自体、誤解を招く場合が多いので私はあまり使わないようにしています。私は「その人が一番楽な生き方をすればいい」と言ってるんです。

前川:なるほど、「一番楽な生き方」という言い方はしっくりきますね。

外川:当事者の中にも「治療するか・しないか」「隠すか・隠さないか」みたいな考えが分かれることがあります。例えば、脱毛症の方にはウィッグをつける人とスキンヘッドのまま暮らす人がいます。そうすると「隠さずに生きているほうが潔くてかっこいい生き方なんじゃないか」と、ウィッグをつける自分を認められない人もいて、それは危険だなと思うんです。私は、今その人にとって一番生きやすい、楽でいられる方法を取ればいいと思っています。

前川:メイクや整形、ダイエットなど、私も同じような考えで否定はしていないんです。私もマラソン前とかに意図的に減量する時がありますし、メイクも大好きです。ただ、社会の圧力で無理に変わろうとしなくていい。「生きやすさ」と「社会の圧力」は密接に関係しているから、難しいんですよね。

外川:わかります。「見た目問題」の活動をしていると、よく「きれい・美、そこに憧れる気持ちを全否定している」と囚われてしまうこともあるんですけど、全然そういうわけではなくて。きれいやかっこいいという感覚は持っていいし、それに憧れることも悪いことじゃない。けれど、その決められた範囲にハマれない人がダメってわけじゃないんだ、と。症状がある人でも、自分らしく気楽に生きていけたらいいなと思っているだけなんです。

前川:私が発信しているルッキズムも同じ。社会が決めた美の枠にハマらない自分はダメなんだと思わされるような社会を変えたい、ということなんですよね。視覚的な印象で「かわいい、好みだ」みたいな感想を持つのは当たり前の感情だから、それを否定はしたくない。ただ、それをわざわざ口に出して相手をジャッジする必要はないよねと。

前川裕奈
Photo by Mana Wilson

「接し方」に正解なんてあるのか?

前川:私はいつも「褒め言葉であっても、具体的な身体の特徴に言及しない」と発信しています。それは私自身が「痩せたね〜!」みたいな褒め言葉からダイエット沼に堕ちていった経験があるからです。逆に増量したい人にとっては「痩せたね」は傷つく言葉になる可能性もあるし。見た目問題の当事者の方の場合は、どうなんでしょう?

外川:「症状がある方に、どう接したらいいですか?」は、よく聞かれる質問です。私は逆に「何か特別なことあるのかな」と思うんですね。例えば、仕事先で症状がある人に出会った時、仕事の話をする上では症状の有無って関係ないはずなんですよね。だから本来は、そのまま仕事の話をすればいい。症状のない人たちと同じように接すればいいだけの話なんです。

前川:たしかに。

外川:一方で、重い症状の人に出会ったときに驚いたり緊張したりしてしまうのはしょうがないことだとも思っていて、その反応を責める気はないんです。おそらく多くの人が気になっているのは「見ていいのか。聞いていいのか」みたいなところですよね。その質問には、私は「気になるなら聞けばいい」と答えてます。

前川:聞いちゃっていいんですか。

外川:あけすけに何でも聞いていい、という話ではないんですけどね。例えば、車椅子や全盲の方と仕事をするなら、「この段差はどうやってお手伝いすればいいですか?」とか「点字がないんですけど、どう説明したらわかりますか?」とか聞きますよね。好奇心だけで聞くのは違うけれど、気になりすぎて話に支障が出るくらいなら「ごめんなさい、どうしても気になって……」と聞いてみたらいいんじゃないですかって。

前川:相手にもよるってことですよね。「チラチラ見られるぐらいなら聞いてくれ」と思う人もいれば、「触れないでほしい」と思う人もいるかもしれない。もうそれは、一対一のコミュニケーションということですよね。

マイフェイス
写真提供:NPO法人マイフェイス・マイスタイル

外川:そうそう、私は「どうしても気になるなら聞けばいい」と言いますけど、やっぱり聞かれたら嫌だという人もいる。もし相手が嫌な気持ちになる人なら、もうそれは「聞いちゃってごめんね」と謝るしかないんです。個人間のコミュニケーションだから、正解はないんですよね。

前川:答えがないのは、ルッキズムにも通ずるかも。でもやっぱり、見た目のことは本人が切り出さない限りは、あえて話題に出す必要がない社会になるといいな。現実社会は、まだまだほど遠いですが……。

*次回、現実社会では、まだまだはびこる「ルッキズム」と「見た目問題」。実際、どのような場面で、おふたりが「まだまだ変わるべき!」と感じるのかを聞きます。こちらから。

Profile

外川浩子さん

NPO法人マイフェイス・マイスタイル(MFMS)代表。 東京都墨田区生まれ。

20代の頃につきあった男性の顔に大きな火傷の痕があったことがきっかけで、見た目の問題に関心をもつようになる。一緒に街を歩いているときも、電車に乗っているときも、たくさんの人たちの視線を感じ、「人って、こんなに無遠慮に見てくるんだ!?」という驚きと、見られ続けるストレスにショックを受ける。

2006年、実弟の外川正行とマイフェイス・マイスタイルを設立。見た目に目立つ症状をもつ人たちがぶつかる困難を「見た目問題」と名づけ、交流会や講演などを通して問題解決をめざし、「人生は、見た目ではなく、人と人のつながりで決まる」と伝え続けている。

作家の水野敬也さんとともに『人は見た目!と言うけれど―私の顔で、自分らしく』(2020年、岩波ジュニア新書)。

前川裕奈さん

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『ルッキズムひとり語り」。

ウィルソン麻菜

「物の向こうにいる人」を伝えるライター。物の生まれた背景を伝えることが、使う人も作る人も幸せにすると信じて、作り手を中心に取材・執筆をおこなう。学生時代から国際協力に興味を持ち、サンフランシスコにて民俗学やセクシャルマイノリティについて学ぶなかで多様性について考えるようになる。現在は、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てながら、「ルッキズム」「ジェンダー格差」を始めとした社会問題を次世代に残さないための発信にも取り組む。

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