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母親から娘へ。女性の間で受け継がれるもの|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載

  • 2024.5.30
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※このエッセイは複数の小説について言及し、その結末についても触れています。桜庭一樹作の『赤朽葉家の伝説』、山内マリコ作の『一心同体だった』、川上未映子作の『夏物語』。ご了承ください。※

私のベルリンでの日常では、いろんなご縁があって小さい子供と遊ぶ機会に恵まれている。
友だちと会うついでに保育園のお迎えに一緒に行ったり、半日預かったり、一歳未満の赤ちゃん3人をあやした(正確には「あやそうとした」だけど)こともある。

子供と遊ぶのは好きだけど、20代の頃はそういうときに複雑な気持ちが混じっていた。

10代まではいつか自分も結婚して母親になり、子育てに自分の30代、40代を捧げるのだろうと思い込んでいた。私と妹は両親にそうやって育てられてきたし、自分もその「普通のパターン」の路線を自分は走っているのだと疑わなかったから。

疑問を覚えるようになったのは、20代後半になってからのことだった。
長年の抜毛症が悪化し、会社にも行けなくなり、心療内科にたどり着いた。

そのカウンセリングで知らずに蓄積していた心の澱をゆっくりと掬い取っていくうちに、家族との関係や、これまで「常識」として受け入れていたけれど実は私には不必要だったもの、一度じっくりと検証が必要な価値観を発見することになった。

「普通の家族」の中で「幸せに育ってきた」と信じていた。
子供の頃の私は、心配事がたくさんある子供だったけど、本当に幸せだった。

でも医療機関にもつながれず、家の中で一人、大量の髪の毛を抜き続けた10代の私は、幸せだったのだろうか。

中学に行かなくなって地元で隠れるように生活していた私は、社会生活の中でなにかに大きく躓いていたんじゃないだろうか。
自分で思っていたよりも深刻に。

その後も集団の中での人間関係がいつまで経っても苦手で、内向性は年々強くなっている気がする。
そのおかげでフルタイムの仕事も続けられなくて、経済的に余裕はない。ボーナスとか一度ももらったことがないし。

そして一体どうして自分がこうなったのか、自分が形成されたこれまでを振り返るとき、どうしても過干渉だった母に対する複雑な感情が拭えずにいる。
いつも私の一番近くにいたひと。いつも私のことを考えて最善を尽くそうと誰よりも奮闘していたひと。かつては一番の理解者だったひと。
どうして突然母の愛を受け取れなくなったのか、30歳を過ぎた今でも、いったいなにが起きたのかうまく咀嚼できずにいる。

こんな私も、いつか子供を持ち、母のような母になり、私のような娘を生み出すのだろうか。
友人の子供を抱きながら、考えずにはいられなかった。

人生を共にする素敵なパートナーが出来てからは、この考え事が頭の中の割合を多めに占めるようになった。
いつでも考えていた。答えは出ないんだけど。
きっといくら脳内会議を繰り広げたところでこの問題に関しては答えなんて出ないんだと思う。なるようになる、としか。

考えすぎたせいか、ここ数年ある予感に捕らわれてきた。

もし子供を産むとしたら、自分からはどうも女が生まれる気がする。

こんな妄想をするのは、自分が女系の結びつきが強い家族の中で育ってきたせいかもしれない。

私は二人姉妹の姉で、妹とはそれはしょっちゅう喧嘩をした。二歳差の同性というのは、特に幼い頃は最大のライバルだった。
母は私たち娘のことを自分の一部だというような感覚を持っているようだった。特に長女である私と自分を重ね合わせているような節があった。私たちは外見的「欠点」が似ていて、そして私は母よりも「優秀」らしかった。「貴女なら何でも出来る」というのは母が猛烈に私のケツを叩くときの口癖だった。

その母は三姉妹のうちの一人で、三姉妹は今では祖母も含めて四人でしょっちゅう喧嘩しながらも、祖父母の介護を中心とした引力でつかずはなれずの摩訶不思議な関係を維持し続けている。

そういう祖母も八人兄弟のうち六人が女性という家で育っている。京都弁を操るおばあちゃんがあと五人もいたのかと思うとちょっと怖い。たとえ言い争いになっても孫に勝ち目はない。

我が家の家系は、我と彼女との境界線が淡いように思う。英語で言うところの「バウンダリー」が随分と遠くに壊れかけてある感じ。でも誰もそのことに気がついていない。近い親戚で集まると、母から娘への干渉と反発、そして姉妹間の諍いが至るところで発生しているので、うちの磁場はいつも少しだけ狂っていたような気がしている。

幼かった妹の熱くてすべすべの肌、自分より小さな身体が、すぐ近くに寝ていたのを昨日のことのように思い出せる。
それから隣で寝る母のTシャツの袖に手を入れて、寝付くまで母のひんやりとした二の腕に触っていたこと。

女の人がとても身近にいることが当たり前だった。母は私たちが小学校の後半になるまで専業主婦だったから一緒にいる時間も長かったし、妹とは肌がふれ合う距離で育ってきた。伯母たちはいつでも第二の母のようだった。祖母はいつでも存在感があって、私たちへの影響を持っていた。

なにも旧時代のように男女ではっきりと二分したい訳ではないのだけど、女性たちが台所に集まったときの濃密な雰囲気、目には見えないけどはっきりと感じられる対立、いざというときの姉妹のような連帯、なにかあったときのあからさまな不信感のある視線。
そういうものが私の思う女性的なものだということに、ここではしておきたい。

桜庭一樹作の『赤朽葉家の伝説』という傑作がある。
山陰地方を舞台に、ある旧家の三世代の女性を描く重厚な物語で、それぞれの時代も色濃く反映されている。その土地の産業や当時の社会の様子、そこにごく自然に混じるマジックレアリズム的な描写から、山陰という土地の持つエネルギーを感じる土着の物語でもある。
ページを開いた私はあっという間に引き込まれ、その濃厚さに度肝を抜かれた。
そして初めてこの本を読んだとき、この家と同じものがはっきりと自分の家にも流れていると直感したのだった。脈々と流れる、私の思う「女性的ななにか」が。

寒くなってきて正月の準備が頭を過るような11月の下旬頃、毎年のようにこの小説を読み返したくなる。

生殖に必要なのは生物学上の男女だけど、家を守ったり繁栄させたりという点では女性の政治のように感じてしまう。相反するような感情が両立する胸中、掛け値のない愛情と、誰かとの恒常的な比較や、第三者から見ると理解のできないような類いの嫉妬、過去の未清算の出来事とが入り交じった複雑な計算式が、無意識下で働いているような気がする。

平和なだけではないんだよね。なにかあったときの最大の身方であり、自分を阻む最大の敵にもなり得る。
表裏一体というか、裏と表が同時にこちらを向いて存在している。

あくまで私の主観なのだけれど、これまでうちの家族の中で見聞きしてきた「女性的ななにか」をできる限り言葉にしてみるならこんな感じ。

京都の六人姉妹の祖母から、母たち三姉妹へ、そして自分たち姉妹へと脈々とそういうような気質とか文化みたいなものを引き継いでいるんじゃないだろうかと推測している。

こういうものの見方をする私からは、女の子が生まれるのは必然なんじゃないか。

この脈々と流れるものが自分から誰かへ引き継がれるのが嫌な気がする。
逆に、そうあるべきなような気もする。

お母さんとの関係が複雑そうだなと思って話を聞いていた女友だちが、男の子を産んだりすると、「あの流れ」を上手く断ち切ったんだね!って思う。考えすぎて立ち竦むようなこともなく、気軽に当たりくじを引き当てたような感じもして、うらやましい。

しばらくは私も男の子なら産みたいと思っていた。シスジェンダーの子でも、トランスジェンダーの子でもきっと上手くやっていける。きっと自分とはまったく別の存在として思い切り可愛がれるだろう。
ただ、自分の属性と同じ、女の子の心身を持つ女の子だけが私を躊躇わせる。

子を持つかどうか、ということを半ば真剣に悩みはじめて、さらに迷宮に入り込んだ。

そのときにちょうど読んでいたのが、川上未映子作の『夏物語』だった。
物語の序章では主人公の夏子は31歳で、作家として生活することを目指している。東京での生活はカツカツそうにみえる。そんな夏子に大阪から姉と姪が訪ねてくる。
時は進み、物語は夏子が38歳になった年の描写になる。しんどい生活を抜けて、作家としてある程度の成功はした。子供がほしいと思うが、独身で相手がいない。年齢のことも考慮すると、今から順序を追ってパートナーを探し、子を産み育てるには相当厳しい状況にあるように見える。

読み始めたとき、裕福で条件に恵まれた人ではなくて、夏子のような普通の女性が主人公であること、そして同世代だったことに親近感を覚えた。それはとても自分に近いところにある物語のように感じられた。

また、回想を通じて夏子の家族を知る。姉の巻子、姪の緑子、亡くなったおかんと祖母のコミばあ。助け合ってきたのは女の家族だった。肌の熱を感じる距離感が伝わってくるようだった。

Twitter上で見聞きしたような身近なフェミニズム的問題提起も多かったから、すっかり現実の話だと思って、わかるわかるって呻きながら読んでいた。
だからこそ、物語の結末に納得できなかった。

悩める夏子に、好意を寄せてくれる男性医師、逢沢が現れる。彼自身は匿名の精子提供で生まれてきた子供であったために自分の出自に関して不確かさを感じていた。夏子は一時は海外での精子バンクの利用を考えるが、最終的にはなんとこの男性からの提供で子供を出産する。夏子は性交痛があってセックスできなかったのに、問題がすべて綺麗に解決されたことに愕然とした。逢沢は精子提供に反対の立場だったことも考えると、あまりに都合がよく感じられてしまった。

ここまで綴られてきた現代日本の女性のしんどさ、家族との記憶、自分の葛藤があれだけあったのに、結末があまりに現実離れしているんじゃないか。

流れが断ち切られたように感じていたから、私は生まれた子は男の子じゃないかと思っていた。しかし最後のページに女の子だったと書いてあって、肌感覚では正直納得できなかった。そしてリアルタイムで悩みを抱えて読んでいる身としては(最初の夏子と同じ31歳だし)、ずっと伴走してきたのに、最後の最後で宇宙の彼方においていかれたような読了感があった。

38歳の夏子により近い立場の読者は、いったいどう感じただろうか。

実は私がこの小説になんとなく期待をしていたのは、子を望む夏子が「生む」と「引き取って育てる」という選択をどちらも検討するのではないか、ということだった。

現実では、「子を持つ」と決断したら大体の人が自分で生むつもりになる。人工授精を何度も繰り返した後でようやく「引き取る」という選択肢が出てくるような気がしてならなくて、ただそこに葛藤もあるのもよく想像できる。

現実の生身の人からそういう赤裸々な悩みを聞く機会はなかったから、小説の中で知りたいと思っていたのだった。

更に迷宮の奥に迷い込んだ私に、思いもかけない希望の光をさしてくれたのは、山内マリコ作の『一心同体だった』だった。

リレー形式の小説で、同い年の女性8人をつないでいく。1990年10歳の千紗から始まり、数年刻みに1998年18歳のめぐみ、2005年25歳の步美、2020年40歳の絵里へというように繋がっていく。

私と山内マリコさんが生きてきた時代には、だいたい10年ぐらいのズレがある。にもかかわらず、彼女の小説を読む度に私は強烈に、これは私の物語だ、と感じる。自分の内なる記憶、写真にも文章にも残してこなかったあのときの私が見ていた景色が目の前に広がるような感覚を覚える。

10歳の少女の視点から始まるこの物語は、そのクラスメートが14歳の時点にバトンが渡され、さらにそのまた友だちの高校時代へと手渡されていく。
8人の主人公それぞれに、私は誰かを思い出して重ね合わせずにはいられなかった。人生で初めてできた親友、互いの存在は気にしつつもなかなか仲良くなれないまま卒業していったクラスメイト、昔は仲が良かったのに就職して少しずつ距離が開き今ではもう何を話せば良いのか分からなくなってしまった友だち、職場でちょっと苦手だったあの人のことも。 私がこれまでに人生のどこかですれ違ってきた女の人たちの姿が次々に浮かび上がってきて、その人たちそれぞれの生活や性格や状況がますますその姿にリアリティーを与える。

彼女たちのことがとてもとても恋しくなって、もう会えないかもしれないけれど、どこかで元気にやっていてほしいなって、自分の心の窓から思わず念を送った。

私が驚き心底喜んだのは、最後の主人公40歳の絵里の新しい友人が、物語の最初の主人公の千紗だったこと。そしてもう一つは、絵里が家父長制や一世代も二世代も古い価値観が根強く残る地方都市で、嫁としての駒になり、結婚・離婚・再婚を経験し、都市部出身の女子とのキャリア上の格差を知り、妊娠によるキャリアの断絶が余儀なくされ、そういう悔しい思いをしてきた絵里が頑張って生んだ子が、また女の子だったということだった。

物語は巡り、鮮やかにつながっていく。
苦しさは断ち切ることはできない。母から娘へと手渡され、それでも状況は少しずつでもよくなっていくと、この物語は信じさせてくれた。

現実を生きる強かさがこの物語の中にはあって、それがこんなに美しい形で可視化されている。まるで宝物のような小説だった。

小説を読んだあとも、私の答えはまだ出ていない。
どうなってもいいような気がする。かつてのように自分の年齢を危惧して早く答えを出さなければ!という強迫観念も薄れた。

結婚も出産も子育ても。かつては一本線のように感じていたけど、それらは同軸上にあるものではないんだよね。
そして自分のこの一回の人生で、全てを経験する訳ではない。結婚しない人生も、出産はせずに子育てをする人生もあるでしょう。

そもそも私は計画性の少ない人間であるし、未来のことはわからないけれど。
このエッセイを書こうと奮闘するうちに、「自分がどこから来たのかはよく知っている」と思った。

我が家特有の、面倒くさい女系家族の距離の近さや、時々うざいぐらいの面倒見の良さ。今でも思い出せるぐらい、妹の肌の熱が伝わる近さで育ったこと。あの人たちの中で大事に育てられてきた私。紛れもない自分の出自だという気がする。

そういう関係性の記憶が、今の私の体温を保っているような気がしている。

この先もきっと私はこの体温で生きていくんだろう。

それさえ納得していれば、今の私には十分な気がした。

悩みの答えをどうするかは、のんびりと時が来るのを待つことにする。

Gena

90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。

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