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だから「マイナ保険証」利用率は6.5%どまり…岩田健太郎「成功か失敗か吟味しない日本のお役所体質の残念さ」

  • 2024.5.29
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成功するために必要なものは何か。医師・岩田健太郎さんは「どうしたら失敗するのかを熟知することこそ、成功への最良の方法だ。しかし日本のお役所仕事には成功の条件が設定されないままプロジェクトが始まることが多い。成功したか失敗したか総括しないままに、『仕事をした』ことになる。マイナカードはそのよい事例だ」という――。

日本海総合病院を訪れ、マイナンバーカード受付専用機を視察する岸田文雄首相(左から3人目)=2024年5月19日、山形県酒田市[代表撮影]
日本海総合病院を訪れ、マイナンバーカード受付専用機を視察する岸田文雄首相(左から3人目)=2024年5月19日、山形県酒田市[代表撮影]
マイナンバーカードにビジョンなし

日本の役所は成否を吟味しない。いろいろなプロジェクトを立ち上げるが、「成功の条件」が明示されることはほとんどない。したがって「絶対に失敗しない」。そのプロジェクトが「成功したか」「失敗したか」を総括しないのだ。

仮に「総括」したとしても、「それなりに成果はあった」という詭弁を用いて終わりだろう。アウトカムを設定していない以上、「それなりにがんばった」と言うだけで成功したふりはできるから。

もちろん、日本の役人はとても勤勉だから、「そこまでやらなくても」と言いたくなるくらい、一所懸命仕事をしてくれるだろう。しかし、プロの世界ではアウトカムが大事なのだ。徹夜で素振りをして、翌日の試合で凡退ばかりしているバッターに「成果があった」という評価は与えられまい。頑張ることは、手段であって目的ではないのである。

例えば、しばしば議論になるマイナンバーカードもそうだ。結局、人々がマイナを持つことで、どのような社会にしたいのか、明確なビジョンが示されたことはない。

コンビニで住民票が手に入る? 住民票などしょっちゅう必要になるわけでなし、それがマイナのメリットというにはあまりに小さなメリットだ。そんなもの不要だ、という人も多いだろう。

健康保険証の代わりになる? 多機能なマイナンバーカードを毎回受診するたびに持っていくのは逆に不安にならないだろうか。紛失したときの再発行手続きも大変だ。実際、厚生労働省によれば、今年4月時点での利用率は約6.5%どまりだという。

下手を打ったマイナのポイント

結局、多くの人にとってマイナカードの最大のメリットは、「ポイント」だったのではなかろうか。まるでおまけのおもちゃがついているガムのようなもので、多くの子どもは「ガム」はあってもなくてもよいものなのだ。

私は米国生活経験があるので、ソーシャルセキュリティナンバーの重要性をよく理解している。日本住民がマイナンバーを持つことで得られるメリットも理解できる。しかし、下手にそれをカードにくっつけてしまったがゆえに、メリットの多くは激減してしまった。マイナンバーを活用した未来のビジョンこそが、政治家が示すべきものであろう。それはまだ示されていない。

このようなアウトカムを設定せずに、プロジェクトチームを立ち上げ、会合を開き、予算をつけて、予算を使い、そして報告書を書けば「仕事をした」ことになるお役所仕事に辟易とする。

山積みの書類
※写真はイメージです
日本の「なんちゃって」アクティブ・ラーニング

成否を吟味すること。それは、失敗を知ることでもある。与えられた「教え」に疑問を抱き、「本当にそのまま飲み込んでしまってよいのだろうか」と自ら悩み、考える。そして実行する。要するに、アクティブ・ラーニングが必要なのである。

しかし、大学でも(少なくとも医学部では)、大量正確咀嚼そしゃく型の学生の方が高く評価される。最近は360度評価と言って、いろいろな評価者が多面的に人物を評価する方法も取られているが、医者が評価しようが、看護師が評価しようが、大量正確咀嚼型の学生の方が優れている、という信念を共有し、その信念に基づいて教育している限り、評価に多様性は生まれない。結局、少人数で議論しようが、発表をさせようが、そういうパッシブなメンタリティのままで学んでいる限り、結果は同じことである。

日本のアクティブ・ラーニングは総じて「なんちゃって」アクティブ・ラーニングである。360度評価も多様性を許容できない限りは「なんちゃって」である。

日本のみならず、海外でも同じことが言えると思うが、どの医学部でも少数の優秀な学生はいて、彼らはどんなシステムにおいてもアクティブ・ラーナーだ。授業は前列で聞き、教師の言葉を鵜呑みにせずに「どうしてなんだろう」と脳内で葛藤し続ける。

他方、これまた少数の学生はどの医学部でもやる気がなく、アクティブな学びはしない。友人のノートをコピーし、サボれる授業はできるだけサボり、効率的に狡猾に進級だけは達成しようとする。「馬を水飲み場につれていくことはできても、水を飲ませることはできない」とよく言われるが、結局のところアクティブ・ラーニングとは本人次第なのである。

失敗経験が乏しい人の弱点

本当のアクティブ・ラーニングとは、自らの学習法を試行錯誤しながら自ら開拓していく学び方のことだ。

「試行錯誤」とは失敗の連続を許容することである。それは時間の無駄遣いと捉えられることがあるが、そんなことはない。失敗は「その道を通らない方が良い」という学びである。

失敗を重ねるからこそ、「これならば成功できる」という確固たる自信がつく。失敗に対する恐怖心も薄らぎ、失敗に対するレジリエンスも育まれる。エジソンの「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」は至言なのである。

他人に与えられた「これが成功するパスウェイ」しか知らない人は、失敗の経験に乏しい。「こうすれば成功する」ことは理解できても、「どうしたら失敗するのか」は分からない。本当は、「どうしたら失敗するのか」を熟知しているからこそ、「その成功のパスウェイこそが、失敗しない最良の方法なのだ」と腑に落ちて理解できるのだが。

的に刺さったたくさんの矢
※写真はイメージです
医学生は「今のうちにたくさんしくじるように」

失敗の体験無しで「成功方法」だけを知っている人は、例えばその方法が面倒くさいときなどにはサボってしまう。

例えば医療の世界では、当直で寝不足で疲れているときに、必要な検査を怠ってしまう。患者の容態が悪くなるのは、こうしたタイプの失敗だ。「それが成功へのパスウェイだと教わっていたけど、めんどくさくなって」と考えてしまうのだ。「それが成功へのパスウェイなのは、それをしないとこういう失敗が待っているから」というところまで、理解の深度が至っていないのである。

もちろん、何でもかんでも大失敗では困る。特に医学部では「失敗」は人の命がかかっているから、「気軽に失敗しなさい」とは言えない。そこは程度問題なのであるが、少なくとも医学生の間は直接患者ケアに関する意思決定はしない。あくまでもシミュレーション、追体験である。

だから、医学生には「たくさん失敗するよう」奨励している。「どうせ、君たちが失敗したって患者は死なない。今のうちにたくさんしくじるんだ。医者になったら、そう簡単にしくじることは許されなくなるのだから」と。

失敗と挑戦を繰り返して成功するイメージ
※写真はイメージです
なぜ「正確な診断」が大切か

失敗体験を重ねながらのほうが「どうすれば成功するのか」をより明確な解像度を持って理解できる。

Aという薬を選ぶ力だけでなく、なぜBやCやDを選ばないかを明確に説明できる人は、BやCやDがもたらしかねない「失敗」の可能性を説明できる人なのだ。

そのためにも「正確な診断」の習慣をとても大切にしている。発熱患者に適当に抗生物質を投与して、患者がなんとなく治ったのは「成功」と言えるだろうか。そうではない。そのような雑な方法ではいずれ「治せない」患者が出てくる。

日本の感染症診療のレベルは低いので(これでも数十年前よりはだいぶマシになったのだが)、「正確な診断無しでとりあえず薬を出す」という雑なプラクティスが横行している。よって、その医者は成功しているのか、失敗しているのかすら理解できていない。

失敗しても「患者が原因不明の急変に陥った」という言い訳で逃げてしまう。「正確な診断」にこだわっていれば、なにが失敗の原因だったかはっきり分かるはずなのだが。

当たるも八卦、当たらぬも八卦な医療

例えば、「血液培養」という検査がある。これは血液を採取し、その中にいる感染症の原因微生物を見つける検査である。海外では何十年も前から一般的に行われてきた検査だが、日本でこれが行われるようになったのは比較的最近のことである(私が研修を受けた沖縄の病院など、例外はあるが)。

私がアメリカで感染症の後期研修を終えようとしていた2002年頃、日本に帰国しようかどうか迷い、当時の大学病院をいくつか訪問、見学したことがある。巨大な大学病院で行われている血液培養の総量が、ホテルのミニバーみたいな小さな機器にしか入っていなくて絶句したことがある。

大学病院の医者は、発熱患者でも血液培養を取らず、「原因不明確なまま」治療をしていたのである。「感染症を診断せずに、原因微生物を検出せずに」、適当に抗生物質で治療し、当たるも八卦、当たらぬも八卦な医療をしていたのだ。

患者が治ればラッキー、治らなければ「謎の急変」である。そのため、いろんな菌を殺す広域抗菌薬が乱用されていた。広域抗菌薬は薬剤耐性菌を選択させるため、大学病院は薬剤耐性菌だらけ、さらに感染症治療を困難にしていた。

成功とは明確なアウトカムを得ること

私は、診断にあまりに軽薄な当時の大学病院に絶望し、日本に帰国するのは諦め、あれやこれやの事情からSARSが流行していた北京の診療所の医者になったのだった。その後、千葉県の亀田総合病院というしっかりした病院からお声がかからなければ、日本に帰国することなく、ずっと中国で診療所の医者をしていただろう。

真に「成功する」とは、「成功しているのか、失敗しているのかがはっきりしている」という条件下で成功することである。

成功とは明確なアウトカムを得ることであり、そのアウトカムを得ないということは失敗だと理解することである。失敗の定義がないままで感染対策をしたダイヤモンド・プリンセス号のアウトブレイクと同じである。

壁を突き破った矢印
※写真はイメージです

岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。

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