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「映画館に革命が起きるのではないか」映画『若武者』二ノ宮隆太郎監督&主演・坂東龍汰スペシャル対談。異色の青春映画を語る

  • 2024.5.29
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写真:武馬玲子

2023年に映画『逃げきれた夢』がカンヌ国際映画祭ACID部門に正式出品された、二ノ宮隆太郎監督の最新作『若武者』が5月25日(土)より渋谷ユーロスペース他で世界同時期公開となる。今回は二ノ宮監督と主演を務めた坂東龍汰さんのロング対談をお届け。異色の青春映画の魅力を深掘りしていただいた。(取材・文:山田剛志)*本記事は物語の核心に触れる部分があります。
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●「普段の坂東くんとは真逆のキャラクターなので頑張ってね」着想のきっかけと作品の成立過程について

―――まず二ノ宮監督に本作の成り立ちから伺えればと思います。昨年公開の前作『逃げきれた夢』は主演の光石研さんから聞いたお話が着想源になったとのことでしたが、本作に関してはいかがでしょうか?

二ノ宮隆太郎(以下、二ノ宮)「映画を志した時から若者3人の物語を作りたいという想いがずっとあったんです。企画段階から僕と同じ事務所(鈍牛倶楽部)に所属する坂東くんと髙橋里恩くんには出演してもらおうと思っていて、もう1人加えて3人の話にしようと。脚本はあてがきでした」

【写真】坂東龍汰の多彩な表情が堪能できる写真はこちら。映画『若武者』インタビューカット一覧

――――坂東さんが二ノ宮監督の作品に出演するのは今回が初めてですね。過去作はご覧になっていましたか?

坂東龍汰(以下、坂東)「初めて『枝葉のこと』(2017)を観た時、『こんな映画作る日本人いるんだ!』と衝撃を受けて、それ以来すべての作品を観ています。今回お話をいただいた時は嬉しかったですし、主演として二ノ宮ワールドに参加できることをめちゃめちゃ楽しみにしていて」

―――坂東さんが今回のプロジェクトに参加された時、すでに脚本はできあがっていましたか?

坂東「脚本を見せてもらう前に監督と一度ご飯を食べる機会があって。その時『普段の坂東くんとは真逆のキャラクターなので頑張ってね』と言われました(笑)。同じ事務所ということもあって、それまでも話す機会はわりとあって。僕の性格を把握した上で渉っていうキャラクターを作ってくださって。当時、脚本を書いている途中でした?それとも書き終わっていたんですか?」

二ノ宮「まだ頭の中に構想がある段階だったかな。まだ脚本も完成していないのに、坂東君に出てくれ攻撃をしていました(笑)。その時点では『若武者』というタイトルも思いついていなくて、坂東くんと髙橋くんのお話を聞いて筆が進んだ感じですね」

●「誰が見ても『こんな映画、他にない』と思ってもらえるような作品を目指していた」渉というキャラクターの特異性について

―――坂東さんのお人柄、キャラクターが創作のヒントになったとのことですが、どのような部分に触発されたのか気になります。

坂東「内面の部分ではないでしょうか。それは英治を演じた髙橋里恩にも言えて。表面的な部分とまたちょっと違った、思考の核のようなものが描かれているのかなと」

二ノ宮「うん。確かに、そうですね」

―――言葉にしづらいとは思うのですが、二ノ宮監督が坂東さんの内面に見て取って、渉というキャラクターに反映させたものを言葉にするとしたら、どのようなものになりますでしょうか?

二ノ宮「なんていうんですかね…見てのとおり坂東君は明るくて好青年なんですけど、どんな人間にも色んな要素があって。表面に見えていない奥の部分がもしこうだったら…とイメージを膨らませていったという側面はあります」

坂東「僕のどこに渉的な要素を感じてもらえたのかわかりませんが、表面的な部分じゃなくて、人には見せていない部分を見てもらえたのかなと」

―――渉には身のこなしのレベルでも特徴があって、ほとんどのアクションがゆったりとしていますよね。例えば英治に父親の話を持ち出されて怒る場面でも、感情と体の動きが同期してないという印象を受けます。普通怒っている人はバッと動くところを凄くゆったりと動く。

坂東「でも渉の中では、あのスピードでも速いほうなんですよ。英治を見て『お前ホント殺すぞ』と言うところは、演じていて『こんなに速く動いていいのかな』と思って。でも『それでいい』と監督は言ってくれました」

二ノ宮「あのシーンは、(他のシーンの動きと)違いを出さなすぎてもダメだし、出しすぎてもダメ。本当に絶妙なところを演じていただきました」

坂東「意外と人間味があるんですよ、渉って。『殺すぞ』ってまず感情が乗ってるセリフだし。感情がないように見えて、実はめちゃめちゃ感情的な人間であるっていうことを演じていて感じましたね。3人で会話をする喫茶店の場面でも、英治に対して行きそうだけど行かない。フラストレーションがどんどん積み重なって、ある時、溜め込んだエネルギーが爆発する」

―――渉は渉なりに生のリズムを変化させていて、映画にはそれが克明に記録されていると。今回、事前にリハーサルはなさったのでしょうか?

坂東「すべてのシーンでリハーサルをやりました。ワンシーンワンカットもあったりするので、主にそういう部分を丁寧に。意識したのは、受けの芝居に徹する中で、英治や光則(清水尚弥)の言葉に表面的に反応するんじゃなくて、もっと内面的に心が動くように反応するということでした」

―――渉は序盤の公園のシーンで、子供に頬を突かれて笑いますけど、ある場面を除いて、その後のシーンでは笑顔を見せることはありません。公園のシーンで「笑う」というト書きは脚本に書かれていましたか?

坂東「書いてあります、ちゃんと。『笑う』って」

―――多くの映画では笑わない人物を登場させる場合、ストーリーの起承転結に合わせて、ここで笑えば観客の感情を揺さぶることができる、といった狙いが伴ったりするわけですが、本作ではそういう風になっていません。それはなぜでしょうか?

二ノ宮「とにかく今回は誰が見ても『こんな映画、他にない』と思ってもらえるような作品を目指していたんです。それは凄く考えたところ。そういうこともあって今回は、今まで観てきた映画の影響からいかに身を引き離すかを意識しました」

坂東「でも不思議と今回、“ここで笑ったら効くんじゃないか”みたいなことは、演じていて全然考えなかったですね。役者としてのエゴでそういう気持ちになることも時にはあるんですけど、今回に関してはそれがまったくなくて。むしろ最後まで何にもしない方が絶対にプラスになると。笑うこと以外にも、ちょっとした動きとか目線に関しても、渉がやれる最低限のこと以外は極力排除していく方向で演じました」

●「こういう“0から1を作る”のが当たり前の現場って中々ない」独創的なセリフの区切り、間、テンポについて

―――相手への問いかけがいつの間にかモノローグに変化して、ロジックがどんどん自己展開していき、いつの間にか対話の相手が置いてきぼりになる。本作のセリフのあり方は、過去の二ノ宮監督作品と共通するものだと思いました。セリフをお書きになる際にどのようなことを意識していますか?

二ノ宮「絶対にあり得ないことは書かないということです。なぜこの映画にそのセリフが必要なのか。脚本を書く時はそういうことを考えますね」

―――二ノ宮監督の作品では、セリフの在り方が、映画の世界観、作品を通して伝えたいことに直結しているという印象を受けます。

坂東「セリフに関して、二ノ宮監督には迷いがないんです。現場によっては『ここはアドリブで』ということもあります。でも今回二ノ宮監督の撮影の仕方を見ていて思ったのは、アドリブとかそういうことではなく、本当に撮りたい映画が丸々一本映像として監督の頭の中にしっかりあった上で現場に来ているということ。

現場では撮りたい画に近づける作業をしつつも、さらにその上を行くというか、先を行くということもしっかり考えている。こういう“0から1を作る”のが当たり前の現場って中々ないと思いますし、参加できて凄く幸せでした」

二ノ宮「ありがとうございます。嬉しい」

―――セリフに関してですが、言葉をどこで区切るのかがこの映画ではとても重要になっていると思っていて。

坂東「そうなんですよ。そうそう」

―――その辺の細かい作業は役者さんのアドリブ任せだとなかなか出来ない。

坂東「出来ないです」

―――先ほど全シーンリハーサルを行ったと聞いて、腑に落ちました。

坂東「セリフの区切りとか間とかテンポを凄く細かく演出してましたよね。特にセリフが多かった尚弥と里恩に対して」

二ノ宮「それがやっぱ崩れちゃうと…」

坂東「世界観に統一感がなくなる」

二ノ宮「そうですね」

坂東「それに2人は苦戦してましたよ(笑)。結構リハで」

―――終盤の清水尚弥さんの『お前のように、頭のおかしくない~』というセリフなども区切りが物凄く重要ですよね。

坂東「セリフの間に関しては僕もあるんですよ。特に岩松さんとのカフェでの対話シーン。相手のセリフに応じるまでのセリフの間を気持ち悪いぐらい長く取るっていう演出が印象的で。

大体2拍とか3拍あけてっていうのはよくありますけど、今回『7・5拍あけてくださいって』言われて。喫茶店のマスターと客の青年が正対して会話していて、普通そんな会話に間があきますか?っていう。でもそれが物凄く大事なんだっていうことを繰り返し監督はおっしゃっていて」

―――その時に二ノ宮監督はその理由をおっしゃいますか?

坂東「おっしゃらない(笑)。とりあえず『空けてください』(笑)。二ノ宮監督は完成像をはっきりと頭の中でリアルに思い描いているから確信を持ってそういう演出ができるんだろうなと。だからこっちも信じられるし、素直に分かりましたって言える。自分がやりやすいから、もうちょっと詰めてやるとかいう気持ちにはまったくならない。そこはもう信頼ですね」

二ノ宮「でもここまでこういう演出を徹底したのはこの映画が初めてです。間とかリズムとかここまで(厳密に)言ったことは今までにない」

坂東「単純にセリフの量も多いですよね。『逃げきれた夢』に比べても多いですか?」

二ノ宮「そうだね」

坂東「セリフのテンポがちょっとズレるだけで、全然違う見え方になる映画だなと。それこそ好き勝手に役者がやりたいように演じていたら全然違う映画になってしまう。でもその中でもみんな楽しんで演じていました」

●坂東龍汰「え、映ってんの?(笑)」変則的なカメラワークについて

―――本作は、セリフのみならず、フレーミングにもはっきりとした特徴があります。ほぼ全カット、人物が構図の中心から外されています。今回は前作までタッグを組まれていた四宮秀俊さんではなく、岩永洋さんにカメラを託されています。カメラワークに関して、どのようなコンセプトがありましたか?

二ノ宮「今回は人物を映し、物語を作るんですけども、その中で、空間の中に人物がいるというイメージを持っていました。とはいえ、それをどこまでやるか、バランスを凄く考えて、 岩永さんと相談した上であのような形になりました」

―――画面の上部が空くことによって、鳥が何回も画面を横切りますね。お墓参りのシーンでも横切ったと思うんですけど、あれが入ることによって、英治が頻繁に口にする言葉を引用すると、画面内の出来事が『しょうもない』もの、ちっぽけなものに見えてくる。画面内で描かれる3人の振る舞いを相対化する効果を生んでいると思ったのですが、いかがでしょうか?

二ノ宮「撮影前はそこまで考えていませんでしたが、撮っている段階で、今言ってくれたように、セリフと空間のあり方が凄く合っているなと思うことはよくありました」

坂東「この映画には『この世』っていうセリフもよく出てきますけど、人物を構図の中心に置かないで撮るスタイルは、“この世”っていう言葉が持つスケールを表現する上でも効いているのかなと、鳥の話を聞いていて思いましたね」

―――お墓のシーン、ロケーションが凄いと思いました。線路に挟まれていますけど、奥に見えるのは団地ですか?

二ノ宮「あれはマンションですね」

―――“生”と“死”が同一フレームに収まっている…素晴らしいシーンだと思いました。

二ノ宮「あそこは南千住にある延命寺というお寺で、かつて小塚原刑場があった場所なんです。処刑された人を供養するために祀られた首切り地蔵があって、このシーンの最初のカットで映しています」

―――「首切り」というワードは終盤の展開、さらには渉と豊原功補さん演じる義父とのシーンを考える上でも重要になってきますね。坂東さんはフレーミングがお芝居に与える影響はありますか?

坂東「基本的には無いです。でも今回に関してはありました」

―――それはどのような点で思いましたか?

坂東「映ってんの?って(笑)。でもそれは最初だけですけどね。1発目は視界の端っこにカメラがあって、“え?”みたいな」

二ノ宮「(笑)」

―――事前に監督から、今回は変則的なアングルで撮る、といった説明はありましたか?

坂東「無かったですね。何にも無かった」

二ノ宮「けど長回しが多いってことは伝えた」

坂東「はい、それはもうリハーサルの時点で知っていて。僕としては、カメラがどこに入るのかということはあまり関係がないというか、どっから撮られようが、基本的には誰も見てないっていう状況下で物事が進んでいると捉えて芝居をするので。

とはいえ今回は、カメラがここにあるのか!っていう驚きはあって。それを改めて思わせられたのは豊原さんとのシーン。現場で豊原さんが『俺、映ってる?』ってひたすら言っていて(笑)。俳優たるもの、やっぱり気になるんだなと思いました(笑)」

●「映画館に革命が起きるんじゃないか」セリフの反復とタイトルについて

―――渉は『死んでくれないかな』と父親に対して執拗に言いますが、その理由を口にすることはないですよね。『俺はあんたのようになるのが怖い』というようなことは言いますが、そこから『死んでくれないかな』という言葉に行き着くまでには飛躍があり、それが凄く興味深かったのですが、その飛躍を我々観客はどのように埋めていけばいいのでしょうか?

二ノ宮「『あんたがいたせいで俺はこうなって』って。このシーンも説明することとしないことのバランスをとるのが難しくて。映画全体を通じてなんですけども、説明しなさすぎてもダメだし、説明しすぎもダメ。そこのバランスを本当に考えました」

―――プレス資料によると、渉と豊原さん演じる男は血が繋がってないということでした。

二ノ宮「『てめぇとは関係ねぇ』みたいなセリフがありますね」

坂東「血は繋がっていないけど『お前と過ごした時間で俺は作られてしまっている』から『お前みたいになるのが怖いんだ』っていう渉の気持ちはありますよね。だから殺したい…というか『自ら死んでくれ』と。お前の存在がいる限り、俺はお前になってしまう可能性が高いから…っていうこと?」

二ノ宮「そうそうそう」

坂東「良かった(笑)。俺、間違ってたかなって(笑)」

―――観客は登場人物の断片的なセリフや振る舞いから彼らの心情を推しはかるしかないと。説明することとしないこと、両者のバランスをとることに細心の配慮を注いでいることは観ていてよく伝わりました。続いて、内容に踏み込んだお話をさせてください。

本作は言葉と行動のズレみたいなものを一貫して描いていると個人的には思いました。例えば英治は、路上喫煙を咎める一方、自分は外でタバコを吸う。あるいは、男同士のキスを冷やかす女性2人を咎めますが、それは2人を口説くためのきっかけに過ぎない。発しているメッセージは良いことなのに、行動によって台無しにしている。それが『若武者』というタイトルに関わっているのかなと思ったんです。

と言うのも、かつての武士階級には言行一致を尊ぶ価値観があったと思うんですけど、それが普遍的に正しいものなのか、あるいは今の時代に則しているのかは置いといて、そうした価値観とは真逆の人物像がこの映画では描かれていて、その上で『若武者』というタイトルが付されていることが興味深いと思ったんです。

坂東「なるほど〜。面白い視点」

二ノ宮「今の話を聞いてて思ったのは、この映画は『メッセージを伝えたい映画ではない』ということです。とはいえ、もちろん作品から何らかのメッセージを受け取っていただくこと自体を否定したいわけではなくて…ただメッセージを発するだけの作品にするのだけは避けようと思ったんです。タイトルに関しては今言ってくれるまで考えたことはなかったですけど、そういう見方もできるかもしれません」

坂東「それも1つの解釈。観てくださった方の受け取り方の一つとして面白いと思いました。この映画は『こういう風に観てください』とか『こういうメッセージ性があります』みたいに限定しない方がいい気がしていて。

だから宣伝で魅力を伝えたいんですけど、伝え方が抽象的になるというか、『今までにない映画です』とか『青春映画だけど青春映画じゃない』あるいは『死生観の話です』とか(笑)。本当に抽象的な言葉でしか表現できないんですけど、観れば確実に残るものはある」

―――セリフの反復もそうした作品の手触りに寄与していると思いました。この映画では頻出する言葉がいくつもありますよね。『怖い』とか『気持ち悪い』とか。

坂東「『楽しんで』とか」

―――何回も形を変えて繰り返されることによって、言葉が単一のメッセージからはみ出していって、観る人の解釈を開かれたものにするという側面があると思いました。

二ノ宮「ありがとうございます。そこは狙ってました(笑)」

―――私は作品を観終わった後に言葉にして、その面白さを再確認するということが好きなのですが、『若武者』のような繊細な映画にズケズケと言葉で押し入っていくのには心苦しさも覚えます。そんな中でも、今回、お二人から誠実かつ刺激的なお話を伺えて嬉しいです。

坂東「実は僕、インタビューを受けることに苦手意識があるんですよ」

二ノ宮「え?受け答え、凄い上手いけど(笑)」

坂東「本当に苦手で。ボキャブラリーが乏しいから同じようなことばかり言ってんの。だからもっと本読まなきゃなって思いますし、作品レビューとかも書いてみようかな」

―――今日『若武者』についてじっくりお話を伺って、お二人のお言葉、とても魅力的だと思いました。さらに言うとお二人は作品を観た人に「(言葉を)語りたい」という欲望を喚起させるお仕事をなさっているので、役割もあると思います。

坂東「ありがとうございます。そう言っていただけると気持ちが楽になります。言葉でこうやって皆様に伝えてくださる方があっての我々ですからね。今回の作品、試写を観終わった後、こんなにエッジの効いた尖った作品は中々ないって思って。『映画館に革命が起きるんじゃないか』って、全スタッフ・キャストが達成感と高揚感を凄く感じています。本当に観てもらいたいです」

(取材・文:山田剛志)

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