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なぜ平安貴族は「リッチな暮らし」ができたのか。藤原道長の総資産額は「数十億円」相当!?

  • 2024.5.28
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*TOP画像/道長(柄本佑) 倫子(黒木華) 大河ドラマ「光る君へ」21回(5月26日放送)より(C)NHK

 

『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代の「貴族の収入源」について見ていきましょう。

 

 

【花開いた国風文化】平安貴族のリッチな暮らし

平安時代と聞いて、貴族の雅な生活を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。彼らが美しい着物に身をつつみ、和歌を庭の池や草花を眺めながら詠んでいる姿が浮かんできますよね。

 

貴族が住む寝殿造の大豪邸は室内も美しい家具や調度品で彩られていました。貴族たちは四季を大切にしており、御簾(みす)や几帳(きちょう)のデザインも季節に合わせて変えていたそう。

 

また、彼らの食事も充実しており米、鯛や鰹などの魚、貝、大豆、香の物などを食べていました。宴会では30~40品もの料理が並んだそうですよ。

 

平安貴族の暮らしを描いた屏風や絵画を見てみると、彼らのきらびやかな暮らしをイメージできます。また、当時使われていた硯や女性の調度品は装飾が細やかで美しく、目を見張るものばかりです。

 

当時の貴族の着物や家具、調度品などは職人が一つ一つ手作業でつくった一級品ばかりでした。

 

 

平安時代の貴族の収入源とは?貴族といえども階層によって大きな差が

現代人もうらやむようなリッチな暮らしぶりの平安貴族ですが、彼らの収入源は何だったのでしょうか。

 

上流貴族には朝廷での官位に与えられる位給や朝廷での役職に与えられる職給の他、職田職封が与えられました。左大臣クラスの貴族であればかなりの広さの田地が付与されました。さらに、位によって位田位封なども与えられました。給与は現代の金額でいうと、数億円にのぼるそう。

 

4位、5位の貴族についてはなどの他、農地から位田も与えられました。このクラスの貴族には受領も含まれますが、彼らは都で暮らす同位階の貴族よりも金銭的にゆたかだったそうです(※1)。

 

ただし贅沢三昧できるほどの給与が支払われる貴族は貴族の中でも極一部でした。6位以下の貴族はなど現物支給に限られていました。

 

令和においても富裕層は職務に対する給与だけでなく、数々の収入源があるケースが多いですよね。業務に対して支払われる報酬に加えて、不動産や土地からも収入を得ている富裕層も多くいます。時代を問わず労働収入だけではリッチにはなかなかなれないのか…。

 

 

藤原道長は超・超・超お金持ち!彼の総資産額は現代の価値でいうところ数十億円以上?

堀江宏樹は『偉人の年収』において 道長の住まいである土御門殿の邸宅(※2)や土地などを含めた資産は現代でいうところ100億円相当という可能性を指摘しています。

 

なぜ、道長はこれほどまでの資産を築けたのでしょうか。道長には荘園が全国各地から寄進されていたため、莫大な収入を得られました。荘園収入は非課税となるため、年に数億円単位のお金が入ったといわれています。

 

お金があれば妻や娘にも贅沢させたくなるのが男心でしょう。道長の長女の調度品は周囲がおどろくほどすばらしいものばかりでした。また、妻・倫子は当時において最高峰の美容法を試していたともいわれています。

(平安時代において調度品は家の力を誇示するための必要アイテムでもありました)

 

倫子は歳を重ねても美しく、90歳まで生きたといわれていますが、それも道長の財力があってこそだったのかもしれませんね。

 

道長の収入の大半は作物からの農業収入が占めていたわけですが、農作物をつくっていた人びとは厳しい経済状況にあり、贅沢とは無縁の暮らしをしていました。

 

 

※1受領には季禄ではなく、位禄、位田、さらには職分田と公廨稲(くがいとう) が与えられた。

※2道長は倫子と結婚した際、彼女の実家から土御門殿を受け継いだ。約2880㎡もの敷地。

 

参考文献

・大石学『別巻 人物学習事典』 学研プラス 2022年

・高木和子『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』 日本文芸社 2023年

・ 堀江宏樹『偉人の年収』 イースト・プレス 2022年

・渡邊大門、かみゆ歴史編集部『平安時代と藤原氏一族の謎99』 イースト・プレス 2023年

 

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