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うまくいっていると思っているのは自分だけ…部下がついてこない管理職がつい口にしてしまうダメワード

  • 2024.5.26
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管理職になったら部下とどう接すればよいのか。人材研究所社長の曽和利光さんは「以前は『フラットな職場や上司部下関係は素晴らしい』とシンプルに思っていたが、そんなスタンスだからこそ部下がついてこなかった」という――。

※本稿は、曽和利光『部下を育てる上司が絶対に使わない残念な言葉30 なぜこの言い方がNGなのか』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

NGワード「俺は役割で管理職をやっているだけだよ」

初めて管理職になるというのは、誰にとっても難しい経験です。私は32歳で最初に管理職になったのですが、そこでした失敗があります。

管理職になる前は、「部下グループの中で一番上のお兄さん」という居心地の良いスタンスで仲間とともに仕事をしており、管理職になったあともそのスタンスを続けようと思っていました。そこで「これからも、今までと変わらずにみんなとはフラットに付き合いたいし、みんなも上司だからと遠慮せず、言いたいことはストレートに言ってほしい」と、管理職になって最初の会議でグループのメンバーに伝えました。若くして昇進した上司がよく言いそうな、聞こえのよい言葉です。

ところが意に反して、それは不評だったようです。

そのあとに続いた管理職としての日々は、部下は多いが上司は1人、部下は団結するが上司は孤立する、という物悲しいものでした。部下にフランクに話しかけても、表面的には笑顔で返してはくれるものの、心の底ではそっけないのが透けて見える、そんな毎日が続きました。「フラットな職場や上司部下関係は素晴らしい」とシンプルに思っていた私には、いったい何が悪かったのか見当もつかず、ただとまどいしかありません。「『何であんなやつが上司になったのか』と不満なのだろうか」と悩んだり、「急に偉くなってしまって、どう対応してよいのかわからないのではないだろうか?」と勝手な想像をしたりしていました。しかし、原因はそこにはありませんでした。

疑問符が描かれたブロックで作った大きな疑問符
※写真はイメージです
評価を「する側」と「される側」

答えは案外に簡単なもので、上にある見出しの通りです。

あるとき先輩上司と飲みに行き、酔いにまかせて「あまりほかのメンバーとの関係がうまくいっていないように思う」と、正直に打ち明けました。その上で、先に述べたような「管理職になったからといって上下関係を作るのではなく、今まで通りフラットに接してほしい」という自分流のマネジャーとしての姿勢を話したところ、先輩上司は「そんなスタンスだからこそ、部下はついてこないんだ」と言い当てました。

つまるところ、上司と部下はいかに同志的な連帯感があったとしても、それまでの部下同士との関係とは違い、評価を「する側」と「される側」である、ということです。どんなに親しみのある関係でも、その一線だけは消すことはできません。それなのに「フラットでいたい」などと自分にとってラクなだけのおめでたいスタンスでいたならば、それはある意味「責任放棄」でもあったのです。グループメンバーたちは、それを繊細に感じ取っていたのでしょう。

嫌われる勇気を持つことが管理職の責務

人間は誰しも、誰かを評価などしたくないし、されたくもありません。しかし、企業というものは事業で得たお金を社員に報酬として配分せねばならず、そのための評価は誰かがしなくてはなりません。ある意味、それをするためにいるのが、管理職です。

別の言い方をすれば、評価をされるというイヤな気分から生じる反感を一身に受けること、ベストセラー書籍のタイトルを借りるのであれば、まさに「嫌われる勇気」を持つことが、管理職の責務なのです。部下たちより高い給料をもらうということは、そういうイヤな役目を担うことも含めてのものです。

それなのに嫌われる役目を放棄し、「俺はみんなの仲間だからな」と馴れ馴れしく振る舞うことは、言ってしまえば、「『人を評価する』という仕事の重さを軽く見ている」神をも恐れぬ行為であり、「フランクに振る舞ったからといって、その重荷から逃れられると思っている」という浅はかさでもあります。

初めて管理職になった当時の若い私は、その落とし穴に陥ってしまいました。本来は、「俺は上司になってしまったので、悲しいことではあるけれど、みんなとこれまでのようにはは付き合えない」と自覚し、他人にもそう示すべきだったのです。

手のひらをこちらに突き出し拒絶を示す男性
※写真はイメージです
管理職がイヤでも管理職「然」とすべし

近年では、出世に興味がなく、みずからが管理職につくこと自体も良しとしない、そして「偉い」といわれる人には反感を持つ人も増えています(実は私もそうでした)。

そしてそういう人は、いざ自分が管理職になってしまうと、どうしても「いや、自分は管理職なんかになりたくてなったわけではないし」「むしろ、現場でプレイヤーとして活躍していたかったのに」と恨み節を言いたくもなるでしょう。

ただ、実際に昇進を固辞せず「管理職」という名刺を持つようになった以上、それは結局は自分で受け入れたことです。その恨み節は自分の中にしまっておくべきであり、他人に、ましてや部下にグチるものではありません。管理職になることを決めたならば、「まさしく私は管理職である」と、管理職「然」と振る舞うべきなのです。

腹をくくり自分の役割を受け入れる

無論、これは私のような不器用な人間の体験談から来る、ただそれだけの「おすすめの覚悟」です。日々部下とフランクに接しながら、いざというときには部下の生殺与奪権を持つ者として強く振る舞い、それでも皆の信頼を得てうまくマネジメントができる器用な方であれば、そのようにするほうがよいと思います。

曽和利光『部下を育てる上司が絶対に使わない残念な言葉30 なぜこの言い方がNGなのか』(WAVE出版)
曽和利光『部下を育てる上司が絶対に使わない残念な言葉30 なぜこの言い方がNGなのか』(WAVE出版)

しかし実際のところ、私が人事コンサルタントとしていろいろな会社の組織分析をする中、部下の皆さんが上司について思っていることを聞くと、「うまくいっていると思っているのは上司だけ」という残念なパターンが非常に多く見られます。

自分は役割によってキャラをうまく使い分けているつもりでいても、部下はそれを単なる「二枚舌」だと感じ、「信用できない人」と判定しているかもしれません。

管理職とは、部下とは違って「人の評価をする側の立場」。腹をくくり、自分に与えられたその新しい役割を堂々と受け入れるべきです。あなたのためにも、部下たちのためにも。

【コーナーまとめ】
・上司と部下はいかに同志的な連帯感があったとしても、結局は評価を「する側」と「される側」。
・「嫌われる勇気」を持つことが、管理職の責務。だから部下より高い給料をもらえる。
・管理職は部下を評価をする側の立場。自分の役割を堂々と受け入れる。

曽和 利光(そわ・としみつ)
人材研究所 代表取締役社長
1971年、愛知県豊田市出身。灘高等学校を経て1990年に京都大学教育学部に入学、1995年に同学部教育心理学科を卒業。リクルートで人事採用部門を担当し、最終的にゼネラルマネージャーとして活動。後にオープンハウス、ライフネット生命保険など多種の業界で人事を担当。2011年に人材研究所を設立、代表取締役社長に就任。新卒および中途採用の就職活動者(採用される側)への活動指南を各種メディアのコラムなどで展開する。

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