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アルバイトで月収80万、貯蓄1年で300万は当たり前…安いニッポン出た若者が得た"どこでもやっていける自信"

  • 2024.5.26
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日本人の働き方は海外と何が違うのか。オーストラリアの労働条件を取材したブックライターの上阪徹さんは「正規雇用の看護師の勤務は週4日、有給休暇は1年に6週間が当たり前」という――。

日本の常識は単なる思い込み

「あ、これで良かったんだ」「こんなことでも生きていけるのか」「もう怖いものがなくなった」「人生、捨てたもんじゃないとわかった」……。

ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在している若者たちを数多く取材した拙著『安いニッポンからワーホリ! 最低時給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(東洋経済新報社)では、想像していなかった、思わぬ声をたくさん聞くことになった。

日本で暮らしていると、知らず知らずの間に、「成功する人生とはこういうもの」「こうしなければ生きてはいけない」「これしか答えはない」といった思いにとらわれがちだ。

しかし、海外に踏み出して長期滞在してみると、そんな「日本の常識」は単なる思い込みだったことに気づくというのである。実は人生はいろんな可能性があり、いろんなポテンシャルがあり、いろんなチャレンジが可能だということだ。

実際、こんなことを語っていた男性がいた。

「幸せな人生はこういうもの、という固定観念が日本人には強烈にあるような気がしていて。でも、オーストラリアに来てみてわかったのは、そんなことは誰も気にしていないということです。だって、幸せは人それぞれでしょ、と。好きな道を行けばいい、とあっさり言われます。それがお前の幸せだろう、と」

別の若者は、こんな話をしていた。

「発見と驚きの毎日ですから。社会に出ると、日本では変化が少ない。でも、海外に出れば、変化が毎日ある。いろんな考え方、生き方に触れられる。それは日本では絶対に感じることができないと思います。毎日が楽しいです」

1年間で300万円貯めた若者も…

シドニーに取材に向かったきっかけは、日本人の若者たちがまるで「出稼ぎ」のようにワーホリで海外に向かっているという報道だった。テレビでは、ブルーベリー摘みのアルバイトで月収50万円、カフェのアルバイトで月収40万円、介護アシスタントで月収80万円を稼ぐ若者たちが紹介されていた。最低時給が日本の2倍以上だから、アルバイトでも、こんなに稼げてしまうのだ。

この30年間で、日本はすっかり「安いニッポン」になってしまった。世界の国々では経済成長に伴って働く人々の賃金も上がっていった。アメリカやイギリスでは、約1.5倍に。オーストラリアでは約1.4倍。ドイツやフランスも約1.3倍になっている。

並べた一万円札と下向きの矢印
※写真はイメージです

ところが、日本の実質賃金の伸び率は2%。30年間、ほとんど増えていないのである。

OECD38カ国の中でも、日本の賃金水準は今や21番目の水準になってしまっている。加えて、ここ数年は急激に円安が進んだ。円の価値が下がり、相対的に海外で稼ぐことが大きな魅力になったのだ。

もちろん、海外は賃金水準と同じように物価水準が高いのも事実。オーストラリアも物価は高い。だが、家賃や食費などをうまくやりくりすれば、「安いニッポン」にいるよりも、はるかに貯金ができる。

実際、1年間で200万円貯めた、300万円貯めた、といったワーホリの若者たちも珍しくない。賃金の高さが、ワーホリの大きな魅力になっていることは間違いない。

手に入れたのは自信だった

だが、取材に行ってわかったのは、それはワーホリの魅力の、ほんの一部だった、ということである。もっと言えば、彼らの多くが求めていたのは、お金ではなかった。閉塞する日本を離れ、新天地に身を置くことで、新しい人生、日本では得られない人生を拓こうとしていたのだ。

そして実際に、かけがえのない体験を得て、人生を大きく変えていった若者が少なくなかった。

オーストラリアにワーホリでやってきて、介護アルバイトで80万円の月収を得ていた女性看護師は、日本で国際訪問看護ステーションを作る、という現地で見つけた夢に向かって歩みを進めていた。

海外経験は一度のアメリカ滞在しかなかったのに、「同じ毎日の繰り返し。もっと違う世界が、違う人生があるんじゃないか」と思い切って30歳でワーホリを決断した女性は、人生が一気に動き出した。英語を学ぼうとしていたら外国人男性と恋に落ち、一緒にオーストラリアへワーホリで来ることに。毎日が新鮮で楽しい、いろんな景色を見てきたい、と語っていた。

日本で働き続ける未来にまったくワクワクできなかったという24歳の男性は、現地に着いて3カ月で時給31豪ドル以上というレストランの仕事で月に50万円以上稼ぎ、わずか1年足らずで200万円以上を貯金してSNSで話題になっていた。

彼が手に入れていたのは、世界のどこでも生きていけるという自信だった。現地で仕事を見つけて、稼げばいい。少なくとも30歳までは、ワーホリの権利を使い倒して楽しみたいと語っていた。

笑顔で手を上げるさまざまな人種の仲間たち
※写真はイメージです
日本では得られないキャリアづくり

独自のコーヒー文化が進化し、アメリカ発祥のコーヒーショップはほとんど見かけなかったオーストラリアでは、カフェで働くことのステータスは高い。中でも人気の職業は、バリスタ。エスプレッソをはじめとする、さまざまなコーヒーを淹れるスキルを持つ仕事。そのバリスタとしてシドニーの有名店で働いている26歳のワーホリ男性がいた。

日本へのぼんやりとした不安と、世界を見てみないと危うい、と漠然と思ってワーホリにやってきた女性美容師は、「日本を出ることができたという事実だけでも、とても大事なことだと思うので」と語っていた。

ワーホリを日本では得ることのできないキャリアづくりに活かした若者たちもいた。オーストラリアでは最長3年、ワーホリで滞在できる。その後、専門学校に入って学生ビザを手に入れることもできる。学生ビザなら、30歳を過ぎていても取得できるし、働くことも可能だ。

数十万円の費用で通うことができる専門学校もあるため、そのままオーストラリアに残る選択をする人もいる。また、オーストラリアの大学や大学院に入ったという人も。社会人の学び直し、あるいは学歴を海外でさらに高める。そんな選択肢もあるのだ。

外国人には大学や大学院の費用はとても高額だが、頑張ってアルバイトで稼いで学費の大部分を貯めた、という人もいた。

30代で永住権を取得し正規雇用

永住権取得を目指す人もいる。オーストラリアでは、永住権を取りやすい職業が明らかにされている。政府が発表しているのだ。医者や看護師、高度なスキルを要するエンジニア、会計士、シェフなどなど。実は、永住権を獲得している日本人はたくさんいる。

拙著では、日本の大学を卒業して、新卒で入社した大手家具販売会社を3年で退職、ワーホリでオーストラリアに入国後、キャリアチェンジを図った31歳の男性ITエンジニアを紹介している。ワーホリから帰国後も日本でアルバイトを続けて学費を稼ぎ、西シドニー大学大学院に入学。卒業後は、ローカルのベンチャーに入社して後、キャリアアップに挑もうとしていた。

また、日本で看護師として働いていたがワーホリでオーストラリアにやってきて、現地で専門学校に入学。学生ビザに切り替えた後に、現地の大学を2年間で卒業。正看護師の資格を取得し、現地の病院に勤務し、永住権も取得している34歳の女性も登場する。

シドニーの街を歩く人々
※写真はイメージです
人生を変えるマインドチェンジ

驚いたのは、現地の労働条件の素晴らしさだ。なんと有給休暇が1年に6週間もあるのだ。この間、日本に帰国して、家族と過ごしていたという。働くのは週4日。オンラインで、緩和ケアをテーマに大学院で学んでいた。当たり前の看護師の働き方だという。

その他、カフェとIT企業で働いていた元コンサルタントやオーストラリアで起業してしまった元看護師なども紹介している。

現地で取材して実感したのは、もっと多くの若者が行けばいいのに、という思いだった。みんな一様にキラキラと輝いていたからだ。日本で普通に暮らしていたのではなかなか起きることのない、大きな「マインドチェンジ」が起こせたからだろう。人生観を変えられる。生きる価値観を変えられるのだ。

もう未来にビクビクすることはなくなる。それを世界は教えてくれる。自分次第で、未来は明るいものにできる、ということも。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。雑誌や書籍、Webメディアなどで執筆やインタビューを手がける。著者に代わって本を書くブックライターとして、担当した書籍は100冊超。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『マインド・リセット』(三笠書房)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)、『JALの心づかい』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』(あさ出版)など多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。ブックライターを育てる「上阪徹のブックライター塾」を主宰。

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