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四六時中、子供から目が離せない。非常識らしい私を、母はどう思うのか

  • 2024.5.25
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出産する前は出来るだけ早く子供を預けて仕事に戻りたいと思っていた。仕事して疲れることも、仕事で認められることも、時間に追われて生きるのも好きだった。2ヶ月から預けられる私立の保育園を見つけて小躍りした。お腹の中の子供のことよりもようやく戻れるんだ、長かったという気持ちが全面に出ていた。絶対安静で動けなかった約半年を挟んだからなのか、ものすごく嬉しかった。雪解けの大地から出た新芽のような清々しさだった。

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だけど、産んだ瞬間から子供を守らなくてはならない思いが波のように押し寄せてきた。不安神経症や強迫性障害だったのかもしれない。私は結局、子供が3歳になるまでに、子供と離れたのは1ヶ月検診と精密検査だけだった。仕事に戻るなんて考えられなくなってしまった。職場も保育園も輝いて見えなくなった。美容院では膝上に、採血もお腹に乗せたまま受けた。それを許してくれた周りには本当に感謝している。予防接種の後は24時間寝ずに子供の顔を見つめていた。眠かったけど何かあったらと思うと怖くて眠るなんて出来なかった。四六時中、目を離すのが怖くて夫にもなかなか預ける気にならなかった。私の生活の、決定の基準は子供になった。

私の母は私をたびたび祖父母宅に預けていた。祖母もまだパートに出ていてずっと在宅でもなかったにもかかわらず。叔母や近所の人にも助けてもらって、私は楽しく過ごしていたし、不幸だと思ったことはない。預けられたのは母1人では弟と私の二人を見るのは厳しいという理由だった。子供を産むまではそんなものだろうと思ってた。子供たちに勉強を教えるバイトをしていたけど、1人と2人では大変さは違っていたし。

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世間的には子供を産めば、母に感謝するだとか、母の偉大さに気付くとか言われているけど、全く感じたことはなかった。自分が子供にしたいことと自分の幼少期とを比べ、母に疑問を感じることが多かった。なぜ母はしなかったんだろうと、そればかりが頭をぐるぐると回っていた。恨みとか不満とかではなく、ただただ疑問。してほしかったとかでもなく、私ならするのになんでという感覚を持ち続けた。雨の日に子供が公園で遊びたいと言ったのなら、着替えと体を拭く用の温かいお湯を持って出かけた。私の話に母は周りからおかしな人に見えるからやめたほうが良いと言った。離乳食を毎食4、5品(主食、汁物、主菜、副菜+デザート)を作っていたら、もの好きねと苦笑いされた。私の行動は母には非常識にうつるらしかった。

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母と私は性格が正反対と言ってよいほど違う。周りからも顔も性格も似ていないとことごとく言われる。だから、母の子育てに対する感覚も違うのだろうと思う。もしかしたら、母性があまりない人なのかもしれない。母に過剰な期待もないけれど、私のことをどう思っているのかを確認するのは怖い。表面上は波風を立てずに接するから、本心は是非墓場まで持っていってほしいと母の日を前に思う。

■千代のプロフィール
文章は読むのも書くのも大好き。漢字も好きで書道は有段者。文系おばさんです。

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