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死にたいと思ったことはないが、この家に生まれたことは後悔している

  • 2024.5.24
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死にたいと思ったことはない。けれど、この世に生まれて来たことは、はっきりと後悔している。正確には、「この家に」かもしれない。

私は、よく字が綺麗だと褒められる。その度に私は「負の遺産だよ」と心の中で呟く。
小学生のとき、漢字の練習帳は母の納得のいく出来じゃないと消しゴムで全て消された。そして日付が変わるまで隣で監視されながら、泣きながら文字を書く。上手く書けないと怒号と鉛筆が飛んでくる。そして消される。毎日が恐怖の連続だった。
そうやって私の字は綺麗になった。

字だけじゃない。ドラマや周りで目にする「母親」とはどこか違うと幼心に感じていた。物心ついたときから、私にとって母は「怖い」存在だった。分からないという「怖さ」だ。私には母の思考回路は全く理解できなかった。

◎ ◎

学校での良い成績や夏休みの宿題を褒められればすべて母の功績。母の失敗はすべて私のせい。母は常に正しくて、常識があって、仕事ができて、社会性があるけれど、私は常に間違っていておかしくて一人じゃ何もできなくて社会で通用しない存在だった。

確かに母の生活力の高さは認めるし、私が間違っているところもたくさんあっただろう。

でも私は、母を、母の言うとおりならば社会的にも人間的にも素晴らしいはずの母を、どうしても尊敬することはできない。自分の思い通りにならないと、私の努力の証とも言える教科書やノートをぐしゃぐしゃにして破くような母を。

私は母を怒らせてしまった自分に、ついつい言い返してしまった自分に辟易しながら、それの見映えが少しでもマシになるように、目立たなくなるように、無感情でしわを伸ばしてテープで貼り合わせる。そして翌日、色々と考えてきた言い訳を教室でへらへら喋るのだ。悔しさで泣きたくなる気持ちを堪えて。

◎ ◎

家は経済的に余裕があった方だし、報道で目にするような暴力を振るわれたこともない。将来の夢を否定されるわけでもないし、「女の子らしく」とか「女の子なんだから」とかジェンダーバイアスを押しつけられたことも記憶にない。

どちらかといえば、やりたいことには理解を示してくれるし、性差なんて馬鹿げていると一蹴する人だった。

あるとき、恋人に「七彩は怒ることってないの?」と聞かれたことがある。だって反発するなんてエネルギーと時間の無駄だし、何か嫌なことがあっても自分が我慢したほうがエネルギー的に楽なんだよねと言ったら、そういう考え方をするんだね、と素直に驚かれた。
その時私は気づかされた気がした。
自分自身が無意識のうちに、母に順応してきたのかもしれないと。
母と対立しないような夢を持ち、母の理想に合わせるように、女子が少ないフィールドに飛び込んだのかもしれない。

幼いころ、祖母に「お母さんがいないと七彩ちゃんは生き生きしてるね」と言われていたそうだ。端から見て分かるほどに、幼いころの私は母の前で萎縮してたのだろう。

◎ ◎

今は「怖い」という感情は薄まった。むしろ理解されない人生なんて可哀想だとさえ思える。
生まれて何年経っても、母のことは分からない。これからも分かることはないだろうし、もはや分かり合いたくもない。

大人になってからは、私は母への思いを周囲に隠すようになった。負の感情に驚かれることが増えたからだ。高校生くらいまでは、愚痴を周囲に言っても受け入れてくれる人が多かった。おそらく重めの反抗期程度だと思われていたのだろう。でも大人になってからは、周囲の受け入れ体制は目に見えなくなった。「家族へ感謝できないなんて、ちょっと子ども過ぎない?」という目で見られている気がして、すごく痛い。
でも感謝なんてできるわけがない。

親ガチャという言葉を最近よく耳にする。直接的な暴力とか虐待とか、もっともっと酷い境遇の家庭もある。そして目に見える形じゃなくても苦しんでいる人もいる。

大人になって親に感謝できる境遇が世の中でマジョリティかもしれない。親に感謝できないなんておかしいかもしれない。でも色んな家庭がある。子どもが今の環境を変えるのは難しい。大人になっても呪縛から逃れられないこともある。

親や過去を変えることはできない。フラットな周りの心があるだけでも違う。「普通の子」を演じるという二重苦から解放されるから。

書きながら涙がこぼれる。
私は母のような人間にはならない。絶対に。

■七彩のプロフィール
七彩(ないろ)です。自由人。本が好き、新聞も好き。

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