1. トップ
  2. お仕事
  3. どうか嫌わせてくれ。あんなに嫌いだった母に救われた日のこと

どうか嫌わせてくれ。あんなに嫌いだった母に救われた日のこと

  • 2024.5.24
  • 677 views

私の悪いところは、母を嫌いになれなかったところだ。

子供の頃は本当に母と相性が悪かった。お互いがお互いの存在が気に食わないみたいで、よく言い争いをしていた。喧嘩しても、どれだけ私のことを否定しても、母は謝らない。私も謝らなかった。私の家には、そもそも「ごめんなさい」や「ありがとう」を言う文化すらなかった。

大学生になってアルバイトを始めて、店長に「悪いことをしたらちゃんと謝りなさい」と叱られるくらいに。「ありがとう」が飛び交う環境にカルチャーショックを受けるくらいに。

喧嘩して、しばらく口をきかなくなって、ほとぼりが冷めたら元に戻る。そんな感じ。その上、母はヒステリックで怒っている時の記憶がほとんどない。どう見ても怒っているのに「怒ってない」と主張する。父も、母の両親も、誰も母を変えることはできなかった。

◎ ◎

両親は私に教育投資を惜しまなかった。通信講座を受講し、塾にも通う。通っている塾の勧めで中学受験もした。公立の小学校ではずっと優秀でいられたけど、入学した中学校では頭のいい人たちがゴロゴロいる。どれだけ頑張ってもせいぜい平均より上くらい。両親は「上には上がいるんだから、現状に満足するな」としか言わなかった。

どこまで頑張ればこの苦しみから逃れられるのかわからない。私は不登校になった。勉強も辞めた。スクールカウンセラーの勧めで精神科に通い始める。最初は母も別で病院に呼ばれていた。保護者向けのカウンセリングでも受けていたんだろう。でも母は「私だけが悪いと言われているみたいで不快」と言って、結局最初の2回だけ行ってすっぽかすようになった。母が私の精神状態を理解してくれることはなかった。

◎ ◎

大学生になる。実家から逃げるために上京した。上京組の友人がGWや長期休みに実家に帰るのを見ながら、私は半年に1回、3日くらい、友人に会うためだけに地元に帰る。たまにしか帰ってこない私に、母がイライラをぶつけてくることはなかった。その時ようやく気付いた。母とは一緒に住んじゃいけなかったことに。

大学の時は本当に元気だった。今思えば躁状態だったと思うくらいに。社会人になって、私はうつ病になった。会社を休みがちになり、とうとう行けなくなって、お医者さんに診断書をもらって休職。誰にも相談できなかった。

両親は知らない間に離婚していて、父は私が高校卒業したあたりから口をきいてくれなくなっていた。母は過去の経験から、精神疾患には理解がなさそうだ。

◎ ◎

会社で休職の手続きをした次の日、今後の対応を医師に相談するために、労務担当者と病院に行く約束をしていた。正直、体を起こせる自信がない。その予想は的中して、家から出ることができなかった。その時に労務が緊急連絡先だった母に連絡してしまったのだ。当然の対応だろうが、私にはやってほしくないことだ。母に休職することがバレてしまった。

絶対に叱られる。またヒステリックに。私は自宅にやってきた労務になんで連絡したのかパニックになりながら問い詰めた。そんなことしてもどうしようもないことはわかっている。労務は私の母と同じくらいの歳の人で、「私も娘がいるからわかるけど、お母さんは欄子さんのことをわかってくれると思うよ」と気安く言った。全員が全員幸せな家庭に育ってると思ってんじゃねえよ。

自宅に来た労務と一緒に病院に行った。「後でお母さんから連絡があると思うよ」と彼女は言う。その日、母は仕事だった。母の仕事終わりの時間が迫ってくることが憂鬱で、怖かった。母から電話が来る。もう出るしかない。

◎ ◎

「何かあったの?」

母は言う。

私は恐る恐る、「仕事、向いてないみたい」と言った。
新卒2年目、今辞めたら早期退職だ。辞めるなんて言ったら叱られる。上には上がいるから頑張れって言われるって知ってる。精神疾患は甘えだって言われるなんて知ってる。怖い。しかし、母はあっけらかんとして、こう言った。

「そっか、向いてないんだったら、辞めるしかないね〜☆」

想定外のことだった。絶対に詰められると思っていたのに、母は辞めることを推奨してくる。

「でも、プログラマーだから、今後のことを考えると辞めないほうがいいと思ってて」

私は続ける。

「プログラマー?パソコンを使う仕事ってこと?今必要だもんね〜。じゃあ頑張って勉強して、続けてみたらいいんじゃない?」

色々突っ込みたいことはあるが、母は私の考えを否定しようとはしない。

「お母さんはあと数年しか働かないけど、あんたはまだ何十年もあるんだからさ。そんなに悩まなくてもいいんじゃない?」

◎ ◎

母を嫌いになれたなら、私は子供時代の苦しみを全部母のせいにして、憎んで、私は悪くないと正当化して生きていられただろう。

でも、大人になって、物理的に距離を置くようになって、母との関係は良好になった。しっかり母の言葉に救われてしまった。嫌わせてくれよ。私の辛かった子供時代を肯定させないでくれよ。

私の悪いところは、母を嫌いになれなかったところだ。

■鞍馬欄子のプロフィール
エンジニア。うつ病により休職を経験し、復職するも退職。現在は障害者雇用枠で働いています。エッセイや小説等を書いています。 Twitter:@unbalance_orkid

元記事で読む
の記事をもっとみる