1. トップ
  2. 「想定外だった」「しんどすぎる」古川琴音演じる亡くなったシングルマザーの“本音”と“演出”に反響『海のはじまり』

「想定外だった」「しんどすぎる」古川琴音演じる亡くなったシングルマザーの“本音”と“演出”に反響『海のはじまり』

  • 2024.8.30

月9『海のはじまり』第9話放送を前に、南雲水季(古川琴音)と津野晴明(池松壮亮)の交流が描かれた特別編が放送された。生前の水季が、津野とどんなやりとりを交わしていたのか。水季が津野の思いを受け入れなかった理由がわかる回でもあり、恋愛におけるシングルマザーの葛藤が浮かび上がる、やるせない回でもあった。水季と津野が両思いだった事実を知るや、SNSでは「しんどすぎる」「幸せになってほしい」の声が続出している。

undefined
(C)SANKEI

“おにぎり”で表現される、水季の恋心

毎朝、娘の海のためにおにぎりを握る水季。具はなしで、味付けは塩のみというシンプルな塩握りだ。余ったご飯は通常なら冷凍されるが、とある朝、水季は余分に2個のおにぎりをつくって職場の図書館へ持っていく。

時を同じくして、昼食用のカップ麺とおにぎり2個をコンビニで調達する津野の描写が挿入される。彼も、毎朝のルーティンを淡々とこなしているだけのように見えるが、みかん味のグミをカゴに入れた。それは、水季がいつも好んで食べているものだった。

言葉はなくとも、互いのことを考えていることが伝わるシーン。水季の場合は、いつも津野がおにぎりを2つ食べていることを知らなければ用意しようと思わなかっただろうし、津野の場合も、水季の嗜好を知らなければグミを買おうとは思わなかっただろう。

水季と津野は、二人でファミレスでご飯を食べたり、プラネタリウムに行ったり、帰宅して一緒におにぎりを握ったりなど距離を縮めようとする。しかし水季は、津野に心を惹かれている事実を認めはしたけれど、これ以上は進んではいけないと、自制を解こうとはしなかった

結果、水季と津野が付き合うことはなかった。最後まで「子どもがいるから恋愛をしてはいけない」と結論づけなかった、彼女の決断。あくまで水季は、自分のために踏み出さなかった。恋愛をしたい、二人が良い、子どもが邪魔だと思ってしまうかもしれない未来を案じて、自ら踏んだブレーキから足を離そうとしなかった。

後日、いつものように余ったご飯は、津野のために握られずに冷凍された。津野も、カップ麺とおにぎり2個以外のものをコンビニで買うことはしなかった。必要以上に与えないこと、差し出さないこと、求められたときにだけ応じること。静かに引かれた見えない線が、二人の間にあらわれた瞬間だった。

恋愛におけるシングルマザーの葛藤

シングルマザーが恋愛をすることは、難しいのか。とくに未就学児を抱えたシングルマザーの恋愛の困難さについて、津野の発した「間に誰か入らないと繋がれないっていうのも」というセリフと、それを受けた同僚女性の「恋愛にはならないな、と」といったセリフにあらわれている。

水季は、津野と二人でいる間も、子どもの海の話か、はたまたお金の話しかしていなかった。後から「半分はわざと」と自ら告白していたが、そうすることで、恋愛に楽しさを見出そうとする自分に必死で待ったをかけていたのかもしれない。

母は、恋愛をしてはいけないのか。子を持つ親は、24時間365日を子どもに捧げなければいけないのだろうか。

水季と津野の「恋の手前」が描かれた特別編では、二人のもどかしいやりとりよりも色濃く、シングルマザーを取り巻くさまざまな“悲哀”が浮かび上がっていたように思える。子どものこと、お金のこと、世間から向けられる視線と言葉。同じシングルマザーや母親という視点から見る水季と、子どもがいない独身者から見る水季は、また違った存在として映るだろう。

水季は言う。「もうそういう恋愛?とかの楽しいことはもういい。じゅうぶん楽しかったし。余っちゃうくらい、じゅうぶん。余ったぶんだけで余生いきれます」と。その言葉どおり、実に短い余生ではあったが、彼女は新しい恋愛をスタートさせずに生涯を閉じた。

そんな彼女の姿が美談になる一方で、どんな立場であれ、恋愛から受け取る楽しさや喜び、苦しみや成長を諦める理由にはならない。水季が体現した、ある意味「母としての理想の姿」は、あらためて「恋愛とは何か?」を考えるきっかけにもなり得る。



ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_