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初デートで渋谷のレストランに連れていったら、「なんか違う…」と慶應男がフラれた理由

  • 2024.5.22

東京に点在する、いくつものバー。

そこはお酒を楽しむ場にとどまらず、都会で目まぐるしい日々をすごす人々にとっての、止まり木のような場所だ。

静かなバー。賑やかなバー。大規模なバーに、隠れ家のようなバー。

どんなバーにも共通しているのは、そこには人々のドラマがあるということ。

カクテルの数ほどある喜怒哀楽のドラマを、グラスに満たしてお届けします──。

▶前回:国立大卒の22歳女。メガバンクに入社早々、打ちのめされたコト

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Vol.2 <ミクソロジーカクテル> 小野田翔平(25)の場合


5月の夜風が、ほろ酔いの頬を優しく撫でる。

― なんだか、思いがけず良い夜になったな…。

行きつけにしている三軒茶屋のバーから、太子堂の自宅マンションまで徒歩10分。

翔平は鼻歌交じりで夜道を歩きながら、つい先ほどバーで出会った女の子・早紀子との会話を思い返していた。

「翔平さんは、どんな映画が好きなんですか?」

バーカウンターでの早紀子の注文を笑うというとんでもない失礼は、普通なら簡単に許されることではない。

にもかかわらず屈託なくそう尋ねてくれた早紀子の、愛らしい笑顔が目に焼き付いていた。

お互いに映画好きだと言っても、数多のジャンルが存在する映画の趣味が合うことは稀だ。

早紀子もきっと、女の子らしくラブストーリーやアニメーション大作などが好きなのだろう…と思いきや、映画の趣味は意外にも骨太だったことも嬉しい。

― なんか似た空気を感じて、ホッとする子だったよなぁ。流れでLINEも交換したけど、解散してすぐに送るのはしつこいかな?

久々に訪れた小さなときめきの予感に、翔平の胸は思わず高鳴る。

けれどそんなワクワクとした気持ちは──。

自宅マンションの玄関ドア前で“あるモノ”を見つけるなり、風船の空気が抜けるように、すっかりしおれてしまうのだった。

「おいおい、またかよ…。いらないって何度も言ってるだろ」

太子堂の小洒落た単身者用マンションで、翔平の部屋の玄関前に置き配されていたのは、およそ40cm四方のダンボール箱だ。

メタリックでシックな玄関ドアに似合わない、眩しいほどに黄色いダンボール。

側面には昭和感丸出しなフォントのみどりの文字で、でかでかと「はっさく」と書かれている。

「重っ…」

10kg分のはっさくは持ち上げるとずっしりと重く、表示された量よりもずっと多いように感じる。

やっとのことでキッチンの床までダンボールを運んだ時には、ほろ酔いのいい気分はすっかり消え去ってしまっていた。

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むしゃくしゃした気持ちを落ち着かせるために手早くシャワーを浴びると、翔平は、幾分か落ち着いた頭をバスタオルで拭きながらダンボールを開ける。

ダンボールの中には、所狭しといった様子でごろごろとはっさくがひしめいていて、翔平を無性にイライラさせた。

イライラの理由は、男の一人暮らしで10kgもの果物を消費できるわけがないという絶望だけではない。

ましてや、それを何度伝えても毎年こうして同じことを繰り返してくる、物分かりの悪い母への憤りだけでもなかった。

「ハァ…。箱開けてるだけで実家の匂いするわ」

翔平の実家は、はっさくの名産地である和歌山だ。市内の進学校から慶應大学に進学したのは、もう7年も前のことになる。

けれど翔平は、7年という月日が経った今も、「地方出身者である」というコンプレックスを拭うことができないでいた。

それは、大学1年生の時。当時片思いしていた内部進学の女の子と上手くいかなかったことに、深いトラウマがあるからなのだった。

「あ…翔平くんが言ってた美味しいイタリアンって、ここ…?あー、うん。美味しいよね」

初めてのデートで張り切って連れていったイタリアンレストランが、チェーン店だったときの恥ずかしさ。

「翔平くん。道、多分こっちだと思うよ。わかる〜、渋谷って難しいよね」

渋谷をブラブラするだけのデートで、彼女にエスコートしてもらったときのいたたまれなさ。

そしてついには、初めて自分の部屋に彼女を招待したときのこと。

どうにかいいムードを作って、菊名のアパートまで来てもらった夜。玄関に存在感たっぷりに鎮座する黄色いダンボールを、じっと見つめる彼女の目線に、翔平は戸惑った。

「あ、これ?俺の田舎のはっさく、母さんが送ってきてくれたんだ。美味いよ、いま剥くから食べよっか」

そう言っていそいそと台所に立ち、はっさくの皮を剥き始めた途端、彼女に言われたのだ。

「ううん…大丈夫。ごめんね。翔平くん、なんかちょっと思ってたのと違うかも」

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「え?違うって…何が?」

「うーん…。なんていうか…あ、てか、今から先輩が車でこっちまで迎えにきてくれるらしい。

なんか…翔平くんもあたしみたいなのじゃなくて、感覚似た人探したほうがいいと思う。じゃね」

伏し目がちにスマホを操作していた彼女は、そう言ってあっという間に部屋から出て行く。

その時の彼女の横顔に、蔑みにも似た半笑いが浮かんでいたことを、翔平は見逃さなかった。

そして、この時初めて理解したのだ。

たとえ趣味や好みが似ていたとしても、生粋の都会生まれと田舎育ちとの間には、言葉にはできない大きな隔たりがあるということに。

― くそっ、バカにされてたまるか!

その時の悔しさをバネにして翔平は、センスを磨き、遊びも経験し、勉強もそつなくこなして、就職をも成功させた。

今では、大手総合商社の営業マンとして悪くない活躍をしている。もし今あの時の子とデートをする機会に恵まれたとしても、見下されるされることはまずないだろう。

だけど、順風満帆な東京の男になった今でも、翔平は時折ふと、まるで迷子になってしまったような孤独感に襲われることがある。

こうしてはっさくのダンボールが届くと、否が応でも突きつけられる本来の自分。

「垢抜けない、田舎者…」

そう言いたかったであろう、彼女の薄笑いが思い出され──。

翔平は、ダンボールの蓋を乱暴に閉めると、くさくさした感情にも蓋をするようにベッドに潜り込むのだった。



黄色いダンボールが届いてから1週間。

あれからというもの翔平の毎日は、なぜだかうまくいかないこと続きだった。

くすぶっていた初恋の苦い思い出のことや、まわりに置いていかれまいと必死になっていた学生時代のことを思い出したからなのかもしれない。

仕事でも奇妙な焦りを感じて、つまらないミスをすることが増えてしまっているのだ。

「ま、小野寺にもこういう日はあるよな。あんまり気にするなよ」

「…悪い」

この日も凡ミスで周囲に迷惑をかけてしまった翔平は、暗くなったオフィスのロビーで、同僚に頭を下げる。

気分を切り替えるためにも、早く家に帰って睡眠をとったほうがいいのだろう。体も心も、ヘトヘトに疲れている。が、まだ家には帰りたくはなかった。

― 帰ればまだ、全然減らないはっさくがあるんだよなぁ…。

我ながらくだらないと思いつつも、その事実は翔平の心を重くさせる。

結局翔平は行くあてもないまま、会社近くの赤坂の繁華街をウロウロとさまよいはじめるのだった。


どうにもムシャクシャするような夜に翔平が訪れるのは、バーだ。

仲間とワイワイ集まって飲むのも好きだが、いつもどこか自分を偽っている感覚が付きまとう翔平にとって、好きなお酒を楽しみながら1人静かに過ごせるバーでの時間は、東京で知った中で最も気に入っている夜の過ごし方だった。

― 気分を変えるためにも、強い酒が飲みたいな。

いつもの三軒茶屋のバーに寄ることも考えたが、コンディションの悪いこんな時に、万が一早紀子に会ったら…と思うと気乗りがしない。

とにかく、最初に目についたバーに入ろう。そう決めた翔平は早速、赤坂の街角で見つけたバーに飛び込む。

正統派な雰囲気の暗い照明のなかカウンターについた翔平は、ほっと一息つく。

しかし次の瞬間、思いがけない一言をかけられるのだった。

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「ミクソロジーバー、ですか?」

「はい、当店はミクソロジーバーでございます。

お客様がご注文のマッカランももちろんお出しできますが、もしよろしければ、当店自慢のミクソロジーカクテルをお試しになりませんか?」

いつも頼みがちなウイスキーのロックを頼んだところ、バーテンダーにそう言われたのだ。

「ミクソロジー」とは、「Mix(混ぜる)」と「Ology(学問)」を組み合わせた造語で、新しい概念の調理法のことを指すらしい。

ミクソロジーカクテルはつまり、新しい概念のカクテルのこと。

従来のカクテルのようにフレーバーシロップなどを使うのではなく、ハーブやフレッシュフルーツをふんだんに使用して、素材そのものの美味しさを引き出しているのだという。

「へぇ…」

ただ強い酒で自分を誤魔化したくてバーを訪れた翔平だったが、思いがけない提案に、心が動くのを感じた。

落ち着いて周りを見てみると、確かに周りの客も、見慣れないカクテルを手にしている人が多い。

「試してみようかな」

バーテンダー、もといミクソロジストにそう告げると、間をおかずに目の前にショートカクテルが提供される。

フレッシュな果実感を想像させる、黄色いカクテル…。

「いただきます」

そう言ってグラスに口をつけた翔平は、衝撃に襲われた。

― これ、はっさくだ!

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「和歌山産のはっさくをふんだんに使ったミクソロジーカクテルです。マスカルポーネチーズと合わせました」

「美味しい…!」

自分のコンプレックスの象徴のような存在が登場したことに驚きを隠せないが、それ以上に驚いたのは、その未知の美味しさだ。

はっさくの甘みを感じるのはもちろん、そこにリキュールのアルコール感と、マスカルポーネチーズのミルキー感が合わさり、まるで味わったことのない深い味わいを醸し出している。

あまりの衝撃に言葉を失う翔平だったが、にわかに現実に引き戻される。翔平の後ろを通って入店した女性が、楽しげな様子で声をかけてきたのだ。

「お兄さーん、それ何飲んでるんですか?」

「あ、これ…はっさくのカクテルらしいです」

「えーはっさく!?めっちゃ美味しそう!マスター、私も同じのお願いします」

「はい、瑠美さん」

「瑠美さん」と呼ばれた女性は、慣れた様子で翔平と同じものを頼むと、翔平の隣に腰を下ろし、翔平に向かって言葉を続けた。

「ここ、めちゃくちゃ美味しいですよねぇ。いろんなフレッシュなフルーツ使ってて美容にもいいんですよ」

「そうなんですね…。恥ずかしながら、ミクソロジーカクテルって初めて知りました。フルーツも普段ほとんど食べないですし」

「そうなのぉ?ダメよ!いい?日本にはね、各地にいろんな美味しいフルーツがあるんだから!

ほら、和歌山のはっさくですって。超オシャレじゃない!」

そう言って瑠美さんは、翔平と同じカクテルを美味しそうに味わう。

翔平より少し年上の、30歳くらいだろうか。大人の色気を帯びているものの、その都会的で洗練された美貌はほんの少しだけ、学生時代のあの子の顔つきに似ていた。

瑠美の明るい雰囲気に感化された翔平は、おずおずと尋ねる。

「あの…はっさく、オシャレですか?」

「なに?オシャレよ」

「あの、たとえば彼氏がはっさく剥いてくれたら、ダサくないですか?」

「はあ?どこがダサいのよ。めちゃくちゃ優良物件じゃないの」

「そういうものですか」

「そういうものよ。お兄さん、何もわかってないわね〜。どんどん剥いていきなさい!女にはフルーツよ、フルーツ!」

「瑠美さん、もう少しお静かに…」

ミクソロジストにそう止められて会話を中断した2人だったが、瑠美の言葉を受けて、翔平はもう一度目の前のカクテルを見つめる。

これまでコンプレックスに感じていた思い出が、新しい価値観に混ざって溶けていく。マスカルポーネチーズのように、白く浄化されていく。

「そうか…。思ってもみない価値観って、まだまだあるんだ」

翔平はカクテルを飲み干すと、手早く会計を済ませ帰り支度を始めた。

未知の可能性がゴロゴロと詰め込まれた家に向かう道すがら、ずっと送れずじまいでいたLINEを綴る。

<早紀子ちゃん。はっさくのお裾分け、いらない?>


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出来上がった状態でバーに現れた瑠美。彼女の抱える悩みとは…

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