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悪女として評判の悪かった鄭蘭貞はどれほど恐ろしかったのか

  • 2024.5.20

韓国時代劇には悪女がよく登場する。そのすべてが極悪な悪女というわけではないが、中には恐ろしいほどの悪事を働いた女性が存在する。その際に必ず思い浮かぶのが「朝鮮王朝3大悪女」の1人と知られる鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)だ。

彼女は、役人の父親と最下層の身分である奴婢(ぬひ)の妾だった母親との間に生まれた。奴婢の子供は生まれたときから奴婢であるため、鄭蘭貞も幼いころから辛い生活を強いられた。

そんな低い身分から抜け出すために、妓生(キーセン/歌舞を職業とする女性の総称)となった彼女は、宴席の場で強い権力を持つ男性を探し続けた。

その中で、鄭蘭貞が目をつけたのが尹元衡(ユン・ウォニョン)である。彼は、中宗の三番目の王妃・文定王后(ムンジョンワンフ)の弟だった。

望み通り尹元衡の妾となることができた鄭蘭貞。しかし、彼女はそこで満足するような女性ではなかった。さらに上の地位を目指すために、文定王后に気に入られる必要があった。

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
『オクニョ 運命の女(ひと)』ではパク・チュミが演じた鄭蘭貞
悪女として何をしたのか

当時、国王の跡継ぎである世子(セジャ)に指名されていたのは、中宗の二番目の王妃の息子だった。だが、野心家である文定王后は「自分の息子を国王にしたい」という野望を持っていた。

そんな文定王后の気持ちを察した鄭蘭貞は、世子を脅すために、火であぶられたネズミの死骸を木にくくりつけた。これが1527年に起きた「灼鼠(しゃくそ)の変」である。

世子の脅した犯人として挙げられたのは、中宗の寵愛を受けていた側室の敬嬪・朴(キョンビン・パク)氏だった。彼女はまったくの無実なのだが、文定王后によって王宮から追放されてしまう。

その後も、文定王后の手先として様々な悪事に手を染めた鄭蘭貞。ついには、尹元衡の妻となることができた彼女は、文定王后の最大の野望のために露骨に動いた。

結局、文定王后の息子が朝鮮王朝第13代王・明宗(ミョンジョン)として即位したのは、1545年だった。

この即位には鄭蘭貞も貢献している。やったのは悪事ばかりであったが……。

文=大地 康

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