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平安時代は【大学の学費タダ】だったって本当?しかも、「大学寮」で頑張ると出世ができた⁉

  • 2024.5.20
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*TOP画像/為時(岸谷五朗) 大河ドラマ「光る君へ」20回(5月19日放送)より(C)NHK

 

『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代の「大学寮」について見ていきましょう。

 

令和は男女で学ぶ内容は同じ。しかし平安では、男子と女子で学ぶ内容が大きく異なった

大学教育におけるジェンダーの垣根を払拭しようという動きが、平成終わり頃からすすんでいます。

 

平成一桁生まれの筆者が大学に進学するタイミングでは、多くの女子大において文学部や国際系の学部が目立っていたように思います。しかし今ではこうした名残はほとんどありません。女子大の学部編成やカリキュラムが大きく変わり、デジタル系理系が推されています。

 

あわせて、女子大におけるトランスジェンダーの学生の受け入れもすすんでおり、2020年度にはお茶の水女子大学(東京都文京区)、2021年度には宮城学院女子大学(宮城県仙台市)などが続いています。今後は、さらに多くの女子大が戸籍上の性別の枠組みを超えて、学生を受け入れると見込まれます。

 

現代の教育や職業選択において「男だから〇〇、女だから〇〇」という固定観念はほとんどないといえるでしょう。

 

一方、平安時代は男女で必要な教養や学問分野が異なりました。男性は三史五経(史記、漢書、後漢書、易経、詩経、礼経、春秋)をはじめとする漢籍を読み、漢詩文に長けていることが求められました。公的な記録や日記は漢文で書かれているためです。

 

一方、平安時代の女性のいわゆる教科書は『古今和歌集』。必須科目は和歌習字でした。女性には公的な記録を読むことは求められず、和歌の読み書きが高貴な女性としての嗜みでした。

 

 

平安時代における「大学寮」の役割とは?

貴族の男子は7~8歳頃から漢文で書かれた書籍の勉強をはじめます。現代では6歳から義務教育がはじまるため、勉強を始める時期はだいたい同じですね。

 

貴族の男子は13~16歳頃になると大学寮で学ぶかどうかという選択にせまられます。大学寮は式部省に属する機関で役人の育成を目的とします。

 

大学寮は学費が必要なかったため、貧しい貴族の男子も進学できました。紫式部の父・為時は長らく官職に恵まれず、家計に余裕はなかったはずですが、惟規も大学に進学しています。

 

当時の大学寮には以下の4つの学部がありました。

 

・紀伝道(文学科)

・明経道(儒学科)

・明法道(法学科)

・算道(数学科)

 

中国の史を学ぶ紀伝道が上記の中でももっとも重んじられていました。この学部では『史記』などの漢書、『文選』などの詩文を学んでいました。

 

また、明経道でも教科書を中国の本とし、論語などを学びました。

 

当時、日本の法律や仕組みは中国を手本につくられたため、政に携わる者にとって中国に関する知識は必須だったのです。

 

 

大学寮で必死に学べば出世もできた!?

『光る君へ』では、為時(岸谷五朗)が惟規(高杉真宙)に学ぶことの重要性を説いています。また第9話で、まひろは「男であったなら 勉学にすこぶる励んで 内裏に上がり 世を正します」と述べていました。

 

これらのシーンにうかがえるよう、平安時代の半ば頃までは学問に励み、優秀な成績を修めれば出世の道が拓かれていました。貧しい生まれであっても寮試(りょうし)や省試(しょうし)に受かれば、官位を得られる見込みがあったのです。

(庶民に生まれた場合、いくら勉強しても官職を得たり、貴族になったりすることはできませんでした。そもそも、当時の庶民が自分で書籍を入手し、勉強するのは現実的ではないでしょう。)

 

しかし、藤原道長が実権を握るようになると、努力による立身出世の道が絶たれます。大学において教官の推薦があれば任官できる制度も生まれ、個人の努力だけでどうにかできる世の中ではなくなってきます。この部分は『光る君へ』の道長(柄本佑)の方針と真逆ですね。

 

 

参考文献

・川村裕子『平安男子の元気な!生活』 岩波書店 2021年

・繁田信一『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』 ジー・ビー 2020年

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