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なぜプリンスは唯一無二なのか? “孤高の天才”の桁違いな伝説からカリスマの魅力に迫る

  • 2024.5.17
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映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』場面写真 (C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC. width=
映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』場面写真 (C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

2016年に急死したミュージシャン、プリンスの真実に迫るドキュメンタリー『プリンス ビューティフル・ストレンジ』。6月7日からの公開に先駆け、唯一無二の存在として、今なお絶大な人気を誇る“孤高の天才”プリンスの、桁違いな伝説の数々を紹介しよう。

【動画】孤高の天才“プリンス”の真実に迫る! 『プリンス ビューティフル・ストレンジ』予告

2016年4月21日、57歳の若さで急死した天才ミュージシャンのプリンス。80年代、自伝的映画『パープル・レイン』、同映画サントラのメガヒットで、一躍世界的スーパースターに。公式発売されたアルバムのトータルセールスは1億5000万枚。12枚のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、7度のグラミー賞を受賞。2004年にはロックの殿堂入りを果たすなど、生涯ロック・ポップス界の頂点に君臨し続けた。

ポール・マッカートニーが“クリエイティブの巨人”と称し、エリック・クラプトンが“世界で最高のギタリストの1人”と称賛するなど、マニアを公言するビッグネームは数知れない。ロック~ポップス~ファンク…あらゆるジャンルの垣根を飛び越え、実験性と大衆性を同時に奏でる真の天才だった。

米ミネアポリスで誕生したプリンス(本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン)は、住民の99%が白人という環境下で、多感な青春時代を過ごした。公民権運動の渦中、ジェームス・ブラウン等の黒人ミュージシャンも時折訪れた、地元のブラックコミュニティー“ザ・ウェイ”での音楽的な原体験、恩師や家族が語る幼少期のエピソードは、興味深いものばかりだ。チャカ・カーン、チャックD、ビリー・ギボンズなど、プリンスを敬愛するミュージシャンのエピソードも多数収録。孤高の天才が、いかにして誕生したのか、そして突然の悲劇まで、プリンスを愛する全てのファンに贈るドキュメンタリー。

1958年6月7日、アメリカ・ミネアポリスで誕生したプリンスは、1978年にデビューして以来、35年以上にわたり世界中で唯一無二の独特な存在であり続けた。そんな“孤高の天才”プリンスの桁違いな伝説の数々を、ドキュメンタリーの公開に先駆けて紹介しよう。

■驚異的な作品数

プリンスは生前に39枚のスタジオアルバムと4枚のライブアルバムをリリースし、発表した楽曲数は約600曲にのぼる。ほぼ年に1枚のハイペースで作品を発表しつづけていたが、なんとプリンスの死後に自宅兼スタジオの金庫からは、約8000曲もの未発表曲が収録されたテープが発見された。

■史上最高額の契約金

1992年にプリンスはワーナー・ブラザーズと再契約を結び、史上最高額の1億ドルの契約金と副社長のポストを手に入れた。当時1億ドルというのは、マイケル・ジャクソンやマドンナも上回る、当時の音楽業界で歴代最高額での契約だった。

■異例のシンボルマークへの改名

頬に“SLAVE(奴隷)”という文字を書いてステージに立ち、レーベルの支配に反発を示したプリンスは、ワーナー・ブラザーズとの確執から、1993年に“プリンス”という名前から発音のできない抽象的なシンボルマークへと改名した。2000年には名前を元の“プリンス”に戻したが、この改名事件は伝説となっている。

そのほかにも、数々の伝説を生み出し続けたプリンス。彼の真実に迫る『プリンス ビューティフル・ストレンジ』で、カリスマの魅力を再確認したい。

映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』は、6月7日より全国公開。

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