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「いのちがないているよ」5歳が初めて向き合った“死”…「こわい」と棺を見られなかったこうちゃんが、曽祖母にお手紙を書いた日【室谷香菜子のいっくじ日記#3】

  • 2024.5.12
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HBCアナウンサーの室谷香菜子が、息子「こうちゃん」の“一言”と、一緒にしたためる一句で、小学校入学までの1年間を”一句”(育)児日記につづります!

こうちゃんが初めて向き合った“死”

その知らせは、寒い朝に突然やってきました。

『おばあちゃんが今朝亡くなりました。帰ってこられますか?』と父からの突然のLINE。

起きてすぐに読んだそのメッセージで一瞬にして目が覚め、ドキンドキンと鼓動が速くなるのを感じました。

すぐに会社と保育園に電話して事情を話し、キャリーバッグに荷物を詰め込みました。

「こうちゃん、今から青森に行くよ」
「え~!飛行機に乗るの~!?やった~!!!」

息子は大喜びです。

Sitakke

私の地元・青森に息子と帰省するときは、途中飽きてぐずったりしないよう、なるべく短時間で移動したいので、必ず飛行機を使います。

2歳くらいのイヤイヤ期の頃の飛行機移動はものすごく大変で、泣くわ、暴れるわ、通路で走り出すわ…!

私にとっては忍耐力が試される修行のようでした。

今では大きな座席に一人でゆったりと座って、ジュースを飲んだり窓の外を見たりしてくれるので、約40分のフライトはあっという間です。

でも、「楽になったなー」と感慨にふけるいつもの旅と、今回は違う。

祖母が亡くなったことを私自身も受け止めきれずにいる中で、息子になんと説明しようか。

少し考えてから、正直に伝えました。

「おおきいおばあちゃん(私の祖母のこと)が今日死んじゃったんだって。会いに行こう」

「えっ。おおきいおばあちゃん死んじゃった?死んだの?」

聞きなれない「死」という言葉に、息子も動揺し始めました。
5歳児にとって“死”とはどういうものなのか。

私が生まれて初めて触れた“死”は、隣の家に住んでいた大好きな叔父が亡くなった時でした。

その時の私の年齢は5歳。今の息子と同じ年齢です。

40代で癌になり、進行が早く、あっという間に亡くなってしまいました。

亡くなる前後のことは、今もしっかりと思い出すことができます。

全身の痛みから全く笑わなくなり、亡くなる数日前には、「子どもの声がうるさい」と病室で背中を向けられました。

生きているときに会えたのはそれが最後。

お葬式では、眠っている叔父の顔を見るのが怖くて、恐る恐るのぞいたことまでしっかりと私の中に残っています。

この年になるまで、叔父はよく私の夢に出てきてくれて、夢の中ではいつも穏やかに笑っています。

Sitakke

青森へ向かう飛行機の中、こうちゃんは、

「あのねぇ、死んじゃった人はね、お星さまになるんだよ」

「おおきいおばあちゃんは今どこにいる?」

色々な質問を私にしながら、終始ソワソワした様子でした。

「5月にまた帰るよ」桜を待たずに旅立ち…

Sitakke
当時3歳の私と祖母

青森空港に着いてから、葬儀などの打ち合わせのため、まっすぐ斎場へ向かいました。

ソワソワしていたのは息子だけではありません。

実は、私が一番ソワソワし、息子に涙を見せまいと必死にこらえていました。

昭和4年生まれの祖母。

祖母とは22歳まで青森の実家で一緒に暮らしました。

Sitakke

3年前に心臓の大きな病気を患うまでは毎日のように外をたくさん歩き、肉も魚もたくさん食べる、「パワフルばあちゃん」でした。

私の就職が決まり、青森を離れると決まって一番悲しんだのは祖母。

「なして青森で就職しねがったんだべ(どうして青森で就職しなかったのかな)」と、私の母によく言っていたそうです。

最後に実家で祖母と会話をしたのは今年のお正月。

Sitakke

私は、「5月のゴールデンウィーク、帰れたらこうちゃんと帰ってくるからね~!」と声をかけました。

その言葉に「5月か…それまで来られねが」と、弱く小さい声で寂しそうにつぶやいていた祖母。

そして、桜の季節を待たず、この世を去ってしまいました。

「おおきいおばあちゃんにお手紙書く!」

棺に収まった祖母は、思っていたよりもずっと穏やかな顔で眠っていました。

「こうちゃん、おおきいおばあちゃんにご挨拶する?」と聞くと、

「こわい、見ない」と頑な。

斎場ではずっと私の横にくっつき、離れない時間が続きましたが、突然、「おおきいおばあちゃんにお手紙書く!」と言いました。

まだ平仮名を読むことはできても、上手に書くことはできないので、「書きたいこと、ママが書くよ。なんて書く?」と聞くと…

おおきいおばあちゃんへ
ひこうきにのってきたよ かなしかったよ
いのちがないているよ

そして、「最後はこうちゃんが書く!」と言って、 『またね』 と大きく書きました。

Sitakke

「お手紙、おおきいおばあちゃんのおてての上に置いたよ。優しいお顔で寝てるよ、大丈夫、見てごらん」というと、息子は棺をゆっくりと覗きました。

そして、「あれ、怖くない」。

しばらくの間、祖母の顔を見つめていました。

私が祖母の頬に手で触れると、それを真似し、「つめたい。すっごくつめたいよ」と驚きの表情。

手に残った感触や祖母の穏やかな表情は、息子の心にしっかりと刻まれたと思います。

「だから、おおきいおばあちゃんありがとう」

Sitakke

6年前、こうちゃんの誕生をとても喜んでくれた祖母。

里帰り出産で、私が札幌へ戻るまでの間、毎日息子の変化に目を細めていました。

「頭上げでら!もう少しで寝がえりする~!」
「足の力つえ(強い)子だよ~」

手をたたいて、満面の笑みで見つめていました。

節目に送る息子のアルバムは、祖母の部屋の手の届く場所に必ずありました。

私が札幌に就職したときには悲しませてしまったけれど、帰省するたびに大きくなっているひ孫を見て、「元気になるじゃ~」と言ってくれるのは本当にうれしかった…。

そして、ほんの少しはばあちゃん孝行ができたかな?と思っています。

Sitakke

祖母の葬儀の司会は私がしました。

こうちゃんは「ママ、かっこいいね~!」と、マイクを持ってしゃべる私の姿を初めて見て驚いていました。

ばあちゃん。

こうちゃんは来年からランドセルを背負って小学校に行くよ。

自転車の補助輪を外してスイスイ乗れるようになるのはいつかなぁ?

一人でおつかいにはまだ行きたくないんだって、男の子は甘えん坊だね。

…まだまだ話したいことはたくさんあります。

あれから数か月が経ちましたが、こうちゃんはたまに思い出したように祖母の話をするときがあります。

「おおきいおばあちゃんから産まれたのが青森のじぃじで、青森のばぁばから産まれたのはママ、ママから産まれたのはこうちゃん!」

「だから、おおきいおばあちゃん、ありがとうだね~」

Sitakke

今年の夏には、祖母の趣味であった裏庭の畑でできた夏野菜を持って、こうちゃんとお墓参りに行こうと思います。

ここで一句!

『お空へと きっと届くよ またねの字』

****

文|HBCアナウンサー 室谷香菜子
青森県出身。2009年HBC入社。HBCラジオ「アフタービート」、「美香と香菜子のおさんぽ土曜日」などを担当。2018年第1子(男の子)を出産。趣味は寝かしつけ後のドラマ鑑賞と、美味しいお酒。息子(こうちゃん)との日常はInstagramでも発信中。

編集:Sitakke編集部あい

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