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昔は薬として食べられていた!肉食タブーの裏で江戸人が愛した肉料理

  • 2024.5.12
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。 / credit:wikipedia

江戸時代、肉を食べることはタブーとされており、あまり表立って食べられることはありませんでした。

しかし全く食べられていなかったわけではなく、様々な口実を使って人々は肉を食べていたのです。

果たして江戸時代の人々はどのような肉を食べていたのでしょうか?

本記事では江戸時代の人々が食べていた肉について取り上げつつ、江戸時代の人々がどのような理由で肉を食べていたのかについて紹介していきます。

なおこの研究は、「危機と文化 : 札幌大学文化学部文化学会紀要危機と文化8巻p24-50」に詳細が書かれています。

目次

  • 肉は禁断の食べ物だった中近世の日本
  • 肉と言ったらジビエが中心だった江戸時代
  • 薬や外国料理という名目で食べられていた肉

肉は禁断の食べ物だった中近世の日本

旧石器時代の日本では狩りが行われ、肉が食べられていたが、平安時代以降肉食はタブー視されるようになった
旧石器時代の日本では狩りが行われ、肉が食べられていたが、平安時代以降肉食はタブー視されるようになった / credit:いらすとや

古代の日本における食文化は、狩猟と農耕が主要な食料の供給源でした。

旧石器時代の遺跡からは、ナウマンゾウやノウサギなどの哺乳類の化石が発見され、これらの動物は狩猟によって捕らえられ、食肉として利用されていたことが窺えます。

また縄文時代には、貝塚から鹿や猪などの動物の骨が多く発掘され、これらの動物は焼いたり煮たりして食べられていました。

しかし平安時代には陰陽道が盛んになったこともあり、貴族階級の中で肉食の禁忌は強まり、肉が食べられることは少なくなったのです

一方で武士の間では肉食の禁忌はそこまで強くなく、狩猟で手に入れた野生動物をしばしば食べていました。

やがて時代が下ると貴族もこっそり肉を食べるようになりましたが、江戸時代に入ると今度は武士の間に肉食の禁忌が生まれたのです。

しかし後述するように、武士もかつての貴族と同様に様々な抜け穴を使って肉を食べていたのです。

このように中近世の日本では、肉は表向き禁忌とされつつも、裏では多くの人が様々な方便を使って食べられてきました。

肉と言ったらジビエが中心だった江戸時代

シカ肉、江戸時代の人が肉といったらこれかイノシシ肉のことだった
シカ肉、江戸時代の人が肉といったらこれかイノシシ肉のことだった / credit:wikipedia

江戸時代に食べられていた肉としては、イノシシやシカといったジビエが挙げられます。

江戸時代では全国的に大規模な開墾が行われていましたが、それに伴って野生動物が畑を荒らす獣害も増えていきました。

これらの野生動物から農作物を守るために駆除も行われるようになり、その結果として発生した動物の死体が食べられていたのです。

一方牛などといった現在では広く食べられている家畜は、あまり食べられてきませんでした

これは当時の農民は牛を農業に使っており、人に近しい大切に扱わなければならない動物として捉えていたからです。

もちろん当時人々の足として日本中を駆け巡ることもあった馬もそのように扱われており、廃用馬を除いて食べられることはありませんでした

また豚は当時の日本でも広く飼われており、江戸の町でも豚が飼育されていたという記録が残っていますが、飼育目的は汚物の清掃や猟犬の餌というものです。

琉球王国(現在の沖縄県)や薩摩藩(現在の鹿児島県)といった一部の地域では養豚が行われていたものの、それ以外の地域では豚は食用として扱われていなかったのです。

薬や外国料理という名目で食べられていた肉

牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。 / credit:wikipedia

江戸時代の料理本はまったく肉料理について書かれていないわけではなく、肉料理についての記載もわずかながらあり、肉の臭みを取る方法や血抜きをすればどれくらいもつのかということが書かれていたりします。

しかしこれらの書物でも「牛や豚はオランダ人が食べるもの」「豚は中国の食べ物」といったことが書かれており、決して日本料理の中で肉が受け入れられていたわけではないことが窺えます。

それでは、表向き肉食がタブー視されていた江戸時代において、どういった名目で肉を食べていたのでしょうか?

当時の日本では動物の肉を薬として扱っており、人々は「薬を食べる」という名目で肉を食べていました

実際に日本料理の料理本の中にはほとんど肉料理はないものの、本草書(現在でいう薬学書)には多くの獣肉のレシピが載せられており、その効用が詳細に書かれています。

しかしあくまで本草書の中では獣肉は体にいい薬として食べることがすすめられており、食品として肉が取り扱われているわけではありません。

また外国料理という枠組みで肉を食べることについては許容されており、卓袱料理(しっぽくりょうり、中国料理や西洋料理が日本化した宴会料理の一種)を世間に広めるために書かれた料理本には、数多くの肉料理のレシピが載っています。

このように江戸時代の日本においては、日本料理として肉が食べられることはほとんど無かったものの、薬や外国料理という名目で肉が食べられていました。

しかしやがてこれらは形骸化していき、ジビエを提供するももんじ屋が生まれたのです。

ももんじ屋では表向きにあった肉食忌避から猪肉を山鯨(やまくじら)、鶏肉を柏(かしわ)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと称していたものの、江戸の町中にて公然と経営しており、多くの人が肉を食べに訪れていたのです。

そこでは獣肉を鍋物にして食べたりしており、後に肉食が解禁された後にすき焼きや牛鍋が人気を博した伏線となっています。

参考文献

札幌大学学術情報リポジトリ (nii.ac.jp)
https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/records/6800

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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