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ジョン・ボン・ジョヴィと妻ドロシア・ハーリー、35年の結婚生活の秘訣を明かす

  • 2024.5.9

ジョン・ボン・ジョヴィと妻ドロシア・ハーレイには、有名なラブストーリーがあります。

それは、ふたりが高校時代からのつきあいで、ラスベガスで「駆け落ち」婚をし、4人の子どもたちに恵まれたこと。2016年に『ピープル』誌に夫婦円満の秘訣を聞かれたドロシアは、「どういうわけか、うまくいっています。私たちが同じ速度で成長しているからではないでしょうか。そして、同じ方向を向いて成長しているから」と語っています。

一方ジョンは「彼女が糊なんです…僕はクレイジーな夢想家で、空を飛んだり、あちこちほころびてたりします。彼女は僕を追いかけ、糊でくっつけたり、針と糸で縫い直す人なんです」

では、ジョン・ボン・ジョヴィと妻ドロシアの出会いから今日までの愛の軌跡をご紹介します。

出会いは1980年

25ans Wedding

ふたりが出会ったのは、ニュージャージー州にあるセアヴィル・ウォー・メモリアル・ハイスクールでのこと。「彼女は僕に歴史のテストでカンニングさせてくれたんです」とジョン。「彼女を見た瞬間に惹きつけられて、それ以来変わっていません」

それから何年も経って、当時についてドロシアがシリウスXMラジオの「ザ・ハワード・スターン・ショー」で語ったところによると、ジョンは高校で「100%」一番キュートな男の子だったそう。歌を歌えるということに感心したことを覚えており、「彼は上手でした」と語っています。

彼女はジョンの才能をずっと信じていたようで、ジョンのギグのためにプロムも欠席したのだとか。もっとも、誰もが彼の才能を信じていたわけではないらしく、ドロシアが家族に「『私のボーイフレンドはロックスターになるの』と言うと、家族は『うまくいくといいね』って感じでした」と語っています。

一度は破局する

出会ってすぐ意気投合したものの、1985年に一度別れを経験したふたり。女優のダイアン・レインが後にトーク番組で明かしたところによると、ダイアンはジョンがドロシアと復縁する前、5ヶ月間ジョンと交際していたことがあるそう。

とはいえ、ふたりの間にわだかまりはなかったようで、ダイアンは、「私は20歳だったし、若い頃は誰でもそんな素晴らしい経験をするべきだと思う」と語っていました。

出会いから9年後にラスベガスで「駆け落ち」婚

1989年、ジョンとドロシアはラスベガスで極秘に結婚。それは、バンドのキャリアが絶頂期にあった頃でもありました。「僕らにはNo.1アルバムもNo.1シングルもあったし、ロサンゼルスの『ザ・フォーラム』で3夜連続公演もしていました」と、ジョンは2010年の『メンズヘルス』誌に語っています。

25ans Wedding

ジョンはまた、こう語っています。「僕がドロシアに向かってこう言ったんです。『いいアイディアがある。今すぐ行かないか?』彼女は、『あなたは頭がおかしい』って。僕は、『いいじゃないか。これほどいいことはないよ、今すぐ、この瞬間だ』と。そして、ラスベガスに駆け落ちしました。誰にも言わずに」

実際、あまりに突然のことだったので、タクシードライバーが結婚式の立会人を務めることに。ジョンは、当時、家族や友人にもこのサプライズ婚が好意的に受け取られなかったことを打ち明けています。

「多くの人々にショックを与えました−みんながショックを受けました。バンドメンバー、マネージャー、事務所、弁護士、両親、その他皆です」「残念なことです。だって、素晴らしい瞬間であるべきですから。皆がそれを奪おうとしました。35年経って、今でも結婚していますけどね」

25ans Wedding

ファンもまた同じく心をかき乱されたよう。「ハリー・スタイルズやジャスティン・ビーバーが結婚したようなものです」と『ザ・ミラー』紙に語ったことのあるジョン。「当時、僕は若い女の子たちにとってそういう存在でした。ベガスから戻ってくると、マネージャーがカンカンでした。『アメリカのアイドルが結婚してしまった…これはキャリアにとっていいことじゃない』って感じでね。レコード会社も意気消沈していましたよ」

ジョンには後悔していることも

1992年に「ベッド・オブ・ローゼズ」をリリースし、曲の中でそれまでの悪ふざけについて後悔の念を綴っていたジョン。当時の振る舞いについては、ABCのテレビ番組で、司会者のマイケル・ストレイハンにより詳しく語っています。

若くして結婚したことや「セックス・シンボル」であることのストレスについて尋ねられたジョンは、「悪いことをしても咎められませんでした」「僕はロックンロール・スターです。聖人じゃない。僕の人生に女の子が100人いなかったとは言いません。僕はジョン・ボン・ジョヴィです。かなり楽しかったです!」と語っていました。

このことについてあまり多くは語らなかったものの、ドロシアとの関係を危険にさらしたりはしなかった、と明言したジョン。「自分の中のナルシストが本物だと信じるような危険は犯しませんでしたよ。そんなことは馬鹿げてる」「その価値はありません」

こうした発言は、かつて『インデペンデント』紙に掲載されたジョンの結婚生活についてのコメントにも通じるもの。「こういうことはすべてロックスターについての素晴らしい決まり文句です」「聖人だったなんて嘘はつかないけど、家庭生活を台無しにするほどのバカでもなかったということです」

子どもが4人いる

その後、温かい家庭を築き始めたジョンとドロシア。まず第一子、ステファニー・ローズが1993年5月31日に生まれました。ステファニー・ローズは7歳の時、ジョンが彼女のために書いた「I Got The Girl」を演奏したステージに親子で登場したことで有名。2017年にはラスベガスのショーにも出ました。

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そして、1995年2月19日にはジェシー・ジェームズ・ルイスが誕生。ジェシーは2018年に父と共同でワインレーベル「ハンプトン・ウォーター」を立ち上げます。

2002年に3人目の子であるジェイコブ(ジェイク)・ハーリーが生まれた時、ジョンはもう少しで出産に立ち会えないところでした。それというのも、出産の前日にファンがジョンのホテルの電話番号を見つけ出したため、電話を切っていたから。破水したドロシアがジョンに電話をかけても、繋がらなかったのでした。

翌朝マネージャーがジョンを起こしてニュースを伝え、急いでプライベートジェットに乗り込んだジョンは、間一髪で出産に間に合ったのでした。ちなみにジェイクは現在『ストレンジャー・シングス』に主演するミリー・ボビー・ブラウンと婚約中。

その2年後の2004年3月29日には4人目となるロメオ・ジョンが生まれます。父親になることについて、ジョンは『People』誌にこう語っています。「子どもの頃は恋に落ちて、妻となる人に出会って、結婚すると思っています。実は子どもを持ってから、自分が恋に落ちていることを知るんです」

成功は「ドロシアのおかげ」

長年の妻の支援に対して、繰り返し賞賛の念を表してきたジョン。『メンズヘルス』誌に対して、「僕は聖人じゃないし、聖人だったことはない」「誕生日や学校行事にいなかったことも山ほどある…[ドロシアが]いつもいてくれたんです。彼女はその意味がわかってる。これが僕の人生だし、それが現実です」

40年以上ドロシアとともに過ごしてきたジョンが挙げる夫婦の秘訣は、「お互いへの尊敬」。

「一緒に成長してきて、さらに、一緒に育ててきました。僕らはお互いが本当に好きなんです。一緒にいたいんです」

ふたりのラブストーリーは、今もファンを感動させ続けています。32回目の結婚記念日にジョンが投稿したのは、ラスベガスで挙げた結婚式の様子と、ドロシアを抱きしめるジョンの白黒写真、そして、こんな甘いメッセージでした。

「高校時代の僕がした唯一正しいことは、この女の子と恋に落ちたことでした。32回目の記念日おめでとう、ベイビー」

そしてふたりは、今年4月29日に35回目の結婚記念日を迎えました。

※この記事は2024年5月9日時点のものです。

Translation: mayuko akimoto Photos: Getty Images、Courtesy of Instagram @jonbonjovi From:Good Housekeeping

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