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会社員時代に味わった絶望から漫画家の道へ 磯谷友紀さんが自立した女性を描く理由

  • 2024.5.7

戦後まもない京都で家業の料亭を継ぐ女料理人の奮闘記『ながたんと青と』、高学歴女子の葛藤を描いた『東大の三姉妹』と、これまで自立した女性を多く描いてきた漫画家の磯谷友紀さん。そもそもは出版社で編集者として働いていたそう。一転、漫画家を目指した理由とは――。

ストレス発散で描いた漫画が

――漫画家になったきっかけは。

磯谷友紀さん(以下、磯谷): もともと漫画が好きで、小学生の頃から描いていました。中学生の時、とある版元で「A賞」という掲載一歩手前の賞をいただいて。親には内緒で投稿していたので、当時は賞金が郵便為替だったため、こっそり受け取ったり、編集担当さんからの電話も23時以降にしてもらったりして大変でした。でも、何度投稿してもやっぱりデビューは高い壁でしたし、漫画家にはなれないのかなと思っていました。それに、高校は進学校に入ってしまったため、漫画どころではなくなって、そのまま東京の大学へ。漫画家がダメなら、編集者になろうと思って、出版社を受けました。

そこでグラビア誌や実用書の編集を担当することになり、とくに漫画には関係ない仕事をしていました。当時、編集部員は今でいうパワハラ的な扱いを男性の上司から受けていました。暴言もありましたし、上司が蹴ったゴミ箱があたったり「お前のハイっていう言い方が気に入らない」と言われたり、毎晩仕事のダメ出しの書かれた長文メールがきたり。今だったら即アウトなんでしょうけど、当時はおじさんたちがオフィスで煙草をスパスパ吸っているような時代でしたから。まだまだ男社会でした。

――壮絶ですね。メンタルは大丈夫でしたか?

磯谷: やられました。そのストレスを発散する先が漫画の執筆だったんです。そうやって夜な夜な描いた作品が入選したんです。

思い返せば、パワハラ上司に自分の能力を全否定されて、わたし、編集者もダメなんだ……って絶望していたんです。だから、これだけは諦めるわけにはいかないと、必死でした。

デビュー後もこれで食べていけるとは限らないから、会社は辞めないでくださいと担当さんから釘をさされて、平日は働き、土日に書く生活を続けていました。そのころは広告代理店の進行管理の仕事に転職していたのですがブラックな編集部に比べたら天国みたいな職場でした(笑)。月2回の連載が始まった頃にようやく専業になりました。

『東大の三姉妹』©︎磯谷友紀/小学館

彼女たちはできるのに、なぜ?

――『東大の三姉妹』ではハイキャリア&高学歴な三姉妹。『ながたんと青と』では戦争未亡人になったあと家業の料亭を継ぐ女料理人、と磯谷さんの作品に登場する女性はいつも自分の意思がはっきりしていますよね。王子様を待つヒロインではないのはなぜでしょうか。

磯谷: 私がそういう女性が好きなんです。周りの友達も海外でバリバリ働くような子も多くて。出版社時代の同期もめちゃくちゃ頑張る人で、今では編集長になっていい本をたくさん作っています。カッコイイですよね。

そんな彼女たちの話を聞くと、悔しくも感じます。彼女たちはできるのに、なぜ、それを周囲に認めさせるために、余計なことにも気を配らないといけないんだろうって。
『東大の三姉妹』は、その疑問がきっかけで描き始めた漫画です。

『東大の三姉妹』©︎磯谷友紀/小学館

――今は、作品に対していろんなコメントが漫画家本人に届いてしまう時代ですが、ネットの反応とどう向き合っていますか。

磯谷: エゴサーチも時々はします。反響があるというのは売れているってことだと思うんです。だから批判されることがあってもあまり気にしません。それ以上に良いことが描いてあったら嬉しいので。でも、以前は何度か凹んだこともありました。デビュー当時、絵柄の面で酷評されているのを読んでしまったんです。たしかに、当時は画力がまだまだで自分でも実力不足を感じていたので、あれは落ち込みましたね。それからは絵の勉強も頑張りました。

人生で一番、強い意思で選択したこと

――進学校を出て、東京の大学へ行き、出版社に入り、そこから漫画家というのは勇気のいる決断だと思いますが、踏み切れたわけは。

磯谷: で高学歴女子と母親の関係についてお話しましたが、私の場合は、勉強についてはあれこれ言われなかったですね。末っ子の母は、自分の親にほったらかしにされたことが嫌だったらしく、その反動でなるべく色々やらせてあげたいと考えているようで、習い事などはたくさんしていました。高校に入るまでは母と良好な関係を築けていましたが、入学後は交友関係が広がって、東京に出て好きな仕事をしたいと思うようになりました。地元で働いて結婚して……というのは、自分がやりたいこととは違うな、と思ったんです。それで東京の大学へ行くことに決めました。

思えば、漫画家になることは、これまでの人生で一番、自分の強い意思で選択したことでした。たとえ、売れなくてもしがみつくんだ、と思えたのは、やっぱり漫画が好きだったことと、他の仕事で挫折した経験も生きていると思います。

自分で選び取った漫画家という仕事をこれからも胸張ってやっていきたいです。そして、大好きなカッコイイ女子たちを思うさま描きたいです。

■清繭子のプロフィール
ライター/エディター。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。

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