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ギャリー・ネヴィルが語る“監督という仕事のヤバさ”「ピッチ脇から試合を見たら、サッカーがさっぱりわからず…」

  • 2024.5.3
ギャリー・ネヴィルが語る“監督という仕事のヤバさ”「ピッチ脇から試合を見たら、サッカーがさっぱりわからず…」
ギャリー・ネヴィルが語る“監督という仕事のヤバさ”「ピッチ脇から試合を見たら、サッカーがさっぱりわからず…」

Text by 石井彰(編集部)

現在イングランドで屈指の売れっ子解説者として活躍しているギャリー・ネヴィル。

かつてマンチェスター・ユナイテッドで長年キャプテンを務め、数多くのタイトル獲得に貢献。引退後はUEFAのプロライセンスも取得したものの、メディアで辛口コメンテーターとして存在感を示していた。

ただその一方で2012年からはイングランド代表のアシスタントコーチとして現場に戻り、さらに2015-16シーズン途中にはラ・リーガのバレンシアで監督に就任した。

これはクラブのオーナーであったピーター・リム氏が友人であったための人事だったと言われ、弟のフィル・ネヴィルをアシスタントに従えてチームを任されることになった。

ところが初戦となったCLのリヨン戦で敗れてから9試合もの間勝利がない状態が続き、コパ・デル・レイではバルセロナに0-7と大敗。結局リーガ16試合で3勝しかできず、全試合で失点した。その結果ギャリー・ネヴィルは4ヶ月あまりで解任されることに。

今回『Sky』のポッドキャスト『Stick to Football』に出演したギャリー・ネヴィルは以下のように話し、バレンシアで体験した監督業の過酷さを明かした。

「バレンシアで監督に就任してから数ヶ月が経ったある朝、鏡に写った自分の姿を見て、『体調が悪そうな男だ』と思ったのを覚えているよ。

ヨーロッパリーグの準々決勝とリーグ戦で、アスレティック・ビルバオと3回対戦したのをよく記憶している。エルネスト・バルベルデが相手の監督だった。

彼は私が予想していなかったシステムでスタートしたが、試合中にそれも変更していた。

自分はそのレベルに程遠いと感じたよ。スタンドから試合を見るのと比べて、ピッチの横で試合を読んだり管理することに苦労していた。だから彼に対して非常に劣等感を持っていた。

タッチラインの側に身を置き、足しか見えない試合を見る。それを戦術的にどのように捉えるか、監督がどう物事を考えるのか、私には全くわからなかったんだ。自分は『何がなんだかわからない』と思ったのを覚えている」

「バルベルデ監督を見て、初めて自分は『遠く及ばない存在だ』と感じた。またディエゴ・シメオネを相手にも戦ったが、その日にも戦術、威圧感、態度や振る舞いなどあらゆる面で自分は打ちのめされたと感じた。

もう一人はルイス・エンリケ監督だ。彼が率いるバルセロナがコパ・デル・レイで我々を7-0で破った。

彼らは5-0で勝っていたときにネイマール、ルイス・スアレス、そしてリオネル・メッシを替えなかった。そして試合が終わったあと、エンリケ監督は私の前をまっすぐ通り過ぎて、握手を求めることもなかった。

それは、彼が『君に居場所はない』というメッセージを送っていたようにも感じたよ。

私がバレンシアに就任したとき、弟のフィルは前監督のヌーノ・エスピリト・サントの下でコーチを務めていた。

ヌーノは、彼に『君が監督になってくれ』と言っていた。フィルは数週間そこで働いていて、ヌーノとも良好な関係を築いていた。今思えば、フィルがすでにあそこにいたのに、私がそこに行って仕事を得たのは間違いだったと思う。

ピーター・リム会長は私に監督をしてほしかった。しかしフィルはコーチングの現場に夢中だったし、会長は『ギャリー・ネヴィルはメディアを上手く扱える』と思っていたのだろうと感じるよ」

選手としては長年トップレベルで活躍し、さらにコーチとしての勉強もしてきたギャリー・ネヴィルであるが、いざ監督として指揮をとってみると試合を捉えることがとても難しかったという。

また、ヌーノ・エスピリト・サント前監督の下でアシスタントを務めていた弟のフィル・ネヴィルが本来は指揮を執るべきだった…とも。

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