Text by 石井彰(編集部)
5月3日に行なわれるU23アジアカップの決勝戦。イラクに勝利した日本代表は、中4日で大陸の頂点を目指すための試合に臨む予定だ。
その相手となるのは、この世代で最強とも噂されるウズベキスタン。この大会では組み合わせにもある程度恵まれていたとはいえグループステージを全勝で突破し、決勝トーナメントでもサウジアラビアとインドネシアをそれぞれ2-0で下し、まだ5試合で無失点という好成績を残している。
今回はその試合に向けて、ウズベキスタン代表がこれまで産んできた「最強のレジェンド5名」を選んでみた。
マクシム・シャツキフ
所属したクラブ:ディナモ・キーウ、アルセナル・キーウなど
ウズベキスタン代表成績:61試合34ゴール
ウクライナ・プレミアリーグで2回の得点王を獲得したウズベキスタンの歴史上最高の点取り屋。
1999年にバルティカ・カリーニングラードからディナモ・キーウへと移籍し、アンドリー・シェフチェンコの後継者としてストライカーに定着。1999-2000シーズンの20ゴール、2002-03シーズンの22ゴールはリーグ最多の記録だった。
ウクライナ・プレミアリーグを6回制覇し、さらにウズベキスタン年間最優秀選手賞を4回獲得。UEFAチャンピオンズリーグで初めて得点を決めたアジア人選手でもある。
ウズベキスタン代表ではアジアカップに3回出場し、2011年大会では4位入賞に貢献。61試合で34ゴールという記録を残している。ワールドカップ2010の予選では日本代表相手にゴールも決めた。
セルヴェル・ジェパロフ
所属したクラブ:パフタコール、ブニョドコル、FCソウル、城南FC、蔚山現代、ロコモティフ・タシケントなど
ウズベキスタン代表成績:128試合25ゴール
ウズベキスタン代表の歴史上最も多くの試合に出場した選手であるジェパロフ。左利きながら右足も遜色なく使うことができ、鋭いキックでゴールとアシストを量産する司令塔であった。
2002年からプレーした名門パフタコールで大ブレイクし、ウズベキスタンリーグを6連覇。その後急成長した強豪ブニョドコルへと引き抜かれて活躍し、国内屈指のアタッカーとして確固たる存在となった。
2010年からは国外へ進出し、韓国やサウジアラビアでプレー。2016年に一度帰国したもののさらにイラン、カザフスタンのリーグを経験し、2020年に現役を引退している。
スパイクを脱いだあとはすぐに指導者に転身し、現在はウズベキスタン代表のアシスタントコーチを務めている。
ヴィタリー・デニソフ
所属したクラブ:CSKAモスクワ、ドニプロ、ロコモティフ・モスクワ、ルビン・カザンなど
ウズベキスタン代表成績:72試合1ゴール
ウズベキスタン代表DFであったゲンナジー・デニソフの息子として生まれたヴィタリー・デニソフ。ユース時代からロシアで育ち、CSKAモスクワで2003年にプロ選手となった左サイドバックだ。
2007年に移籍したウクライナ・プレミアリーグのドニプロで7シーズンを戦い、さらにその後ロシアに戻ってロコモティフ・モスクワの主力として活躍を見せた。
2013-14シーズンにはロシア・プレミアリーグのベストイレブンに選ばれるなど高く評価され、ウズベキスタンの年間最優秀選手賞も獲得している。
ウズベキスタン代表でも2006年から2018年のワールドカップ予選まで長くプレーし、72試合に出場。アジアカップには2007年と2015年の2回参戦している。
オディル・アフメドフ
所属したクラブ:パフタコール、アンジ・マハチカラ、クラスノダール、上海上港など
ウズベキスタン代表成績:108試合21ゴール
イングランド・プレミアリーグのアーセナルが獲得に動いていたとも言われるウズベキスタンの名ボランチ。センターバックやアタッカーもこなすユーティリティプレーヤーで、タフなタックルや強烈なミドルシュートを得意としていた。
2006年に若くして名門パフタコールのトップチームに昇格し、ウズベキスタン代表にもデビュー。2011年のアジアカップで4位に入ったチームの中心人物として活躍したことから大きく評価を高めた。
イングランドやフランス、スペインなどからオファーを受ける中、ロシア・プレミアリーグのアンジ・マハチカラへと移籍。サミュエル・エトーらとともに活躍を見せ、その後クラスノダールや上海上港でプレーした。
ウズベキスタン代表でも長く中心的な選手として信頼を受け、2021年に代表引退するまで108試合に出場。2011年、2015年、そして2019年とアジアカップ3大会に参戦している。
ティムル・カパーゼ
所属したクラブ:パフタコール、ブニョドコル、仁川ユナイテッド、ロコモティフ・タシケントなど
ウズベキスタン代表成績:119試合10ゴール
カシモフやゲインリフ、シュクヴィリンなどの名選手もいるが、あえてここはウズベキスタンでアジアカップ4大会に出場したカパーゼを選出。代表119試合出場の経験を持ち、ジェパロフに更新されるまでは最多記録であった。
ジョージア系トルコ人の血を引くタフなボランチで、献身的なプレーとリーダーシップによって長年ウズベキスタン屈指の選手として活躍。
1998年からネフチ・フェルガナというクラブでデビュー。それからパフタコール、ブニョドコル、そして海外移籍…とジェパロフと同じようにキャリアを進めた。
2015年に現役引退してからは指導者に転身し、2021年からはウズベキスタンU-23代表を指揮。U23アジアカップに参戦するチームを率いて無敗・無失点での決勝進出を成し遂げた。