1. トップ
  2. 恋愛
  3. 国民の愛子さまへの期待はますます高まるばかり…日赤ご就職に際して文書で表現した自身の「皇室観」

国民の愛子さまへの期待はますます高まるばかり…日赤ご就職に際して文書で表現した自身の「皇室観」

  • 2024.4.26

天皇・皇后両陛下の長女愛子さまが、この春大学を卒業し、日本赤十字社に就職された。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「敬宮殿下への国民の注目、好感度がますます高まっている一方で、国会では将来の安定的な皇位継承とはまったく無縁な、目先の皇族数の減少を抑えるだけの、後ろ向きで疑問だらけの2案を進めようとしている。国民が敬宮殿下に寄せる期待の高まりと、国民の代表機関であるはずの国会の空気感との隔絶に、目がくらみそうだ」という――。

日本赤十字社に初出勤された天皇・皇后両陛下の長女愛子さま
日本赤十字社に初出勤された天皇・皇后両陛下の長女愛子さま。2024年4月1日、東京都港区 [代表撮影]
高まる愛子さまへの好感度

このところ、天皇・皇后両陛下のご長女、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下への国民の注目、好感度はますます高まっている。

敬宮殿下はこの春、学習院大学のご卒業と日本赤十字社への常勤の嘱託職員としてのご就職という、人生の大切な節目を迎えられた。これにともない、3月26日・27日に三重・奈良両県を訪れ、皇室の祖先神・天照大神を祀まつる伊勢の神宮と初代の天皇とされる神武天皇の御陵に参拝された。

この時、現地では多くの人たちが詰めかけて殿下のお出ましを歓迎した。そこに集まった人々の表情は笑顔に満ち、あたかも「皇太子」をお迎えしたかのような盛り上がりだった。

2日目に奈良県にお移りになる前には、皇女などが天照大神にお仕えした“斎王”の歴史をたどる「斎宮歴史博物館」と「いつきのみや歴史体験館」にも立ち寄られている。これは、ご自身が令和におけるただお一方だけの「皇女」でいらっしゃることへの深いご自覚から、とくに希望されたコースだろう。

さらに4月10日にも、明治天皇の皇后でいらした昭憲皇太后の「百十年祭」に当たり、穏やかな春の日差しの中、明治天皇とともに昭憲皇太后をお祀りする明治神宮にお参りになられた。ここでも多くの人たちが殿下をお迎えした。

人々の前にお姿を現された敬宮殿下は、高貴かつ優美で、しかも親しみにあふれておられた。国民の間に、敬宮殿下への尊敬と共感の輪が広がるのは、自然なことだろう。

先頃、宮内庁が始めたインスタグラムも、たちまち100万人を超えるフォロワーを獲得した。これは宮内庁当局の予想以上の数字だった。その背景の一つに、敬宮殿下への関心の高さという要素も間違いなくあるはずだ。

誠実さとユーモアにあふれた記者会見

敬宮殿下はご成年を迎えられた時の記者会見で、国民に強い印象を与えられた。

品格と知性を兼ね備え、手元に用意された原稿に目を落とすことなく、ずっと記者の顔を見ながら答え続けられる誠実さと、温かみが伝わるユーモアに魅了された人も、少なくなかっただろう。

少しでも国民の自由に近い青春の日々を過ごせる、大学院へのご進学や海外へのご留学などが予想されていた中で、ためらいなく日赤へのご就職という選択をされたことも、人々を驚かせた。

公務と仕事の両立

大学ご卒業に際しての宮内記者会の質問への文書回答の締めくくりでは、以下のように述べておられた。

「皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております」

普通なら、仕事と個人的な趣味や娯楽などとのバランス、「両立」を図るのではないだろうか。ところが、敬宮殿下は「公務と仕事の両立に努めていきたい」とおっしゃっている。いかに皇族とはいえ、あまりにも「無私」なご決意ではあるまいか。

実際に4月10日は、午前に明治神宮へのご参拝という皇族としての“お務め”を果たされた上で、午後には日赤の“お仕事”に駆けつけておられた。

「困難な道を歩む方々に心を寄せる」

敬宮殿下は日赤ご就職に際しての文書回答も公表されている。そこには、殿下ご自身の「皇室」観も率直に表明されていた。

「私は、天皇皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われながら御公務に取り組んでいらっしゃるお姿をこれまでおそばで拝見しながら、皇室の役目の基本は『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ことであり、それはすなわち『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました」

天皇陛下が上皇陛下から受け継がれた天皇・皇室の「役目」の核心が、端的に示されている。しかも、それだけにとどまらず、「困難な道を歩まれている方々に心を寄せる」というさらに踏み込んだ、殿下が自らつかみ取られた“核心中の核心”ともいうべきポイントが、独自の表現で述べられていた。

まだお若いご年齢で、自らの問題意識に即して、ここまで皇室が果たすべき役割の本質に迫っておられる事実に、驚く。まさに天皇・皇后両陛下のもとにお生まれになり、天皇・皇后両陛下のもとで育ってこられた直系の皇女、敬宮殿下ならではの深いご洞察と言うべきだろうか。そこには、平成時代にいわゆる雅子妃バッシングが苛酷を極め、ご家族が「困難な道を歩ま」ざるをえなかった頃のご自身のお辛いご経験も、しっかりと踏まえられているだろう。

かつての上皇陛下のご発言

ところで、このご回答にある「国民と苦楽を共にしながら務めを果たす」というご表現は、上皇陛下が平成時代に天皇誕生日に際しての記者会見で述べておられたご発言を踏襲しておられる。

それは以下の通り。

「私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室の在り方として望ましいということであり、またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです」(平成17年[2005年]12月19日)

「国民と苦楽を共にする」と「務めを果たす」の2点が、ピッタリと重なる。ここで注目すべきなのは、この時の上皇陛下のご発言がどのような文脈で発せられたものだったか、ということだ。

皇居の敷地の一部
※写真はイメージです
女性天皇・女系天皇を認めても「皇室の伝統」は守られる

この年の天皇誕生日の1カ月ほど前に、小泉純一郎内閣に設けられた有識者会議が報告書を提出していた。そこには、すでに側室制度があり得ない時代になっており、また少子化という現実もある中で、皇位の継承資格を「男系男子」に縛るというルールをいつまでも維持していては、今後たとえ皇室に男子が生まれても安定的な皇位継承は望めないので、女性天皇・女系天皇も認めるルールへの変更が「不可欠」であると明言されていた。

これを受けて、当時の宮内記者会は「(それが実現すれば)皇室の伝統の一大転換となります」と(勝手に)決めつけた上で、「皇室の伝統とその将来についてどのようにお考えになっているか」を尋ねた。それへのご回答として、憲法上の制約に配慮して政治的な問題は慎重に避けながら、「皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思います」とされた上で、先のように述べられたのであった。

これは、「皇室の伝統」はとっくに過去のものになった側室制度がなければ維持できない“男系男子”継承などではなく、「国民と苦楽を共にする」という“在り方”に他ならない、というメッセージだったと理解できる。言い換えると、そのような在り方、その精神が揺るぎなく受け継がれるならば、女性天皇・女系天皇を認めても「皇室の伝統」は立派に守られる、というお考えを示されたことになる。

「直系優先」が維持されれば次の天皇は愛子さまに

そのような文脈での上皇陛下のおことばを、他でもない敬宮殿下ご自身が真正面から受け止めていらっしゃる事実は、重い。上皇陛下がおっしゃった「皇室の伝統」を受け継ぐご覚悟を、自ら示されたものと拝察できる。

もし国会で「女性天皇」を認める皇室典範の改正がなされ、これまで通り「直系優先」の原則が維持されれば、次の天皇には敬宮殿下が即位されることになる。それは、国民の間に高まっている願いとまさに合致するのではないだろうか。

そのような国民の素直な気持ちを、大衆の気まぐれとか一時的なブームなどと、上から目線で軽んじるのはいただけない。天皇陛下のお子様が即位されることは「世襲制」のもとでは当たり前だ。にもかかわらず、ただ「女性だから」というだけの理由で即位の可能性を排除している今のルールの方が、時代錯誤であり異常だろう。

対照的な国会の寒々しい光景

ところが、ここで視線を国会に向けると、そこには寒々しい光景しか目に入ってこない。

皇位継承問題は、6月23日まで開かれる予定の今の国会中に、一定の決着を見る可能性が浮上している。だがその中身は、将来の安定的な皇位継承とはまったく無縁な、目先の皇族数の減少を抑えるだけの、後ろ向きな方策にすぎない。

国会で協議されようとしている2案

具体的には「女性天皇」という選択肢をあらかじめ除外した上で、以下の2案を軸にほぼ各党が足並みを揃えそうな形勢だ。

①これまでは、内親王・女王が国民男性と結婚されると皇族の身分を離れ、国民の仲間入りをされるルールだった(皇室典範第12条)。だがそれをそのまま維持すると、皇室にはやがて秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下お一方だけが残られることになる。
そこで、それらの方々がご結婚後も皇籍にとどまられるルールに変更する。しかし、配偶者とお子様は国民という位置づけになる。

②これまで天皇・皇族は養子縁組が禁止されている(皇室典範第9条)。それを変更して、皇室から遥かに離れながらも血筋のつながった国民(皇統に属する男系の男子)は意外と多く実在するが、その中から遠く80年近くも前(昭和22年[1947年])に皇籍を離れた旧11宮家の男系子孫の男性に限り、現在の皇族との養子縁組によって皇籍を取得できるようにする。その場合、国民が違和感を抱く可能性を考慮して、養子本人は皇位継承資格を持たない。
ただし、かつて11あった旧宮家の多くはすでに廃絶したり、養子縁組の対象になり得る男子がいなかったりするので、年齢的な条件も考えると実際に制度の適用を受ける人物はかなり絞られる。

率直に言って、①②とも制度化するには疑問点が多い。

どちらの案も疑問だらけ

まず①は、憲法上「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であり(第1条)、「国政に関する権能を有しない」とされる(第4条)天皇を中心とする「皇室」を支える内親王・女王が、国民として幅広い自由と権利が憲法によって保障される配偶者やお子様と“一つの世帯”を営むというプランだ。しかし、およそ無理で無茶な制度ではないか。

もし配偶者やお子様が、国民として認められる政治活動・宗教活動・経済活動などの自由を100%行使した場合、どうなるか。

家族は一体と見られるのを避けにくい。だから、それは内親王・女王ご自身の行動に近いものとして、人々に受け取られるだろう。そうすると、公正・中立であり政治に関与しないことを求められる皇室のお立場と、明らかに抵触する。

逆に内親王・女王に配慮して、配偶者やお子様に本来なら保障されるはずの自由や権利が、制度上の根拠がない「無言の圧力」によって抑圧されることも、望ましくないだろう。

②は、もともと憲法上“別枠”とされている天皇・皇族ではなく、平等であるべき「国民」の中から特定の血筋・家柄=門地の者だけが、他の国民には禁止されている皇族との養子縁組を例外的・特権的に認められるプランだ。そのため国民平等の原則に反し、憲法が禁止する「門地による差別」(第14条)に当たるという疑念が示されている。これに対して、内閣法制局も残念ながら説得力のある説明ができていない(令和5年[2023年]11月15日・17日、衆院内閣委員会)。

さらに自ら「養子」になろうとする国民や、養子を受け入れて「養親」になる皇族が実際に現れるかも、不透明だ。

悠仁さまのご結婚のハードルが高くなる

先のようなプランでは結局、皇室の将来を担うのは悠仁殿下のお子様だけという可能性が高い。それだと、悠仁殿下のご結婚相手は必ず男子を生まなければ皇室を途絶えさせてしまうという、想像を絶する重圧に直面しかねない。そうすると申し訳ないことに、ご結婚自体のハードルが極めて高くなる。

ところが、もともと「天皇制打倒」を唱えていた共産党が女性天皇・女系天皇を主張しているのを除くと、かろうじて立憲民主党が①だけでなく、配偶者やお子様にも皇籍を認める方策、いわゆる「女性宮家」も検討すべきことを提唱しているというのが、国会の現状だ。

同党の野田佳彦元首相は次のように述べている。

「私も“愛子天皇”は、今後も選択肢の一つであってほしいと思っています。
とはいえ、『悠仁さま派』『愛子さま派』などと国論を二分してしまうと議論がまったく進まなくなってしまう。これが一番よくない。まずは女性宮家の当主として皇室に残っていただき、同世代の悠仁さまをお支えいただく、という考え方もあり得るでしょう」
(『文藝春秋』令和6年[2024年]4月号)

国会は「国民の総意」の尊重を

もし女性宮家すら実現しなければ、次のステップでも敬宮殿下が天皇として即位される道は、極端に狭くなる。国民が敬宮殿下に寄せる期待の高まりと、国民の代表機関であるはずの国会の空気感との隔絶に、目がくらみそうだ。

天皇の地位が「国民の総意」に支えられるべきである以上、国会は多くの国民の願いをおろそかにしてはならない。

高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」

元記事で読む
の記事をもっとみる