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なぜ全米で大ヒット? 映画『オッペンハイマー』の“正しい鑑賞法”とは? 考察&評価。クリストファー・ノーランの演出を解説

  • 2024.4.15
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© Universal Pictures. All Rights Reserved.

第96回アカデミー賞で作品賞を含む7冠を達成したクリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』が公開中だ。記録的な大ヒットとなった本作は、なぜアメリカでこんなにも受け入れられたのか。今回は、文筆家の長谷川町蔵さんによるレビューをお届けする。(文:長谷川町蔵)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】
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【著者プロフィール:長谷川町蔵】
東京都町田市出身。映画や音楽を中心として色々なものについて文章を書いている文筆家。主な著書に「インナー・シティ・ブルース」(スペースシャワーブックス)、「ヤング・アダルトU.S.A.」(山崎まどかとの共著、DU BOOKS)、「文化系のためのヒップホップ入門1〜3」(大和田俊之との共著、アルテス・パブリッシング)など。

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原子爆弾の被害の恐ろしさをスルーしている。いや、主人公の幻視を通してしっかり描いている。はたまた実際に被爆した市民が惨状を自ら再現してみせた『ひろしま』(1953)を知ってか知らずか、「そもそも日本で返答となりうる決定版的な映画がないのがいけない」なんて主張も。

【写真】映画『オッペンハイマー』劇中カット一覧

クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』について、あちこちで議論が交わされている今日この頃である。『パール・ハーバー』(2001)が公開時にほとんど騒がれなかったのとは随分な違いだ。

日本軍のハワイ真珠湾攻撃を描いた『パール・ハーバー』は、あまりに史実を無視していたため、本国では批評家が軒並み低評価、興行収入も伸び悩み、最低映画の殿堂ゴールデン・ラズベリー賞にノミネートされるような作品だった。しかし日本では感動のラブストーリーとして宣伝されて大ヒットを記録したのだ。

『パール・ハーバー』の監督マイケル・ベイが単なる娯楽監督とみなされているのに対して、ノーランがシリアスな映画作家と捉えられていることが、この違いをもたらした気がする。でもクリストファー・ノーランってそもそもシリアスな映画作家なのだろうか?

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ノーランは本来、マイケル・ベイと同じくらい、表現が映像そのものに偏った「無思想な」映画作家だと思う。表現したいのはあくまでも視覚的な快楽。ストーリーは絵作りの理由でしかない。『プレステージ』(2006)や『インターステラー』(2014)といった哲学的なテーマが語られる作品もあるにはあるけど、そうしたものは大抵、哲学SFテレビドラマ『ウエストワールド』(2016〜22)のクリエイターでもある実弟ジョナサン・ノーランが脚本に絡んだ作品なのだ。

映像に他者のアイデアが関与することを嫌うノーランは、撮影後の加工を容易にするデジタル撮影やVFXを徹底して避けている。結果、映像はノーランならではの美的感覚が全開になっているものの、最新ツールの恩恵から目を背けた映像表現は、『TENET テネット』(2020)の逆回し撮影を例に挙げるまでもなく、多分に“車輪の再発明的”なところがある。

しかしそうした欠点があるにもかかわらず、ノーランはスタジオやスタッフを巻き込んでビッグバジェットの映画を作りあげ、ことごとくヒットさせてしまう。そこに彼の天才性がある。

ノーランがデジタル撮影やVFXと同じくらい避けているのが、ストーリーを時系列順に語る行為である。時間軸が遡っていく出世作『メメント』(2000)から、同時並行して語られる三つのエピソードの経過時間が実は異なる『ダンケルク』(2017)、そして逆行がテーマの『TENET テネット』に至るまで、それは通底しているのだが、同様の演出が『オッペンハイマ―』でも施されている。

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物語は若き日のオッペンハイマーが原爆を開発するまでと、1950年代の彼が交互に描かれるのだが、後者の彼は第二次大戦を終結に導いた(と少なくとも米国は主張している)英雄でありながら、赤狩りの公聴会でソ連のスパイ扱いされている。

一体どうして彼がこうした窮状に追いつめられたのかを、映画は時間軸を行き来しながら解き明かしていく。それとともに、物理学の世界がユダヤ系によって占められていたこと、ナチスを憎む一方でソ連にシンパシーを抱くものが多かったこと、ナチスを戦わずして降伏させる戦争抑止の最終兵器として原爆の発明を推進したこと、それがある時点から標的がドイツからその同盟国の日本に変えられ(ただし少なくとも1000万人の中国人を殺害したとされる日本は同情されていない)、なし崩し的に投下先が決まったことなど、おびただしい事実が浮かび上がっていく。

こうした政治ミステリーでありながら、オッペンハイマー失脚の原因が、ロバート・ダウニー・Jr.扮するルイス・ストローズが彼に抱いた嫉妬だったというオチが何とも皮肉だ。約40年前にアカデミー賞主要部門を独占した『アマデウス』(1984)のモーツアルトとサリエリの関係をなぞることによって、『オッペンハイマー』は賞レースの覇者となったのだ。

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また本作は賞レース受けしながら、興行的にも大ヒットした稀有な映画でもある。理由は、アメリカ人が大好きなジャンル「実在人物の伝記映画」であること、近年ニーズが高まってきたアメリカの黒歴史に言及した作品であること、そして何よりも信じられないくらいの数のスター俳優が集結したオールスター映画だからだろう。

出演を熱望する俳優が多いため、もともとノーラン作品はスター映画になりがちなのだが、それにしても本作は度を越している。なにしろ名のある役を演じる俳優のほぼすべてが主演を経験済みなのだ。

もっともこれだけ大人数の登場人物を観客に判別してもらうには、こうしたキャスティングが不可欠だったはず。前述のロバート・ダウニー・Jr.やエミリー・ブラント、マット・デイモン、フローレンス・ピューといった現在進行形のスターに混じって、一時期プッシュされていたけど今はそうでもなくなってしまったジョシュ・ハートネット(そういえば前述の『パール・ハーバー』で主人公のひとりを演じていた)やデイン・デハーンが気を吐いているところも俳優好きにはタマらないだろう。

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そんなスター俳優たちを従えてタイトルロールを演じているのが、キリアン・マーフィーである。ノーランは彼のことが大のお気に入りで、『バットマン・ビギンズ』でブルース・ウェイン役のオーディションをダメ元で受けに来たマーフィーにスケアクロウ役を与えたばかりか、ダークナイト三部作すべてに登場させる優遇ぶり。その後も『インセプション』(2010)や『ダンケルク』(2017)といった作品で脇役として起用し続けてきた。

今作で主役にキャスティングできたのは、マーフィーがテレビシリーズ『ピーキー・ブラインダーズ』(2013〜22)のヒットでスター俳優になったことが大きい。ノーランは、マーフィーのオーラが最大限に引き立つように、ビッグシルエットのスーツを着せて、オッペンハイマーのルックスを実像からロックスター、デヴィッド・ボウイの1970年代中期の姿に寄せている。

この時期のボウイが俳優として主演した作品が『地球に落ちてきた男』(1976)である。宇宙からやってきた(かのような)理想主義者の天才が、地球政府のレベルの低さを目の当たりにして絶望していく姿を描くという図式において、『地球に落ちてきた男』のバリエーションとして観るのが、案外『オッペンハイマー』の正しい鑑賞法なのかもしれない。

それでも『オッペンハイマー』にある種の政治的な正しさを求めたいという人には、あるシーンを注目してほしい。それは米国大統領トルーマンが「東京大空襲で民間人が10万人死んでいるのに、反対運動が起きないのが不思議だ」と自嘲するシーンである。

広島と長崎に投下された原爆がもたらした甚大な損害の陰に隠れがちだが、米軍が東京に行った空襲によって、1945年3月10日のたった1日で、これほどの民間人が死んでいるのだ。映画の中で不可欠なセリフでもないのに、国外ではほとんど知られていないこの虐殺に言及した事実は大きい。ちなみに前述の『パール・ハーバー』のクライマックス・シーンは真珠湾攻撃ではなく、主人公たちが復讐のために実行する東京大空襲のシーンである。

(文・長谷川町蔵)

<作品情報>
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン 「オッペンハイマー」(2006年ピュリッツァー賞受賞/ハヤカワ文庫)/アメリカ
2023年/アメリカ 配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画 R15
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