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何回も何回も会い ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第6話)地味に関わり続けて学ぶ看護学生

  • 2024.4.11
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→前回【第5話】単純な話ではない ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第5話)伴走型支援で寄り添う留学生ボランティア

出会い

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(左)炊き出し会場で来場者に声をかける兼本海音さん(札幌市・去年12月)

炊き出しの会場で、顔見知りになった来場者に声をかけているのは、大学4年生の兼本海音(かねもと・うみね)さん(22歳)です。

兼本さんは、任意のボランティア団体「北海道の労働と福祉を考える会(通称・労福会)(*注1)」のメンバーとして、去年1月から、路上生活者ら生活困窮者の支援に携わっています。きっかけは、大学のゼミの先輩から「週末の夜に野宿者の実態調査をするんだけど、手伝ってくれない?」という誘いでした。(2024年3月取材)

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労福会の炊き出しに並ぶ参加者(札幌市・去年12月)

最初は困窮者の現状をまったく知らず、目的意識もないまま参加しました。ところが最初のボランティアとなった野宿者の実態調査で、零下の路上に段ボールや衣類にくるまって寝ている人を目の当たりにしたり、その後の炊き出しの現場で参加者と触れ合ったりして、それまでの困窮者に対するイメージが一変します。

汚く、臭い…怖い…頭の片隅にあった思い込みは目の前のどこにもなく、困窮者同士が情報交換をしたり、労福会のメンバーと談笑したりする様子は不思議な光景に映りました。

「元気だった?」

「身体の調子はどう?」

「おとといの晩は冷え込んだね…」

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炊き出し会場で体操を指導する兼本さん(札幌市・去年12月)

自分が友だちや親と交わす会話と何ら変わりないことに驚き、やがて、この人たちはなぜここに来ているのか?どんな背景があるのか?ボランティアの人たちはどうしてそういう対応ができるのか?という疑問が次々と湧いて、労福会が毎週土曜日の夜に行っている夜回り(*注2)に、毎回参加するようになっていました。

「自分にできることが、何か見つかるかもしれない」

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大学4年生・兼本海音さん(22歳)

兼本さんは北海道大学医学部保健学科で看護学を専攻しています。
元々は小学校の先生に成りたいと思っていましたが、寮生活を送っていた高校1年生の時に転機が訪れます。難民支援に携わった人の講演を高校で聴く機会がありました。

その後、寮の先輩が文部科学省の奨学金プログラムを利用して海外でのボランティア研修に出る様子を目の当たりにしました。この2つの出来事が、そのころ中学時代から続けていた陸上部の活動をけがで止めて、モヤモヤしていた兼本さんに響きました。

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(右)海外研修していた時の兼本さん(エチオピア・2018年)

先輩と同じボランティア研修に応募して、翌年の夏休みに1か月、アフリカのエチオピアの幼稚園や小学校に派遣され、コミュニケーションの取り方や日本文化を伝えるボランティア研修のチャンスを得ました。

しかしエチオピアでの日々は、簡単なものではありませんでした。首都アジスアベバに着いた瞬間から会話はすべて英語で、言葉は通じず、それでも各国から集まった同世代の高校生とチームを組み、現地の食事や生活習慣に戸惑いながら研修をスタートさせました。

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エチオピアの主食「インジェラ」

中でも「インジェラ」と呼ばれるエチオピアの主食には、当初何度もおなかを壊しました。インジェラは「テフ」という穀物を粉にしてクレープ状に焼いたものですが、発酵させてから調理するため独特の酸味があり、馴染むには時間がかかりました。

また時間の緩さにもやきもきしましたが、そうした経験も日が経つごとに身体が覚え、帰国する頃には「もっと居たい」と思うほどになっていました。

「子どもたちには、衛生環境の改善がまず必要」

「病気やけがに対する予防知識が普及すれば、子どもたちは学習や遊びにもっと専念できるのでは」

1か月間のアフリカでの研修は、兼本さんに医療や看護への関心を呼び覚まし、看護師になることを志して大学に進学しました。

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兼本さんの参考書

とは言え、大学では実は、看護師になることになかなか実感がわかない日が続きました。そうした中で迎えた3年生の臨床実習で、ある入院患者に先輩の看護師と共に長く向き合うことになりました。そこで直接的な看護だけではなく、何気ない会話や一緒にいる時間を重ねて、「この患者さんに治ってもらいたい」という思いがどこからともなく湧いて来ました。そして退院の日に立ち会って、患者のうれしそうな姿を見た時、感じたことがありました。

「看護師の職業をおぼろげに自覚しました。達成感のようなものがあって、なぜか私もうれしかったんです」

そこから、看護と困窮者への支援が自分の中でしっくり結びつき、卒業論文はボランティア活動での調査を題材にして、「札幌市における生活困窮者へのメンタルヘルスに影響を及ぼす要因:社会的脆弱性(ぜいじゃくせい)と孤独感」と題して、書き上げました。

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兼本海音さん(22歳)

「労福会の活動は、夜回りや炊き出しだけではなくて、その後に会議をして、困窮している人、一人一人への対応を議論します。そこにはいろんな考え方や対応の仕方があって、自分が大人になるために考えなきゃいけないことがたくさんあるように思っているんです」

「夜回りでパンを一つ配るにしても、最初は目も合わせてくれない人もいます。でも、何回も何回も会いに行き続けることで相手が少しずつ心を開いてくれ、会話が生まれ、そこからその人が困っていることの本質が見えてくることもあるんです。私が思い込んでいた問題とは全く別の理由が、その人を今そうさせていることだったりすることがあるんです」

「地味な活動が大切かなって…」

兼本さんは3月に大学を卒業して、おばあちゃんが暮らす千葉県の病院で看護師として働く予定です。チャンスがあれば、途上国での予防医学の普及にも関わってみたいと思っています。

冒頭の写真のように、顔見知りの生活困窮者も何人かできました。しかし春からは北海道を離れるため、生活困窮者への支援活動は休止することになります。その兼本さんのゼミの後輩が、今年1月から兼本さんの誘いで支援活動を始めました。

(*注1)北海道の労働と福祉を考える会(通称・労福会): 1999年に北海道大学の学生と教員が母体となって発足した任意のボランティア団体で、路上生活者ら生活困窮者の把握と調査、支援を目的としています。会員は学生に加えて会社員や主婦、公務員、自営業者、福祉関係者、教育関係者ら一般人も加わって運営されています。毎週土曜日には「夜回り」と称して札幌市内を歩き、路上生活者らと対話しながら実態を把握し、食料や生活必需品等を配布するなどの支援を続けています。また月に1回のペースで「炊き出し」も行っています。運営資金は企業や団体、個人からの寄付と助成金、会員の会費などで賄われ、ボランティスタッフと寄付金を募集しています。(https://www.roufuku.org/)

(*注2)夜回り: 上記参照

◇文・写真 HBC油谷弘洋

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路上生活者はこの十数年で減り、街角でも見かけることが少なくなりました。その一方で、車の中やインターネットカフェを転々としながら暮らす人が増え、生活困窮者の実態が見えにくくなっています。ハウスレスという言葉をご存知でしょうか?ホームレスとハウスレスの違いは何でしょうか?

生活困窮者がそうした暮らしを続ける理由は多様です。経済的な問題だけではなく、家族や職場とのトラブルから居場所をなくして孤立する人、障害や精神疾患があって社会への適応が難しい人、依存症になって治療を要しながらもその伝手を得ることができない人、一旦は生活保護の受給を得てもまた路上に戻る人など様々です。

冬には-10℃を下回る厳しい環境の札幌で、ホームレスの人、ハウスレスの人、彼らを支援する人…。この連載企画では、それぞれの暮らしと活動に向き合って、私たちのすぐそばで起きている貧困と格差の今を考えます。

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