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【黒柳徹子】好きな詩と聞かれて真っ先に頭に浮かぶ、アメリカの女流詩人、エミリー・ディキンソンさん

  • 2024.4.11
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第24回】詩人 エミリー・ディキンソンさん

みなさんに、好きな詩はありますか? 私は仕事柄、「どんな作家が好きですか?」とか、「これまでどんな本に感銘を受けましたか?」なんていうことを聞かれることが多いのですが、もしそれが「詩人」限定なら、真っ先にエミリー・ディキンソンの名前を挙げます。

エミリー・ディキンソンは、今から200年近く前、1830年にアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、55歳で生涯を閉じたアメリカの女流詩人です。厳格な家庭に生まれ育ち、とても多感な少女だったみたい。とても不思議な生き方をした人で、生涯で街から出たのはたったの数回。親しい人たちの死に直面したりする中で、しまいには、家から外にも出なくなってしまいます。でもそれは今でいう「引きこもり」というのではなく、部屋の中で、草花や虫の気持ちになって詩を書いたり、親しい人への手紙を書いたりしていたのでした。

彼女が生涯に書いた詩は1775篇にものぼりますが、その中には恋しい人のことをたくさん書いています。でも、その人に会ったのは生涯でたった2回……。その恋しい人を待つ気持ちを表した詩に、「必ず来るとわかっているものを待つことは、一生でも短い。来るか来ないかわからないものを待つことは、一秒でも長い」というのがあって、私はその詩がとても好きです。でもエミリーは一生独身で、いつも花嫁のように白いお洋服を着ていました。

生前は、新聞なんかに10篇ぐらいの詩が紹介されただけ。でも、死後発表された詩集が、20世紀になって高く評価されました。真の芸術家にはよくあることですが、生きづらさをキャッチする感性が、「早すぎた」ということなんでしょう。

私が彼女の詩に出合ったのは、ニューヨークに留学しているときでした。私がニューヨークに渡った理由の一つは、音楽大学を卒業してすぐテレビの世界に入って、休むことなく仕事をしていたとき、「今まで無我夢中で走り続けてきたけれど、電車が引き込み線に入るように、少し、止まってみることも必要かもしれない」と考えたからです。留学のきっかけを作ってくださったのは、ブロードウェイで活躍する演出家とその奥様で、留学中も、よくそのご夫婦からいろんなパーティや会合に誘っていただきました。

そういう場所に集まるのは、演劇人だけではなく、作家やアーティストなども多かったので、自然に、自分が面白いと思った本や芝居や映画なんかをテーマにした話が中心になります。その作品を知らなかったら、「観たらいいよ!」と薦めてくれるし、集まる人たちがみんな目利きで、先生みたい。そんな人たちの中でも、エミリー・ディキンソンは、アメリカを代表する詩人として、誰もがその作品の価値を認めていました。

彼女の詩は、内的な心象風景の描写以外に、身近にある自然の描写がとても巧みなことも魅力の一つです。私は、2010年の「国際バラとガーデニングショウ」で、彼女の詩をもとにイメージした庭を出品したこともありますが、そのさらに30年前には、「黒柳徹子の旅日記」という単発のテレビ番組のロケで、彼女の住んでいたニューイングランドのアムハーストの家を訪れたこともあって、そのとき出品した作品も、アムハーストで見た、彼女が詩に読んだ色とりどりの花を思い出して、信頼するバラの製作者と造園家の方にお願いして造っていただきました。

私が、とくに好きなのは、日曜日に教会に行く妹に、庭の花で花束を作って渡していたというエピソードです。その理由を彼女はこう書いています。「私は教会には行きません。神様は、花の間にもいらっしゃるのだから」。八百万の神が宿るとされる日本の神道の考え方にそっくりでしょう?

私は、本を読むのが好きです。ずうっと昔、ロシアの文豪・チェーホフがお兄さん宛に書いた手紙の「普通の眼には見えないもののためにも心を痛める」という言葉が強く心に残っていて、漠然と、「普通の眼には見えないもの」が何なのかを考えるようになっていました。大人になってから読んだエミリーの詩には、その「普通の眼には見えないもの」がたくさん書かれていました。エミリーがそれに対して心を痛めていたからこそ、彼女の詩は、永遠に人々の心に刻まれるのだと思います。

エミリー・ディキンソンさん

詩人

エミリー・ディキンソンさん

(1830〜1886)アメリカの女流詩人。奴隷制廃止運動の中心・マサチューセッツ州のアムハーストで、厳格なピューリタンの家庭に生まれ、生涯をアムハーストで過ごしながら、1775篇の詩を残す。妹に、「死んだら燃やしてね」と頼んでおいたが、あまりの数の多さに驚き、妹はその遺言を守らなかった。死後発表された詩集は20世紀になって高く評価され、現在では、『草の葉』で有名なホイットマンと肩を並べるほどのアメリカを代表する女流詩人とされる。「夢をはらむ孤独者」とも称される。

─ 今月の審美言 ─

「『普通の眼には見えないもの』がたくさん書かれていたからこそ、彼女の詩は、永遠に人々の心に刻まれるのだと思います」

写真提供/Getty Images 取材・文/菊地陽子

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