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荻上チキが読む、角田光代の小説『方舟を燃やす』。

  • 2024.4.11
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不確かな情報の渦の中で、何を信じて生きるのか?

『方舟を燃やす』

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角田光代著新潮社刊¥1,980

物語は、1967年から始まる。飛馬と不三子、二人の人物の視点を交互に行き来しながら、2020年代に至る。高度成長期から、コロナ禍まで。その人生は、社会の変化と共に、不安定な揺らぎを繰り返していく。

「英雄の孫」として、人の役に立つようでなくてはならないと育てられた飛馬は、不確かな情報を伝えたことで母を殺してしまったのではないかといういう後悔と共に生きる。女性として軽視されることが当然とされていた時代に育ち、偏った食育思想を心の拠り所とする不三子は、過干渉もあってか子供達から距離を置かれてしまう。孤立や苦悩を経験しながら流れゆく二つの人生は、現代においてささやかな交錯に辿り着く。

生まれも育ちも性別も異なる二人。その周辺には、必ず「不確かな情報」が飛び交っていた。コックリさん、育児神話、反社会的教団、終末論、大災害、感染症ーー。古き流言や都市伝説、そして現代のフェイクニュース。情報がもたらす不穏な気配が、隙あらばにじり寄ってくる。「不確かな情報」を強く意識した頃には、噂が自己成就するかのように、破滅の匂いが立ちこめる。

無線、文通、テレクラ、ポケベル、SNS。情報の渦の形は異なっているが、時代ごとに新たな「情報事故」が発明されてきた。誰かとつながるための道具たちが、分断や孤立も生んできた。この物語は、その数々に直面した人物たちの息遣いが描かれている。

自分自身が誤った情報に振り回されるばかりでなく、身近な人物が、危うい信念を強固に持った時。登場人物たちの混乱が、手汗を通じて伝わってくる。人生と歴史を追体験しながら、「そうならざるを得なかった人」の姿を、内側からモヤモヤと無力に見守るという読書体験。外から「愚かしい」と蔑むのではなく、不安を共に味わった時、あなたもすでに、情報禍の物語の登場人物に書き加えられている。

文:荻上チキ / 評論家NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」所長。TBSラジオ「Session」でパーソナリティも務める。『社会問題のつくり方困った世界を直すには?』(翔泳社刊)ほか著書多数。

*「フィガロジャポン」2024年5月号より抜粋

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