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黒澤明の最高傑作…出演予定だった大物俳優とは? 映画『乱』徹底考察&評価。ロケ地と配役、珠玉の音楽も深掘り解説

  • 2024.4.13
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映画『乱』の撮影現場【Getty Images】

巨匠、黒澤明の後期の最高傑作『乱』のネタバレあらすじに加え、演出、脚本、配役、映像、音楽の視点で徹底考察。シェイクスピアの4大悲劇『リア王』を原案とした本作は面白い、つまらない? ロケ地と幻の出演者は? 作品の魅力を多角的な視点で明らかにする。【あらすじ キャスト 考察 解説 評価 レビュー】

『乱』あらすじ

監督の黒澤明【Getty Images】
黒澤明Getty Images

70歳の武将、一文字秀虎(仲代達矢)はある日、客人を招いた場で、息子達に家督を譲って隠居すると表明する。

秀虎が「三本の矢の教え」を引き合いに、長男・太郎(寺尾聰)、次男・次郎(根津甚八)、三郎(隆大介)の3人で一の城、二の城、三の城をそれぞれ守っていくよう諭すと、三郎が三本の矢をへし折って秀虎に反発する。

怒った秀虎は、三郎とそれを擁護した重臣・平山丹後(油井昌由樹)を追放するが、三郎を気に入った隣国の領主、藤巻(鈴木平八郎)が三郎を婿として迎える。

太郎の正室であり、秀虎に親兄弟を秀虎に滅ぼされた上、一の城を奪われた過去を持つ楓の方(原田美枝子)は、未だ当主の象徴である馬印を持っている秀虎からそれを奪うため、親子を仲違いさせようと企む。

『乱』【ネタバレあり】あらすじ

(左から)映画『影武者』の監督・黒沢明と主演の仲代達矢
左から映画影武者の監督黒澤明と主演の仲代達矢Getty Images

その後秀虎が太郎の家来を射殺したことを発端に、秀虎と太郎の親子関係は悪化。秀虎は次郎の元へと向かうが、そこでも拒絶され、秀虎は無人の三の城へと向かう。

しかし、秀虎の辿り着いた三の城に、太郎と次郎の軍勢が攻め入り、城は陥落する。その混乱のさなか、一の城を狙っていた次郎の家臣が太郎を射殺する。

長男と家臣らを失い自害に失敗した秀虎は、半狂乱のうちにその場を後にし、丹後と道化の狂阿弥(ピーター)を従えて野原をさまよう。

一方、夫・太郎を失った楓の方は、正室である末の方(宮崎美子)を殺して自分を迎えるよう次郎に取り入る。

その後、父・秀虎の身を引き取るためにやってきた三郎の軍勢が、次郎の軍と対峙し、藤巻と綾部(田崎潤)の軍もその様子を伺う。次郎軍が三郎軍へと突撃を開始すると、一の城に綾部軍が攻め入ったとの報せが入る。

焼け落ちた一の城へ辿り着いた次郎は、一文字家を滅ぼそうとしていた楓の方の企みを知り、次郎の重臣・鉄(井川比佐志)が彼女を斬り殺す。

一方、三郎は父・秀虎を探し出し、2人は和解する。しかしその時、馬上の三郎を次郎の鉄砲隊が撃ち殺す。三郎を失い、悲嘆に狂った秀虎もやがて息絶える。

秀虎と三郎の死体が運ばれる中、姉・末の方を待ち続ける鶴丸(野村武司)が三の城の跡に佇んでいる。鶴丸が絵巻を落とした絵巻には、後光に照らされた仏が描かれている。

難産の末に生まれた黒澤映画の最高傑作ー演出の魅力

監督の三船敏郎【Getty Imags】
監督の黒澤明Getty images

戦後の日本映画界に君臨し、『羅生門』(1950)『七人の侍』(1954)など、数々の名作を世に送り出してきた巨匠、黒澤明。そんな黒澤が晩年どうしても撮りたかった作品が、この『乱』だ。

原作は、シェイクスピアの三大悲劇のひとつ『リア王』と戦国大名、毛利元就の「三子教訓状」のエピソードで、脚本は、黒澤と小國英雄、井手雅人による共同執筆。主人公の一文字秀虎を『天国と地獄』(1963)など数々の黒澤作品に出演してきた仲代達矢が演じている。

映画史に残る名作が名を連ねる黒澤のフィルモグラフィの中でも、最高傑作との呼び声が高い本作。シェイクスピアに範をとった黒澤流の骨太のヒューマニズムや躍動感あふれる大迫力の合戦シーン、隅々までこだわった映像美など、黒澤作品の粋を集めた集大成的な作品に仕上がっている。

また、本作は当初、あまりのスケールの大きさから映像化が不可能と言われており、構想9年の末フランスの映画大手ゴーモンの出資によりようやく完成。制作費は最終的に日本映画最高額となる26億円に膨れ上がった。

なお、本作の5年前に公開された『影武者』は、本作と抱き合わせで作られた作品であり、時代設定を一緒にすることで小道具や衣装を流用し、『乱』の製作費を下げようとしたといわれている。

本作は、第58回アカデミー賞で監督賞をはじめとする4部門にノミネートされ、衣装デザイナーのワダ・エミが衣装デザイン賞を受賞。「世界のクロサワ」の名声をさらに高めることとなった。

なお、本作は、フランス側のプロデューサーであるセルジュ・シルベルマンの企画で、『ラ・ジュテ』(1962)で知られるクリス・マルケルがメイキングを撮影。1985年に『A.K.』(邦題『AK ドキュメント黒澤明』)として公開されている。気になった方はこちらもチェックしてもらいたい。

人間の業を描いた“喜劇”ー脚本の魅力

仲代達矢【Getty Images】
秀虎役の仲代達矢Getty Images

本作の原作となった『リア王』は、王位を譲った三人の娘から裏切られたブリテンの老王リアを描いた作品で、虚飾をまとった人間の顛末を描いたシェイクスピア4大悲劇のひとつと言われている(黒澤は1957年にすでに4大悲劇のうちの一つ『マクベス』を原作に『蜘蛛巣城』を制作している)。

さて、そんな本作を原作とした『乱』が「喜劇」だといえば驚かれる方も多いだろう。カギを握るのは、秀虎に追従する道化師、狂阿弥だ。

池畑慎之介(ピーター)演じる狂阿弥は、物語の冒頭で武士たちを笑わせる愚かな存在として登場し、下っ端の武士たちを笑わせては秀虎に怒鳴られる、つかみどころのない人物として描かれている。

しかし、物語中盤、息子たちに裏切られた秀虎が廃人になると立場が反転する。狂人扱いされていた狂阿弥が、今度は狂った秀虎を介抱するのだ。

「狂った今の世で気が狂ったなら気は確かだ」

「天と地がひっくり返った。前におれが狂ってこいつ(秀虎)を笑わせ、今はこいつが狂っておれを笑わせる。(…)お前は勝手にバカを言う。俺は勝手に本当を言う」

こういった狂阿弥の言動は、「アイロニー」という表現に該当する。「アイロニー」とは、真実を隠すために無知なふりをする状態を表した言葉で、日本語では「皮肉」を意味する。

そして「アイロニー」は、本当に無知な人間を笑う喜劇のいちジャンルでもある。例えば、哲学者の千葉雅也は、『勉強の哲学』で、「その場のノリ」をずらそうとするユーモア(ボケ)に対して、「その場のノリ」を疑って批判するアイロニーを「ツッコミ」だと述べている。

思えば、本作の登場人物はみな極端に戯画化されており、どこか滑稽だ。太郎、二郎、三郎というネーミングも武将にしては安直だし、秀虎の白塗りも志村けん扮する「バカ殿」のようにどこか滑稽に思えてくる。

―そう。本作は、黒澤明が仕掛けた壮大なコントなのだ。そう考えると、中盤、荒廃した城から廃人になった秀虎が出てくるといういささな不自然な展開も「爆発オチ」のように見えて来やしないだろうか。

では、悲劇と喜劇の違いとは一体何か。これに答えを与えてくれるのが、かの喜劇王チャップリンだ。彼は、「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」という名言をのこしている。つまり悲劇と喜劇は、対象を見る視点で変わるのだ(現に黒澤は、本作を、前作の『影武者』と比較し、「『影武者』は地の視点、『乱』は天の視点」から描いた作品だと語っている)。

さて、最後に、秀虎の「モデル」となった人物について紹介しよう。それは実は黒澤自身だ。証拠は一文字家の家紋。なんと三日月と太陽で構成されている。つまり黒澤明の「明」だ。

1970年代後半の黒澤は『赤ひげ』(1965)の失敗に伴う莫大な借金やハリウッドとの合作『トラ・トラ・トラ!』(1970)の監督降板など、数々の問題を抱え苦境に陥っていた。そして、『どですかでん』(1970)の更なる興行的失敗が追い打ちをかけ、翌年にはついに自殺未遂までしてしまう。

映画界の進化についていけず金ばかりを要求する老監督―。そんな当時の黒澤のパブリックイメージに秀虎の姿を重ねるのはやぶさかではないだろう。本作は、黒澤自身が手掛けた「自虐ネタ」なのかもしれない。

新旧黒澤組による鬼気迫る演技―配役の魅力

高倉健【Getty Images】
当初鉄修理役で出演が予定されていた高倉健Getty Images

本作では、黒澤組の新旧の役者が一同に介し、見事な演技合戦を繰り広げている。

まずは主人公、一文字秀虎役の仲代達矢から。『天国と地獄』や『椿三十郎』(1962)など、数々の黒澤作品に出演してきた仲代。本作では、4時間にも及ぶ特殊メイクの甲斐もあって、役者人生の集大成となるような鬼気迫る演技を披露している。

なお落城のシーンでは、4億円をかけて建設されたセットの中で焼け落ちる寸前まで撮影されており、一発撮りの命がけだったと振り返っている。黒澤からは事前に「転んだら4億円がパーだ」と念押しされており、本番では口の中で「4億円、4億円」と唱えながら演技していたのだとか。

太郎と二郎を焚き付けて一文字家を根絶やしにしようと企む傾国の美女、楓の方を演じるのは、原田美枝子だ。京マチ子演じる『羅生門』の真砂よろしく25歳とは思えない妖艶な演技を披露している。

また、鶴丸役を演じるのは、若干17歳の野村武司、現・二世野村萬斎だ。キャスティングにあたっては、父の野村万作に能や狂言の素養がある少年との打診があったとのことで、狂言で培った幽玄な雰囲気が作品ににじみ出ている。

そして、最大の注目は、狂阿弥役の池畑慎之介(ピーター)だろう。1969年に松本俊夫監督の『薔薇の葬列』に出演して以降、中性的な魅力で数々の作品に出演してきた池畑だが、本作では仮面を脱ぎ捨て、素顔のまま出演している。

なお池畑は、黒澤からカメラが回っていない時も狂阿弥のように振舞うように要求されたと言われたとのこと。黒澤は池畑に、プライベートでも道化的な役割を求めていたのかもしれない。

ちなみに本作には、太郎の側近である鉄修理役として当初高倉健の出演が予定されていたという。黒澤自身高倉の自宅に何度も足を運んだが、『居酒屋兆治』(1983)の出演が決まっていたため、オファーを断ったとのこと(代役は井川比佐志)。

その後、黒澤と高倉が相見えることはなかったが、もし高倉が本作に共演していたらその後の日本映画史は変わっていたのかもしれない。

神の視点から描いた地獄絵図ー映像の魅力

映画『乱』の劇中写真
映画乱の撮影現場Getty Images

元々、学生時代に画家を志していたという黒澤。その鋭敏な色彩感覚と豊かなイマジネーションは、カラー作品に移行した『どですかでん』を皮切りに、画面全体に横溢することになる。

本作も例外ではない。まず、冒頭の巻狩のシーンは、広大な草原の緑とワダ・エミによる色鮮やかな衣装が絶妙なコントラストをなし、思わず見惚れてしまうほどに美しいシーンに仕上がっている。

そして圧巻は、中盤の合戦シーンだ。12万人にも及ぶ甲冑姿のエキストラたちとその中にはためく無数の幟は、黒澤作品からしか摂取できないリアルなダイナミズムが感じられる。なお、撮影にあたって黒澤は、戦国時代のリアリティを追求するため、わざわざ背の低い高価なクォーターホース50頭を輸入して調教している。

しかし、本作の本当の魅力は合戦シーンではない。本作は、迫力の合戦絵巻である以前に、何より阿鼻叫喚の地獄絵図だ。中盤、武満徹のレクイエムに乗せて約10分にわたり延々と流れ続ける死屍累々の映像の数々は、多少オーバーな気もするが、戦場の悲惨さを伝えたいという黒澤の思いがこれでもかと伝わってくる。

なお、撮影はロケが大半で、ロケ地には姫路城や熊本城、御殿場、伊豆大島、名護屋城跡、飯田高原など、日本各地の名勝名跡が採用。三の城の落城シーンは、4億円をかけてわざわざ御殿場にオープンセットを作って実際に燃やし、マルチカメラで撮影したとのこと。絶対に失敗が許されない撮影だったことは想像に難くない。

また、撮影技術に関して言えば、本作は望遠レンズが多用されており、いわば人間の営みを俯瞰する神の視点がそのまま再現されている。

なお、一般的に望遠レンズは、背景をぼかし、被写体をくっきりと浮かび上がらせる効果があるが、本作では望遠にも関わらずパンフォーカス(画面の隅々までピントを合わせる技術)を行うという離れ業が駆使されている。こういった撮影へのこだわりは、資金が潤沢な往年のスタジオでないと許されない撮影と言えるだろう。

武満徹のレクイエム―音楽の魅力

(左)ジョージ・ルーカス(中)黒澤明(右)スティーブン・スピルバーグ【Getty images】
左ジョージルーカス中黒澤明右スティーブンスピルバーグGetty images

本作の音楽を手がけた武満徹は、戦後の日本を代表する前衛作曲家。琵琶や尺八といった和楽器を取り入れたオーケストラ「ノヴェンバー・ステップス」で一躍「世界のタケミツ」となった人物として知られている。

そんな武満が黒澤映画の音楽を担当するのは、『どですかでん』以来15年ぶり。『どですかでん』では、温かなメロディーで貧しくも精一杯生きる人々の生活を描いていたが、本作では一転、マーラーの交響曲を思わせる重厚なレクイエムを提供している。

特に印象的なのは、中盤の合戦シーンだろう。斃れた武士たちの骸が延々と映し出されるこのシーンでは、戦の喧騒が消え、レクイエムだけが再生される。オーケストラの荘厳な音色に混ざって流れる銅鑼や尺八の音色はなんともおどろおどろしく、戦国の世の恐ろしさをこれでもかと際立させている。

また、音楽といえば、鶴丸が演奏する篠笛のおどろおどろしい音色も忘れてはならない。このシーンは、家族を殺害された鶴丸が、理性を失った秀虎を驚かせるシーンだが、彼の積年の復讐心を音楽で見事に表現している。

なお、武満はサウンドトラックの制作中に意見が合わずに激しく対立。黒澤は録音済みのテープに何度もダメ出しし、武満側も音楽を勝手に修正する黒澤に怒りを抑えきれず、自分の名前をスタッフクレジットから外すようにお願いしたという。

その後、武満は、プロデューサーの原正人の取りなしにより黒澤と和解したものの、1993年に逝去。黒澤との作品は本作が最後になってしまった。

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