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「本来の自分を取り戻す時間だった」ハワイに移住して10年。吉川ひなのが語るこれまでとこれから

  • 2024.4.10

オトナミューズ創刊から10年の間に“生活の場を海外に移す”という大きな変化があった吉川ひなのさん。海外生活を始める前と、その後の心境の変化などについてのインタビューをさせていただきました。示唆に富むエピソードの数々、お楽しみください。

吉川ひなの in HAWAII 「これまでの10年は、ハワイでもう一回生き直すというか、 本来の自分を取り戻す時間だったと思う」

このビーチと空最高なの♡

ハワイの自然、暮らす人たちが、 仕事以外の人生を教えてくれた

たまにはおめかしして撮影も

― 第1子の妊娠中にハワイで過ごしたことが、移住のきっかけになったと聞きました。
「元々ハワイは留学先のひとつで、夫と入籍するまでの1年間に、ハワイをはじめとして英語圏のいくつかの国へ留学して、自分のためだけに生きる時間を過ごそうと決めていたんですね。ところが準備が全て整ったタイミングで妊娠が発覚して、留学は一旦取りやめることに。でも、留学というかたちではなくなるけど、やっぱり行きたいと思って、最初に行くと決めていたハワイで妊娠期間を過ごしたんです。夫は日本とハワイを行ったり来たりで、私はお腹の赤ちゃんと過ごす日々。早寝早起きをして、朝ゴハンを食べて、近所をお散歩する……。13歳から30歳くらいまで、仕事ばかりしてきた人生だったので、仕事以外の時間は全て次の仕事までの“待機”だったんですよね。そんなふうに生きてきたから、ハワイでの何でもない毎日が衝撃的だったんです。私のことなんて誰も知らず、知らなくてもすれ違いざまに笑顔を交わすこと、空がこんなに広くてきれいなこと、こんな素晴らしい生活が世に存在するなんて聞いてない! って、びっくりしちゃって」

潜っても気持ちいい♡

― 「この暮らしを続けたい」とひなのさんは熱望することになるわけですが、周囲の反応はどういった様子でしたか?
「まず夫ですが、彼は生粋の都会っ子というのもあり、ハワイはたまに行くから楽しいのであって、住む場所ではないという感覚の人でした。長女が2歳になるまで日本とハワイを行き来する生活を続け、プリスクールに入学するタイミングの2015年にハワイに移住。夫曰く、『君がハワイがいいって言うから、僕もハワイにいるだけだよ』と。彼は同じアメリカでもメインランドに住みたいと言い続けていたんですね」
― その後、2人目を出産した2018年からの1年間、ハワイを離れてLAが拠点に。
「ハワイの家は残した状態で引っ越したけれど、夫は『LAいいね!』ととても楽しんでいて。私にとっても、出会う人たちが面白い人ばかりだし、生き方にしても人生を豊かにしよう、もっと楽しもうとする姿にたくさん刺激をもらえる場所でした。このままハワイに帰らないという選択もあったけれど、ちょうどLAで山火事が相次いだ年で街中まで煙で真っ白。長女にアレルギーが出てしまって、肌がかゆくて、ぐちゅぐちゅになってしまった状態が何カ月も続いたんです。ところが夏休みにハワイに帰ってみると、数カ月治らなかった肌がたった1週間で治っちゃって。LAは刺激があるという意味では楽しいけれど、家族で子どもを育てていくことを考えると、やっぱりハワイだねという結論に。夫も一度ハワイを離れたことがきっかけで、ハワイの魅力を改めて実感したようでした」

― 一方で、海外移住をすることで、今までと同じように働けなくなることについては?
「東京で暮らしていた当時は、仕事メインで生きていたから楽しさや幸せを感じられず、いつも何か恐怖を感じながらの生活。だから、仕事が思うようにできないとか、海外で生活していけるのかっていう、先行きの不安や怖さよりも、現状から解放されるキラキラしたものしか見えてなかったんです。ただ、周囲のほぼ全ての人からは、『うまくいくわけがない』って言われました。ハワイに住みながら日本の仕事を続けるなんて都合のいい話があるわけないよ、と。でも、なんの根拠もなくて不思議なんだけど、私は絶対にできると心が揺らがなかった。それは、もし最悪みんなの言う通りになったとしてもいいやと思えたから。全責任を自分で取って、失敗したらそのときにまた考えればいい。とにかく大丈夫だから放っておいてって」
― 誰かに背中を押されたわけでもなく?
「そう、背中を押してくれた人はいなかった。むしろ、みんな私の腕を引っ張って引き留めようとしたくらい(笑)。私は自分のやりたいことに、ちゃんと自分の気持ちがある人がすごく好き。けれど、世の中を見ると、うまくいかなかった人に対して意地悪を言う人がすごく多いでしょ? 私からすればナイストライでしかない。そら見ろ、できなかったじゃんと言われようが、自分で自分にナイストライ! と褒めてあげて、労うことができたなら、それでいいって思うんです。そもそも私は自己肯定感がめっちゃ低いけれど、自分の中に芽生えたやりたいっていう欲求はおさえられないから、自分を奮い立たせて、なんとしてでもやり遂げようと立ち向かってきた。その積み重ねがあって、今は自分にちょっとずつだけど自信がついたし、自己肯定感も少しずつ育まれている気がします」

「居場所ができたハワイ。 東京の記憶も捉え方が変わった」

― 現在は、ハワイで3人の子育て中。
「子どもたちを見ていると、あまりにも自然との距離が近いことに驚かされるんです。裸足のまま駆け回って、芝生の上で寝転んで『大地を感じたい!』と口にしたり、海に入っていると『もうすぐ大きな波がくるよ』と教えてくれたり、木に止まっている鳥を見ては『あの鳥、すごくお腹がすいてるね』と教えてくれる。ハワイの自然に子どもたちを育ててもらっていると思うと感動しちゃって、毎日、毎日感謝してます。私も一緒になって自然と触れ合っていると、子どものころから自然や動物や虫が大好きだったことを思い出すことができた。子どもが学校に通うようになると、私が日本の学校で教わったことって権利よりも義務ばっかりだったなと気づかされたりもして。子どもたちは義務よりも自分の権利、相手の権利とは何かを教わっているから、自分を大切にできるし、相手を尊重する心が養われている。誰かのことを否定する必要はないけれど、自分がどう感じるかどう考えるかというのは言葉にしていいものだと。それが分かっているから、子どもたちは生きることがすごく上手なんですよ。私の中で、“みんなみたいにできないこと”が、ずーっとコンプレックスだったけど、その違いをもっと堂々とより自由にあらわにしてもいいのかもしれないと、子どもたちが教えてくれた気がします」

― 移住後、著書やSNSでの発信、携わるプロジェクトにしても、ひなのさんの内面が色濃く伴っていると感じます。この10年で、仕事への向き合い方も大きく変わりましたか?
「今になってやっと10代、20代にしてきたたくさんの仕事、いただいた賞を大事にできるようになったんです。『あの賞、取ってたんですね』『写真集が大好きでした』と言ってもらえて、誰かが私の代わりに大事にしてくれた月日を経て、私の中で、あのころどうでもよかったものが、今になって本当に価値のあるものに変わっていきました。今、仕事をする上で大切にしているのは、携わるみんなが幸せであること、思いやりでつながっていくこと、誰かがどこかで悲しい思いをしないこと。もちろん、どんなに好きなことをしていてもすり減るときはすり減るし、好きなことをやり続けるためにやりたくないことをやらざるを得ないときも絶対ある。全てが理想通りに完璧なんてことはなくて、でも、それが生きるってことなんですよね。少し前はもがいていたの。でも、もう少し図々しくてもいいのかなって。もし、ストレスが溜まったら庭にせっせと穴を掘ります。無心で掘り続けると、めっちゃスッキリするんですよ(笑)」

子どもとの時間全てが愛おしい

― ハワイならではですね(笑)。では最後に、これまでの10年、これからの10年について。
「これまでの10年は、ハワイでもう一回生き直すというか、本来の自分を取り戻す時間だったと思う。自分の本質的な幸せや喜びをどこに見出すのか改めて思い出すために。これから50歳までは精一杯働きたいと思っていて、自分の会社で理想をひとつずつ実現していきたい。どうしたら幸せの循環ができるんだろうと考えながら。ファームでのんびりする生活もいいけれど、末っ子がまだ2歳だから、私もまだまだ現役でいなきゃなと思ってます」

HINANO’S 2014-2024 HISTORY

~2014
日本で『sweet』他、ファッション雑誌でモデルとして活躍する傍ら、洋服や家具などのプロデュースなども手がけ忙しく活動
2015
ハワイ・オアフ島に家族で移住
2018
第2子出産。家族でLAに生活の拠点を移す
2019
ハワイ・オアフ島に戻る
2021
第3子出産
2023
『Dearママ』出版

吉川ひなの
13歳でモデルデビュー後、トップモデルとして数々の雑誌で表紙を飾り、女優や歌手としても活躍。第1子の妊娠をきっかけにハワイに移住。オーガニックコスメブランド「hinalea」や子ども服ブランド「Love the Earth blue」をプロデュースするかたわら、環境アクティビストとして情報発信を積極的に行っている。

interview:HAZUKI NAGAMINE illustration:MASAMI WAKAYAMA

otona MUSE 2024年5月号より

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