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「女性を助けるのは、女性」北海道の女性研究者たちが向き合ってきた「働くこと」の変遷…大事にしているある言葉とは

  • 2024.4.9

「女性研究者」ときいて、どんなイメージを持ちますか?

「かたそう」「何しているのかわからない」「話しにくそう」そんな印象はありませんか?

一時は「リケジョ」なんて言葉がメディアで飛び交い、なんだか「特別な人」なイメージも…。

Sitakkeの「学生ライター講座」を受講している私、「ゆかじ」も現在大学院で学んでいるいわば「女性研究者の卵」。

でも、北海道で開かれる学会に参加しても、女性研究者の数が少ないことを実感しています。

実際、日本の研究者に占める女性の割合は、16.9%にとどまっています(内閣府調査による)。

一方、最も割合が高いアイスランドでは46.4%。

いかに日本の数字が低いかがわかります。

そんな中、「北海道女性研究者の会」という団体があることを知りました。

一体どんな役割を担った団体なのか。

自分のロールモデルでもある女性研究者は一体どんな人生を歩んできたのか。

人生の道しるべを探しに、「女性研究者の会」に話を聞いてみました。

設立から47年 女性ならではの悩みを一緒に

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北海道女性研究者の会は、1976年に設立。

全道の女性研究者が交流して協力していくだけでなく、全国の女性研究者ともつながり、女性研究者だからこその悩みなどを共有し、一緒に解決していこうとしています。

設立から48年。

その歴史の中で、研究者に限らず女性を取り巻く環境は大きく変化してきました。

進学も、働き方も…。

いわゆる女性の「社会進出」が進んできた一方、まだまだ残る「ジェンダーギャップ」や「女性はこうあるべき」という固定観念もあります。

そんな状況に私自身が抱える「モヤモヤ」を、団体の代表で酪農学園大学の非常勤講師を務める石井智美先生にぶつけてみました。

石井智美先生は、現在64歳。

専門は「臨床栄養管理学」です。

その経歴に、まさに「働く女性の変遷と今」が詰まっていました。

経歴が「異色」?

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2024年1月の取材時の研究室で話してくださる石井智美先生(64)

臨床栄養管理学は、いわゆる管理栄養士になるための必修授業。

調理実習を多く行っていて、フライパンでご飯を炊いたり、魚を一匹下ろしたりしているそう。

ただ、元々の研究内容は主に「微生物」。

もちろん今も研究を続けています。

「栄養士」から研究の世界へ めずらしかった「社会人入学」

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高校卒業後は、藤女子大学短期大学部の食物栄養科と国文科の2つの学部でそれぞれ学んでいたという石井先生。

そこから、研究者の道へ…というわけではなく、22歳から28歳までは栄養士として藤女子大学で助手の仕事をしていました。

その年代の女性なら結婚するのが当たり前の時代。

でも先生は、あるとき 地下鉄の広告で見つけた青年海外協力隊のポスターにどうしようもなく惹かれたのだといいます。

「当時は、バブルでイケイケドンドン。『明日はもっと面白そう』っていう時代でした。でも、ずっとこのままなのかな〜と。後悔するのは嫌でした」

「少し軽い気持ちで」青年海外協力隊に応募してみると、なんと合格。

驚きとともに、「困ったぞ」と思ったのだといいます。

休職制度なんて、今のように当たり前ではない時代です。

仕事は辞めなければいけません。

それでも突き動かされたのは「後悔したくない」という思い。

結局、仕事を辞めて中国に2年間、わたることにしました。

そこでも資格を生かし、北京にある日中友好病院で栄養士の仕事に没頭。

帰国したときに思ったのは「もっと勉強がしたい」という思いでした。

そして、栄養士として働きながら、その後教授として長く勤めることになる酪農学園大学に入学。

31歳のころでした。

「社会人学生」がまだめずらしかった時代の「走りだった」と振り返ります。

仲間にも恵まれ、順調なキャンパスライフ。

「発酵」によって食品に付加価値がつけられることに興味があったという石井先生。

ちょうどバイオテクノロジーがどんどんと発展していた時代だったこともあり、微生物の研究室に所属して、研究者の道を歩み始めました。

「研究自体はすごく大変で」と言うように、始発で大学に行って、終電で帰る生活。

「でも、楽しかったです。そこの研究室で博士課程を出て、研究者になりました」

女性研究者が少なかった時代に…

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晴れて、「女性研究者」となった石井先生。

ただ、「女性研究者の会」の存在は当時、知りませんでした。

入会のきっかけは今から20年ほど前の石井先生が40代の頃。

民俗学の研究をしている女性研究者の先輩、岡田淳子先生からお手紙を受け取ったことでした。

石井先生の論文についての評論とともに、女性研究者の会へのお誘いの言葉があったのだといいます。

入会して最初に感じたのは、「話しやすさ」でした。

「女性の研究者ってなんだか“がんばってみられやすい”んですよ」

でも同じ女性同士だと、かえって「研究者とはこうあらなければいけない」というような固定観念がなかったのだとか。

また、違う大学の女性研究者が集まるからこそ、気軽に話せること、それぞれの場所でお互いがんばっているんだなと思えたことも、心強かったのだといいます。

一方で、当時は今よりももっと女性研究者が少なかった時代。

「働く女性の生きづらさ」は大きかったのではないでしょうか。

すると、「女性だから何かを閉ざされたことはない」と石井先生。

「ただ、私より上の世代にはあると思う」と話を続けます。

子どもを産んで休みをとること。

夫の転勤にはついていくのが当たり前の風潮だったこと。

キャリアに空白ができるのは、やはり、女性であることが圧倒的に多かった当時…。

そしてそれは今もまだ同じ現状が少なからず続いています。

そんなときに、石井先生は常に頭に浮かべる言葉があるといいます。

女性を助けるのは、やっぱり女性

Sitakke

それは「急がなくてもいい、でも休まない」。

どんなにゆっくりでもいいけど、研究の手を、足を止めずに、少しずつでも進める。

「子どものお世話だって手伝うし、なんでもサポートする。女性を助けるのは、やっぱり女性です。この会はそういうところ」

実際に、ほかの女性研究者が転勤した先での復職について情報交換なども行っているそうです。

まだまだ女性の研究者は少ないですが、石井先生は「女性こそ研究に向いている」と話します。

「女性は粘り強い。今の学生でも女の子の方があきらめない子が多いと思います」

教える立場になって思うのは「優秀じゃなくてもいいから、好きでいられるかどうか」だということ。

好きでい続けて、歩みを止めずにいると、経験値があがる。

「歳をとった方が、研究は有利、ということもあるんです」とにっこり笑ってくれました。

発足48年…時代の変化は

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女性研究者の数は、少しずつではありますが、増えてきています。

ただ、「女性研究者の会」の会員も右肩上がりかというと、そうではないようで…

「みんな忙しそうで…。会報だけでも読んでと言っています。『1人じゃない』って思ってほしいです」

それぞれ所属する大学も違って、利害関係がないからこそ、なんでも話してほしいという思いで勧誘を続けているといいます。

女性研究者の会は、大事な「ガス抜き」の場。

「しょげた時とか凹んだときにそれを言えることですね。『そしたら、今度美味しいご飯食べに行こうね』って」

共感しあい、「距離感がいい」のだといいます。

「女性同士はいつも本音。そして、しなやか。日本では、若い人に価値があるけど、ヨーロッパだと大人になってもいいという価値観。そういうのっていいなと思います。歳を重ねてもパワフルでいないといけません。」

若い世代が悩んでいたら、まずは「話を聞く」ことを大事にしているという石井先生。

そしていつも伝えるのが、先輩方から言われ、大事にしている「急がすに、休まない」という言葉だといいます。

女性研究者の会として、受け継がれている大事なモットーなんですね。

大事なのは誰かに認めてもらうことじゃない

「あと…」と、先生が続けます。

「女性が働く上で大切なことは、誰かに認めてもらうとかではなくて、自分の居場所を見つけること。そして、自分の足で立つこと」

恥をかいてもいいし、失敗してもいい

そして、助けてほしい時に「助けて」と言うこと。

きちんと言葉にすることが大切だと話してくれました。

会と自身…これからがもっと「パワフル」に!

Sitakke

もちろん、先生自身も「止まらず」に、今も自身の研究を続けています。

専門は、モンゴルのお酒「馬乳酒」。

その名の通り、馬の乳を原料としていて、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

遊牧民で、野菜をとる習慣のないモンゴルの人々が、どのようにビタミンをとっているのか…。

その答えが「馬乳酒」なんだそう。

多いときは年に3回、モンゴルを訪れて研究を重ねてきました。

モンゴルでは現地の人々の食生活を調査し、同じものを食べて同じ生活をします。

家畜は何頭いて、何を食べているのかも調べました。

モンゴル人のお母さんと一緒に台所に立ち、料理の仕方を見せてもらいました。

家族のタイムテーブルを作って、「お父さんは何時に朝ごはんを食べて何時に家を出る」なんていうように、日々の行動すべてが、どのように栄養摂取と関わっているか、事細かに調べていくのだといいます。

こうして訪れたモンゴルのお家は200軒以上になるのだそうです。

自身の研究である馬乳酒の話をしているときの先生の顔は、とっても輝いていて印象的。

好きなものを突き詰め、とことんワクワクできるというのは研究者のステキなところだなと改めて感じさせてくれるものでした。

ちなみに、馬乳酒のお味は、「甘くないカルピス」なんだそうです。

想像つくような、つかないような…。

若い人の背中を押したい

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「北海道女性研究者の会」の今後については、「まずは会員数を増やしたい」と意欲的です。

実は、「北海道」でなくても、入会できるし、「女性」じゃなくても歓迎なのだとか!

発足から48年。

今は50年目を目指し、若き研究者の応援や支援をより積極的に行っていきたいといいます。

「女性同士だから、諦めるのでなくて、背中を押す。だからこそ、一緒に何かやりたいです」

同じ「女性研究者」として

私自身も社会人経験を経て、今、大学院に通う「女性研究者の卵」です。

この進学の決断も、90歳くらいになって体力的に進学が難しくなった時に「あの時、進学していたらどうなっていたのだろう…」という後悔をしたくなかったから。

進学してもしなくても、リスクはある。

でも、ここで進学しないと、一生「たられば」が付きまとう。

そんな思いが今の私の選択につながっています。

石井先生の「後悔するのはいやだった」という言葉を聞いて、少しだけ自分の選択が間違っていなかったと思えるようになりました。

正直、まだ自分の人生がどこに向かうのか、わからないのが現状です。

でも、「女性でもなんでもできる」を体現している石井先生を見て、赴くままに自由に行動して、自分が好きな自分でいたいと思いました。

「北海道女性研究者の会」を通して考えたのは女性のコミュニティの存在。

職場や学校というコミュニティだけでなく、他の繋がりを持つことでセーフティーネットを自分で作ることの大切さが見えてきました。

そしてなんと、この取材を通じて、私も女性研究者の会に入会させてもらうことになりました。(ありがたいです)

石井先生のようなかっこいい女性たち会えるのを楽しみに、「急がず、でも休まない」自分の歩みを見つめたいと思います。

文:学生ライター・三浦夕佳
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は取材時(2024年1月)の情報に基づきます。

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