児童養護施設や里親などの社会的養護から離れた子どもたちを「ケアリーバー」と言います。
札幌に、当事者としての経験を活かして、ケアリーバーの支援者として、一歩を踏み出す人がいます。
「懐かしいなって思う反面、やっぱりちょっと気持ちはざわつきますよね。トラウマまではいかないですけど」
そう呟きながら、とあるアパートを見つめる男性。
緊張のためか、その手元は、忙しなく動いています。
今は亡き母親と暮らした場所へ、20年ぶりにやってきました。
佐々木龍成さん(26)。大学4年生です。
彼は、かつて母親から虐待を受け、母の死後、児童養護施設に入所していた「ケアリーバー」の当事者です。
この春大学を卒業し、自身の経験をもとに「支援者」としての一歩を踏み出しています。
佐々木さんの生後間もなく、母親は夫、つまり佐々木さんの父親から暴力を受け、離婚。
物心ついた時から、母親との2人暮らしでした。
日中も寝ていることが多かったという母親。
5~6歳になるころには、カレーなど、晩ごはんの準備は自分でするようになりました。
唯一の思い出は、趣味だったパチンコについていったことだと言います。
母親は、お酒が好きで、行きつけのお店もあったようでした。
「そこにフラッと行っちゃうので、自分が寝てる間に」
深夜、寝ている彼を置いて飲み屋へ行ってしまうことも。
「お母さんに会いたい」
その一心で、当時小学1年生の佐々木さんが、夜中、一人で遠くの繁華街を探し歩いたこともありました。
体調の優れない母親に代わって、小さいころから包丁を握り、料理をしていました。
「満足に遊ばせてもらえなかったし、ご飯も全然食べられないし、母親が彼氏のことで上手くいかないと殴られるし。それを振り返った時に『本当にコイツ殺してやる』って思ったことが1回だけあって」
「いなくなってくれ」
いなくなってくれれば自分の生活が変わるかもしれない…そう思ったのだと話します。
母への憎しみと、後悔と
彼が6歳の時でした。
前日の夜、佐々木さんは、母親と、その友だちの3人で焼き肉をしていました。
次の日になると、母親が倒れていました。
「お母さんが倒れているのは、いつものこと」
佐々木さんはそのまま登校します。
しかし帰宅後、玄関を開けると母親はそのままの状態で倒れていて、すでに冷たくなっていました。
「今でも覚えているんですよ、どこに倒れてどういうポーズまで覚えているし。あの時朝起きて『お母さん』って体を揺らした時のあの温もりまで手に残ってるくらいハッキリ覚えていて」
あの時に、あの朝の時点で、もし救急車を呼んでいたら…。
お母さんは生きていたかもしれない…。
「そんなことないって警察の方から言われたんですけど、でもそれでもやっぱり…自分のせいでもあるのかなと思う」
母親への憎しみと後悔という複雑な感情を抱えたまま11年間、児童養護施設で暮らしました。
今は「不安」が大きいけれど
自身の経験から、福祉系の学部がある大学へ進学を決めました。
今の児童福祉法では、「社会的養護」を受けられるのは、原則18歳まで。
佐々木さんも大学進学をきっかけに、自立することを余儀なくされました。
一番困るのは、やはり「生活費をどうするか」という問題。
公共料金の支払い方が分からずに、電気や水道が止まったこともありました。
「自分ひとりの力でここまでこられたわけじゃない。直近4年間は特に。今まで自分が作ってきたものとか、お世話になったものを、ほかの子どもたちに引き継いでいきたいというか、活用できるようにしてあげたい。自分で終わりにしたくない」
発達に心配を感じたり、「社会的養育」が必要な子ども達を支援する、社会福祉法人に就職しました。
今の素直な気持ちは「不安」と話す佐々木さん。
自身も虐待を受けた経験があるからこそ、出来る支援があるはずと考えます。
ケアリーバーが直面する課題として
●金の管理方法やゴミの出し方など日常生活に不安を感じる
●退所後、身近に相談する人がおらず孤立
●進学後、金銭面などの理由で中退
などがあるといいます。
こうした実態を受け、4月1日から児童福祉法の改正法が施行されました。
現在は原則18歳、進学した「学生」に限り、満22歳までが支援の対象ですが、4月からは、年齢や学生という制限がなくなり、知事が「自立可能」と判断するまで支援が継続されます。
「支援者」となった佐々木さん。
自らの経験を活かし活躍する姿を期待したいです。
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2024年3月13日)の情報に基づきます。