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新海誠が絶賛した声優とは? 東日本大震災を描いたワケと批判される理由は? 映画『すずめの戸締まり』考察&評価。楽曲も解説

  • 2024.4.8
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映画『すずめの戸締まり』監督の新海誠【Getty Images】
【Getty Images】
Getty Images

宮崎県の町で叔母と暮らす17歳の岩戸 鈴芽(いわと すずめ)はある日荒廃した草原で母を探す不思議な夢を見る。

翌朝、鈴芽は登校中すれ違った青年・宗像 草太(むなかた そうた)を追い、辿り着いた廃屋で水溜りの中の扉へと引き込まれるが、中の世界には入れずに引き返す。

鈴芽が登校すると、窓の外の山から彼女にしか見えない煙が立ち上り、まもなく緊急地震速報が鳴り響く。

彼女が再び廃屋へと向かうと、廃屋の戸を閉めようとする草太に遭遇する。煙や地震の妨害に遭いながらも、二人は戸締まりに成功する。

草太の怪我の手当てのため、2人で鈴芽の家へ向かうと、草太は日本列島の下にいるミミズの暴走を防ぐために「扉」を探して閉めているのだと明かす。

そこへ現れた白い猫・ダイジンは、草太を鈴芽が幼少期使っていた三本足の椅子の姿に変えてしまう。2人はその猫を追ってフェリーに乗るが、猫は巡視船へと飛び移って姿を消す。

新海誠監督
新海誠監督Getty Images

『君の名は。』(2016)で国内の興行収入歴代4位(当時)を記録し、一躍国民的アニメーション作家の地位に躍り出た新海誠。『すずめの戸締まり』は、そんな新海が2011年に起こった東日本大震災をテーマに描いた作品だ。

主人公の岩戸鈴芽を演じるのは『はらはらなのか。』(2017)で知られる原菜乃華で、宗像草太役はSixTONESの松村北斗。他にも、深津絵里、伊藤沙莉、松本白鸚といった有名俳優が名を連ねている。

周知の通り新海は、震災以来、災害をテーマとした作品を世に送り出してきた。しかし、従来の作品は、『君の名は。』の彗星や『天気の子』(2019)の豪雨といったように、実世界の災害をファンタジックにデフォルメして描く場合が多かった。

一方、『すずめの戸締まり』では、「今描かないと、10代・20代の観客と震災について同じ気持ちを共有できなくなる」という切実な思いから、震災孤児を主人公に据え、より直接的に現実を描写している。

それだけではない。本作では、宮城の被災地から九州、そして東京と、あらゆる景色が現実の風景に基づいている。つまり、新海は、鈴芽と草太に現実の日本列島を「聖地巡礼」させることで現代の日本を語り直しているのだ。

ただ、こういった新海のアプローチが批判を受け続けてきたのも事実だ。例えば、『君の名は。』の公開時は、主人公の瀧が過去を改変して亡くなったはずの三葉たちを救うという展開に「震災をなかったことにする映画」という批判が寄せられたという。確かに「災害をファンタジー化してなかったことにする」という新海のアプローチはあまりに素朴であり、被災者には受け入れられないものであることは想像に難くない。

新海自身もこういった批判に無関心だったわけではない。とりわけ本作では、こういった声を真正面から受け止め、新海なりに落とし前を付けようとした跡がしっかりと垣間見える。そういう意味で、本作は、震災以降の新海の心の葛藤を刻印した集大成的な作品であることは間違いないだろう。

新海誠監督Getty Images

新海は、本作を制作する際に参考にした作品として2つの作品をあげている。そのうちの1つが、村上春樹の短編「かえるくん、東京を救う」(『神の子どもたちはみな踊る』所収)だ。

この作品は、東京を舞台に、巨大地震を起こす「みみずくん」と地震を阻止しようとする「かえるくん」の攻防を描いた作品で、『すずめの戸締まり』の脚本の骨子と似通っている。

しかし、本作には、新海誠ならではと言える要素が登場する。それが「神道」だ。

前作『君の名は。』では、口噛みの神事や巫女、「結び」といった日本神話的な要素を作品に散りばめていた新海は、本作の設定にもこういったモチーフを散りばめている。

例えば、本作の主人公2人の苗字である「岩戸」と「宗像」は、それぞれ神話上で天照大神が隠れた天岩戸と宗像三女神を祀る宗像大社に由来する。また、作中に登場する「常世」は、日本神話の根幹をなす世界観として知られている。

極め付けは、草太が儀式の際に発する言葉だろう。「かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ」からはじまるこのフレーズは、災害から国民を守るために祈祷する天皇の祝詞に酷似しており、ネット上では公開当時、草太が「裏天皇」であるとして話題になった。

なお、こういったモチーフは、口噛みの神事や巫女など、新海の前作である『君の名は。』にも散見されるテーマだ。しかし、本作では、古神道の重要な世界観である「常世」が登場することも相まって、より先鋭化されているように思える。

では、新海はなぜこういった神道的なモチーフを引用するのか。その鍵となるのは「セカイ系」というバズワードだ。

「セカイ系」とは、主人公の自意識が世界の命運と直結する物語の類型で、庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜)がその嚆矢とされている。そして、他ならぬ新海自身、ずっと「セカイ系」の作家として位置付けられてきた。つまり、新海は本作で、日本の神道的世界観を換骨奪胎することにより、近代国家の日本を「セカイ」として描出しているのだ。

しかし、新海が描く「セカイ」には、従来の「セカイ」にはないオリジナリティがある。それは、新海の描く作品が、あくまで「社会」に根ざしているという点が挙げられるだろう。

『新世紀エヴァンゲリオン』を例に挙げてみよう。本作は、エヴァンゲリオンと使徒との格闘以外のパートは、ほぼ主人公・碇シンジの内省的なモノローグで成り立っている。こういった描写は「セカイ系」がしばしば「社会をすっ飛ばしている」と言われるゆえんだ。

一方『すずめの戸締まり』では、こういった内省がほとんど存在しない。代々閉じ師の家系に生まれた草太は社会を地震から守るためにミミズと戦い、震災孤児の鈴芽は、「常世」で出会った過去の自分に未来への希望を語る。本作には「セカイ系」特有の「ウジウジ感」が微塵も感じられないのだ。

ここで登場するのが、本作のもう1つの参考作品、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(1989)だ。

周知の通り本作は、見習い魔女のキキが見知らぬ町で修業し、一人前の魔女として独り立ちするまでを描いた成長物語だ。本作を念頭に置くならば、『すずめの戸締まり』は、震災孤児である鈴芽が草太との旅を通して成長し、前を向くまでの過程を描いた物語といえるだろう。

新海は、製作発表記者会見で、「扉を閉じる」というキーワードについて、「どんなことにおいても何かを始めることよりも終わらせることのほうが難しいのではないか」と述べ、次のように語っている。

「今作るべきは、もしかしてお客さんが今観たいのは、いろんな可能性をどんどん開いていく物語ではなく、散らかってしまったひとつひとつの可能性をもう一度きちんと見つめて、あるべき手段できちんと閉じていくこと。それによって次に進むべき新しい本当の場所を見つけるような、そういう物語ではないかと考えました」

新海自身が述べているように、私たちは前を向くために、「扉を閉じていく物語」を必要としている。そして、本作における鈴芽と草太の旅路こそ、「扉を閉ざす行為=弔い」なのだ。

そういった意味で、本作を単なる「セカイ系」の枠に収めてしまうのは少し短絡的かもしれない。本作は「セカイ系」を超え、新たな「セカイ」へと踏み出す作品なのだ。

原菜乃華【Getty Images】
鈴芽役の原菜乃華Getty Images

これまで、新海は、自身の作品の声優に「切実さ」や「純粋さ」を要求してきた。これは、『君の名は。』の上白石萌音や『天気の子』の森七菜の声を連想してもらえば分かりやすい。

本作も例外ではない。例えば、鈴芽役の原菜乃華については「感情と声の距離が誰よりも近い」ことを、草太役の松村北斗については「表現への追及と、絶え間ない内省と、切実な使命感」が草太の精神性と重なることを選考理由に挙げている。

とりわけ松村は、「椅子に変えられた人間」という極めて難しい役柄にも関わらず、感情のこもった声で見事な演技を披露。1700人のオーディションから主演の座をつかんだ原も、声優初挑戦とは思えない演技を披露している。

また、非声優陣を使った脇役の豪華さも新海作品の特徴だろう。

まず、環役を演じるのは深津絵里。新海は、選考理由について、「本音をぶつけ、うそのない叫びを聞かせてもらわないと成立しないキャラクター」と述べており、脇役にも切実さを求めていることが分かる。

また、神戸のスナックのママ二ノ宮ルミを演じるのは、伊藤沙莉。伊藤としては珍しく関西弁の役だが、独特のあたたかみのあるハスキーボイスで鈴芽の心情に寄り添っている。

芹澤役の神木隆之介は『君の名は。』で主人公の瀧役を演じており、すでに新海とは気心知れた仲。演じる上で新海からは瀧とトーンで差別化を図るよう依頼を受けており、試行錯誤しながら低い声で演じることにしたという。

なお、本作では他にも、環の同僚の岡部稔役に染谷将太、鈴芽の母親の岩戸椿芽役に花澤香菜、草太の祖父の宗像羊朗役に松本白鸚と豪華キャストが名を連ねており、さながら演技合戦の様相を呈している。

ベルリン国際映画祭にて【Getty Images】
左から新海誠監督原菜乃華ベルリン国際映画祭にてGetty Images

本作の映像の最大の魅力は、なんといってもその緻密さにある。

一般的なアニメの場合、車のナンバーや看板の文字といったディテールは描かれないことが多い。一方、新海作品では、こういったディテールまで事細かに描かれており、現実世界をそのままトレースしたかのような独自のリアリティを表現している。

また、通常のアニメでは、各セクションから上がったセルや美術背景を色彩設計がチェックし、カラーモデルを参照に調整を行うが、本作では新海自ら全てのカットに目を通している。青を基調とした新海独自のトーンは、こういった途方もない労力によって生み出されているのだ。

また、躍動感あふれるCG表現も本作の大きな特徴だろう。これらのCGは『秒速5センチメートル』(2007)以来すべての新海作品を担当してきた竹内良貴が陣頭指揮をとり、社外のクリエイターと相談しながら制作。特に、ミミズや椅子といった3DCGパートは作画素材に馴染むよう全て映像処理が施されており、アニメパートと3DCGパートが違和感なく融合している。

加えて、車や電車などのアセット(3DCGに必要な素材データ)には、過去の作品で使ったものに加え、ロケハン時の地理設定から新たに制作。特にこだわっているのは廃遊園地の遊具で、質感を表現するためにテクスチャではなく美術担当が絵を描き、アセット化しているという。

そして、忘れてはならないのが、本作に登場する日本各地の風景だ。本作は、恋愛映画、アクション映画であるとともに、現代日本の風土を切り取った「風景映画」でもある。これらの風景は、撮影監督の津田涼介が、『天気の子』の制作後にバイクで日本列島を縦断した際に制作した資料を使用しており、旅行時に感じた空気感が大いに役立ったという。

RADWIMPSの野田洋次郎
RADWIMPSの野田洋次郎Getty Images

本作の音楽には、『君の名は。』と『天気の子』の劇中音楽を担当したRADWIMPSに加え、もう1人有名なミュージシャンが参画している。『メタルギアソリッド』シリーズ(2006~)などの音楽で知られる陣内一真(じんのうちかずま)だ。

陣内は、ジャズやクラシック、アンビエント、日本の古典音楽など、さまざまなジャンルの音楽を提供。楽器には、ピアノや弦楽器のほか、和太鼓や竹笛といった和楽器が使用され、作品に奥行きを与えている。以下、印象的な楽曲を紹介しよう。

逃げたダイジンを鈴芽と草太が追いかけるシーンで流れる「キャットチェース」は、流れるようなピアノの旋律と威勢の良いブラスセクションが印象的なジャズ風の楽曲で、ガチャガチャ感が本作の幕開けにふさわしい楽曲に仕上がっている。

尺八風の音色からはじまる「予兆」は、心臓の鼓動のような和太鼓のリズムが印象的で、文字通り鈴芽たちとミミズとの闘いの予感を感じさせる楽曲に仕上がっている。なお、陣内は、和太鼓や竹笛の音色をシンセサイザーで加工し、実在しない音を生成することで、現実と異世界のはざまを表現したという。

そして、RADWIMPSの野田洋次郎が作詞・作曲を担当した主題歌「すずめ」も、本作を語る上では欠かせない。詞の中に登場する「君の中にある 赤と青き線 それらが結ばれるのは心の臓」という楽曲は、鈴芽と草太、鈴芽と椿芽のつながりを示すとともに、地球の中を動脈のように脈打つミミズを表しており、詩的なモチーフで本作の本質を表現する。

なお、「すずめ」を歌う十明(とあか)は、新海とRADWIMPSが発掘した新人ミュージシャンで、優しさと芯の強さを併せ持った歌声が本作の歌詞とぴったりと結びついている。

また、本作では、これらの楽曲に加え、「ルージュの伝言」(荒井由実)や「SWEET MEMORIES」(松田聖子)、「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)といった昭和歌謡曲がかなり意図的に挿入されている。

こういった「国民的なヒットソング」の数々には、観客のノスタルジーを喚起させる以上に、今は廃墟となってしまった地方を思い起こすためのよすがとして働いている。つまり、本作では、昭和歌謡をかつての日本を弔う「レクイエム」として用いているのだ。

 

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