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3児の母で研究職のワーママが、会社に振り回されず主体的に生きるため「これだけは絶対に必要」だと思うこと

  • 2024.4.4
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この記事を読んでいる方は入社して間もないかもしれませんし、入社して数年の方、10年は超えているよ~とおっしゃる方もいるかもしれません。勤続30年じゃ!というベテランかつ師匠クラスの方は、そんな時期もあったな~という生暖かい目で読んで頂けますと幸いです。さて、社会に出てから10年目くらいの方にとっては少し先の未来、働いて20年くらい経った時はどうなっているのか。えっ、まだまだだと思っているあなた!事実、私もとんでもなく先の話!と思っていました。しかし、ビックリするくらい時が過ぎるのは早いのです。気がつけば、春が来て、夏が過ぎて、あれよあれよとお正月になっています。私は、同い年の友人達よりも随分と遅れて就職をしてしまいました。大学受験に失敗し浪人。やっと入学した大学では遊びほうけ、学生時代最後にちょっとは勉強しようかなとノリで入ったとあるゼミで、実験に夢中になりました。人生、分からないものです。このままで終わりたくない!と大学院を視野に課題の研究を進め、意中の研究室(大学院)に進学。修士時代は寝ている時間以外は全て研究に注くくらいのめり込み、企業の研究員にとして就職しました。もちろん、恐ろしいくらい入社試験には落ちました。就職氷河期だったから!と言い訳をしたいくらい。もうどこも採用してくれないかも…と思っていた時に、たまたま、縁あって内定を頂けたのが今の企業でした。だから、感謝している部分もあります。ただ、勤続20年くらい経つと、

もういいのではないか。この企業に勤めなくても…

と思ってしまったりもします。さらに、何年も同じ企業に勤めていると『勤務地移転』とか、『部署異動』が行われる場合があります。新たな社屋が建つ時は、問答無用にみんなで引っ越し!ということも。それはそれで、えーー!想定してなかったよ!という出来事ですが、しょうがないよな…だってサラリーマンだもん。とも思ったり。私も10数年前、引っ越しを伴う勤務地異動がありました。当時、結婚してすぐの時でした。貯金もなかったので、夫の勤務地近くの激安ボロ社宅に住むことにしました(この間、近くに寄ったので見に行きましたが今ではボロ過ぎてゴーストハウス化していました)。社宅に住むことはコストが抑えられ、異動や勤務地が変わっても臨機応変に対応することが比較的容易ではあります。とはいえ、私の勤務地からは結構離れていたため大変でした。当時、朝、家を出るのは6時50分。夜は残業がなくても19時半~20時。しばらくして不妊治療をスタートしたので病院に寄った日は22時を過ぎる。徒歩数分で勤務できる夫と、1時間以上通勤電車に揺られる私。うーん。どうしても耐え切れず、今住んでいる私の勤務地に比較的近いエリアに引っ越すことを夫に打診。数年説得の末、やっと引っ越ししてくれました。彼が渋った大きな理由はお金でした。前記したボロ社宅は信じられないほど家賃が安かったのです。田舎なので、ちょっとしたマンションの1か月の駐車場くらいの料金で借りていた気がします。さすがに、そこまでコストを抑えられる所はない。夫が渋るのも分かる気がするのです。住居のコストは以前に比べると上がってしまいましたが、地方都市ですし50平米の賃貸マンション。比較的コストは抑えられていると考えます。そんなこんなで、職住近接にしたおかげか、気がつくと、

約20年同じ企業で働いています

怖い怖い!つい最近、入社したと思っていたのに、立派なベテランになりつつあります。さて、そんなベテランおばちゃん社員である私。何だか最近出張が多い。海外だけでなく、国内も結構な頻度で出張しています。で、なんとなーくなんですが、自分は転勤じゃないかな?と思っています。そろそろ。知らんけど。裏は取れていないけど。私は研究職なので、自社で研究できる場所(研究所の点在場所)は限られています。もちろん、研究ではなく他の職種になる可能性も0ではありません。うむ。それ自体は、サラリーマンなのでしょうがないです。従業員だもの。とはいえ、頭では企業は『転勤がある』と分かっていますが、お家の状況はめーーっちゃ大変なのです。我が家の日常は絶賛、

綱渡り状態

・夫、転職3年目 ガンガン土日出社あり・夫の土日出社が不定期で頻発・PTAの役員や行事あり・4歳児の保育園通い(遠距離送迎)がまだまだ続く・小3、サッカースクールに行きたいと言い出す・小5、中学受験本格化・シンプルに家事しんどい他にも、仕事関係だと特許や研究だけでなく、海外との会議がなぜか増えている・・という英語アレルギーなのにガンガン英語を使わないといけない状態になっています。ヒーヒー。こんな時に、『ぽにさん、勤務地と職種変更で』と言われるとどうなるか?ええ。転勤なんぞ内示された日には、

詰みます

白目どころの話ではない。きっと膝から崩れ落ちるでしょう。所属する企業は、全国展開しています。同じ関西エリア(現在関西在住)でも私が働けそうな部門はいくつかあります。でもね、たとえ同じ関西であっても、勤務時間が1時間以上かかる所ばかり。朝、7時にお家を出発…なんてことも当たり前。帰宅も20時近くなることもザラでしょう。場合によっては土日勤務も増えます。それなのに、同じ企業なので、

給与は変わらない

なんてこったい。今は朝、一応8時過ぎに家を出ています。夜、18時半には家についています。例の社宅からの引っ越しによって、何とか手繰り寄せた、職住接近。それが、勤務地移転によって崩壊します。いや、無理じゃない?と思わざるえない。ちょっと考えただけで、いろいろ追い詰めらるだろうな~と容易に想像できます。まだ異動の内示が出た訳でも何でもないですが、

これから『どう働くか・生きるか』が大きなテーマとなってきました

正直、私が入社した2000年代は、女性でも昭和の男性と同じようにガムシャラに働く像を求めている風潮がありました。それに答えようと頑張った自分もいます。就職がおいそれとできない氷河期。手書きで何十社も履歴書を送り、ダメだった経験もあり、受かった企業を大切にしたいという気持ちが強かった。その象徴が『転居を伴う転勤を許容する』ということだったかもしれません。今の時代、ガシガシ男性と同じように企業で働くスタイルは、無理があります。所属企業の方針や期待の通りに働き、自分の人生を企業という『規格』に押し込み、委ねていく。それなりの犠牲もあるけど、それがサラリーマン。なーんてことは、これからの人達に決して真似して欲しくない。なんならちょっとダサいなぁとすらオバちゃんは思うのですよ。もちろん個人の感想よ。いや、所属企業の方針と自分の生き方が合わなくなってきたので、卒業させて頂きます!くらいでいきたい。でも、でも…やめまーす!と宣言した時、3人の子ども達を余裕で育てられるぜ!という資金があるわけではない。では、私は何を準備すれば良いのか?40代半ば。遅いかもしれないけど、今しないといつするの!ということで準備します。

自分主体の人生にするために準備すること

以下、箇条書きで書いてみました。・ 現時点のお家資産の可視化を月一で行う(夫婦で共有)・ 数年後の資産のシミュレーションをきちんとする・ 自分の心と体のメンテナンスに投資する・ 子ども達が『自分で出来る』お家の動線や仕組みを作る・ 家事について手を抜く!もっと極める・ 専門分野の知識をブラッシュアップ・ ニガテだけど英会話を上達させる・ 転職サイトも定期的に眺める特に『自分の心と体のメンテナンスに投資すること』は、ちゃんとやっていませんでした。目も肩も次の日にダルイ日もある。雨の日や曇りで低気圧の日はどうにも身体が重かったり。まぁどうにかなる!と気合で乗り切っていましたが、そろそろ意識して向き合わなければ。ではまた!

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