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よく考えると怖い…謎めいたラストの意味は? 映画『プレステージ』徹底考察。エンディング曲、どんでん返しもわかりやすく解説

  • 2024.4.2
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クリストファー・ノーラン監督【Getty Images】
アンジャー役のヒュー・ジャックマン【Getty Images】
アンジャー役のヒュー・ジャックマン【Getty Images】

19世紀末。ロンドンで活躍するアンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)という2人の天才マジシャンがいた。アンジャーは華麗なパフォーマンスで観客を魅了するのに対し、ボーデンは決して見破られない天才的なトリックを生み出すことに長けていた。

そんな2人は良きライバルであったが、ある日、2人の師匠のマジックショーで、アンジャーの妻であるジュリア(パイパー・ペラーボ)が助手として参加していた水中脱出マジックに失敗し、命を落としてしまう。原因はボーデンのミスであることがわかり、アンジャーは激しくボーデンを責め、憎んだ。

怒りが収まらないアンジャーは、ボーデンの人気マジックショー「銃弾掴み」を邪魔して、指を2本失う大怪我を負わせる。この出来事により、2人の間には修復不能な亀裂が入ることになった。だが、事態はこれだけに収まらなかった。

家族がいるボーデンに対して、妻を亡くしたアンジャーは孤独と苛立ちで我を忘れていた。しかし、小道具を作る才能があるカッター(マイケル・ケイン)と手を組んだことによって、鳩のマジックを生み出すが、またしてもボーデンの邪魔が入る。

次にボーデンは瞬間移動マジックを編み出すと、アンジャーは彼のマジックをコピーしようとするが、タネがわからない。そこでアンジャーが考えたのは、自分そっくりの偽物を用意して瞬間移動したかのように見せかける手法だった。だがボーデンは、アンジャーの考えを見破り、あろうことか観客の目の前で恥をかかせた。

監督のクリストファー・ノーラン
監督のクリストファー・ノーラン【Getty Images】

『オッペンハイマー』(2023)でアカデミー賞作品賞ほか7冠を達成し、名実ともにハリウッドの巨匠となったクリストファー・ノーラン。そんな彼が、「バットマン三部作」の第1作である『バットマン・ビギンズ』(2005)の成功の後に手がけた作品が、この『プレステージ』だ。

原作はイギリスのSF作家クリストファー・プリーストの『奇術師』で、脚本は、クリストファー・ノーランと弟のジョナサン・ローランが担当。主人公のアンジャーをヒュー・ジャックマンが、ボーデンをクリスチャン・ベールが演じる。

あらすじからも分かるように、ノーランが本作で挑むテーマは、マジックという映画では比較的ありふれた題材だ。しかしそこは「時間の魔術師」ノーランだけあって、一筋縄ではいかない謎めいた作品に仕上がっている。

例えば、作中では、アンジャーとボーデンの師カッターがマジックにおける3つのプロセスを説明している。

①確認(プレッジ)
観客に何かを見せてタネも仕掛けもないことを観客に確かめさせる。

②展開(ターン)
タネも仕掛けもないことを示した上で、観客が驚くことをしてみせる。タネを探しても観客にはわからない。

③偉業(プレステージ)
最後に驚くべきことを戻してみせる。

カッターのこの「三幕構成」は、実は本作の物語にもぴったりと当てはまる。①は2人の出会いからアンジャーによる復讐まで。②はボーデンが瞬間移動のマジックを行ってから、2人がお互いを騙し合うまで。そして③は2人が「最後のマジック」を披露するラストの展開、といったように。つまり本作は、マジックを扱った物語でありながら、作品自体がマジックとなっているのだ。

では、なぜノーランはテーマにわざわざマジックを選んだのか、次のページではこの点について考えてみたい。

オリビア役のスカーレット・ヨハンソン【Getty Images】
オリビア役のスカーレット・ヨハンソン【Getty Images】

作中では、アンジャーとボーデンの「騙し合い」にプラスして、マジシャンとしての人生に伴う2人の犠牲が描かれる。

ボーデンは、「銃弾掴み」のマジックで指を2本失い、妻のサラを自死で失う。また、アンジャーは、マジック中の事故で妻のジュリアを失う。そしてラストでは、ボーデンが実は「半分の人生」しか生きていなかったこと、アンジャーが瞬間移動のマジックが無数の犠牲を伴っていた驚愕の事実が明らかになる。

芸術のために人生を犠牲にするというテーマは創作物ではおなじみのテーマであり、命を賭けるとまではいかないまでも、仕事のために家族との時間を犠牲にしたり青春の貴重な時間を勉学にささげたりといったことはよくある話だ。

とはいえ、このテーマを描くのであれば、芥川龍之介の『地獄変』のように画家や音楽家といったクリエイターを主人公に据えた方がわかりやすいし、ノーランがなぜマジックを選んだのかの説明はつかない。いったいなぜノーランはマジックという難解なテーマを選んだのか。

ヒントとなるのは、ノーランが最後のマジックで使った「瞬間移動装置」だ。彼がテスラから譲り受けたこの装置は、実際には「身体複製装置」であり、マジックを行うごとに余剰のアンジャーが生まれては犠牲になっていっている。

複製。勘のいい人ならお気づきだろう。この装置、実はカメラそのもののメタファーになっている。

周知の通り映像は、現実をカメラによって複製したもう一つの現実でありイリュージョンだ。しかし観客の目に映るのはそのプロセスのほんの一部であり、その背後には膨大な数の犠牲と労力がある。つまり本作は、映画のイリュージョンとその犠牲をめぐる「メタ映画」なのだ。

さて、本作が「メタ映画」であることを念頭におけば、本作の難解さも理解できる。

ヒントとなるのは、アンジャーとボーデンが交わし合う日誌だ。あらすじからも分かるように、本作の脚本は、アンジャーを殺した罪でボーデンが逮捕される「現在」を起点に、獄中で彼がアンジャーが記した日誌を読み解く形で「過去」が紐解かれていく。

しかし中盤、この日誌が実はアンジャーがあえてボーデンを陥れるために書いたものであることが判明する。日誌の中のアンジャーが、ボーデンに「死刑を待っている君は、独房で俺の日誌を読んでいるだろ」と語りかけるのだ。

日誌をめぐるどんでん返しは、物語の中盤にも組み込まれている。アンジャーの妻オリビアが、ボーデンの手品のタネを盗む「スパイ」としてボーデンのもとに送り込まれるシークエンスだ。このシークエンスは、主に以下の3つのシーンから構成されている。

①オリビアがボーデンのもとを訪れ、「アンジャーに秘密を探れと言われてやってきた」と伝える。
②ボーデンがアンジャーの瞬間移動の替え玉に酒を飲ませ、アンジャーの手品を台無しにする。
③オリビアがアンジャーに「ボーデンの日誌を盗んだ」ことを伝え、彼の日誌を手渡す。

しかし、この展開には続きがある。ボーデンの日誌を読んでいたアンジャーが、オリビアが自身をマジックのための道具として扱うアンジャーを心底軽蔑し、ボーデンへの忠誠を誓っていたという記述を見つけるのだ。日誌を記したボーデンが物語をかく乱する「信頼できない語り手」であることが明らかになる。

こういった時間操作を使った「トリック」は、直線的な時間軸では表現できず、出来事を反復する回想の時間軸によってしか表現できない。つまり、ノーランは、複雑な時間軸をあえて採用することで、編集によって自らイリュージョンを生み、映像そのものの魔術性を自己言及的に表現しているのだ。

そしてそれは同時に、今わの際のアンジャーがボーデンに投げかける以下の言葉のように「真実」に飽きたわれわれ観客を騙すためにノーランが仕掛ける「映画」という名のマジックでもある。

「観客は真実を知ってる。世界は単純でみじめですべて決まり切ってる。だから、彼らを騙せたらたとえ一瞬でも脅かすことができれば、そのとき、君も素晴らしいものを見る」

ニコラ・テスラ役のデヴィッド・ボウイ【Getty Images】
ニコラ・テスラ役のデヴィッド・ボウイ【Getty Images】

本作の配役といえば、何よりアンジャー役のヒュー・ジャックマンとボーデン役のクリスチャン・ベールを挙げなければならないだろう。

ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールといえば、それぞれ『X-MEN』(2000)のスーパーヒーロー、ウルヴァリンと、ノーランの前作『バットマン ビギンズ』のバットマンを演じている。つまり、本作は、ウルヴァリン(マーベル)vsバットマン(DC)というヒーロー映画ファン垂涎の対決なのだ。

ジャックマンの華やかなオーラとベールの朴訥とした雰囲気も、生粋のショーマンである「偉大なるダントン」アンジャーと人生を賭けてマジックを研究する「教授」ボーデンにぴったり。まさに2人が配役された時点で本作の成功は約束されたものだと言えるだろう。

また、2人の師であるカッターを演じるのは、ノーラン作品ではすっかりお馴染みとなったイギリスの盟友マイケル・ケイン。理知的ながらも飄々とした演技で本作のナビゲートをしてくれている。

そして、忘れてはならないのがニコラ・テスラ役のデヴィッド・ボウイだ。本作での出番は決して多くはないものの、ロックスターらしい抜群の存在感で作品のスパイスとなっている。

なお、主演のジャックマンは、本作の出演から10年後に『グレイテスト・ショーマン』で再びショーマンを演じることになる。この作品で彼が演じるのは、ショーに命を燃やす実在の興行師P・T・バーナムだ。

アンジャーとバーナム、ジャックマンが演じた2人のショーマンを比べてみるのも面白いかもしれない。

マジックの監修を務めたデビッド・カッパーフィールド【Getty Images】
マジックの監修を務めたデビッド・カッパーフィールド【Getty Images】

本作の映像の見どころは、なんといってもアンジャーとバーデンのマジックショーだろう。世界的なマジシャンであるデヴィッド・カッパーフィールドが仕掛ける演目は壮観で、映画の観客である私たちもつい見入ってしまうほど見応えがある。

また、光源を埋め尽くすテスラの電球や瞬間移動装置など、観客を惹きつける強いビジュアルも本作の魅力だろう。特に、冒頭の森の中に無数のシルクハットが転がるカットはかなり謎めいており、観客の目を惹きつけるには十分だ。なお、この謎めいた映像は後半に「種明かし」がされる。同じ映像を異なる意味で反復させるのは、他のノーラン作品にもみられるおなじみの演出だ。

本作のアートディレクションを手がけたのは、ネイサン・クロウリー。『ダークナイト』(2008)や『インターステラー』(2014)など、7作品のノーラン作品の美術を担当してきたプロダクションデザイナーだ。

クロウリーは、撮影にあたり、スケールモデルや画像、図面、メモからなるビジュアルスクリプトを採用。実際の撮影は、ブロードウェイがあるロサンゼルスを中心に行い、マジックの撮影はロサンゼルス劇場やパレス劇場など4カ所で行い、作品の舞台となる19世紀末ヴィクトリア朝時代のイギリスのモダニズムを忠実に再現している。

また、撮影は、『バットマン ビギンズ』や『ダークナイト』など、5作品のノーラン作品の撮影を担当してきたウォーリー・フィスターが担当。手持ちカメラによるリアルな撮影と、自然光をメインとしたハイコントラストの照明により、アンジャーとボーデンの人間ドラマを浮き彫りにし、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズをはじめとする他のコスチュームプレイとの明確な差別化をはかっている。

エンディングテーマを手がけたトム・ヨーク【Getty Images】
エンディングテーマを手がけたトム・ヨーク【Getty Images】

本作の音楽を担当したのは、映画音楽家のデヴィッド・ジュリアン。ノーラン監督作品では『フォロウィング』(1999)『メメント』(2000)『インソムニア』(2002)の音楽を担当している。

本作のジュリアンの音楽は、正直なところかなり地味な印象があるが、ヴィクトリア朝時代のイギリスという本作の舞台をイメージさせる荘厳な曲調で、本作の作品世界にふさわしい楽曲に仕上がっている。

『Man’s Reach Exceeds His Imagination』は、重々しい弦楽器の音色が印象的な楽曲。アンジャーとボーデンのドラマを決して邪魔せず、鑑賞者を深い闇へと引き摺り込んでいくように響き渡る。

また、本作のテーマを最も端的に表している『Sacrifice』は、重々しい弦楽器の音色に、ノイズの音が重なる。洞穴に吹く風のようなノイズの音が、アンジャーとボーデンの虚ろな心を表している。

なお、米国版の主題歌は、トム・ヨークの『Analyse』(日本版はGacktの『RETURNER〜闇の旋律〜』)で、デヴィッド・ボウイとトム・ヨークというロック界の2大スターの揃い踏みとなった。

 

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