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「いい映画というのは......」巨匠、フランソワ・トリュフォーが語る運命のおもしろさとは?

  • 2024.3.29

文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回はフランス映画界の巨匠、フランソワ・トリュフォーの言葉をご紹介。

フランソワ・トリュフォーは、自分の人生を綿密に設計していった人ではなかったと思う。撮影にしても全体がどうなるかも考えずに、まず撮影をスタートさせると言っているし、自分はただ目前の場面をひとつずつ組み立てていくだけだ、と職人的な発言もしている。彼はまた映画監督を目指す人たちに、いい映画というのは、三つの印象深い場面を考えれば、それで成り立つものだよ、とも語っている。三つの点を線で繋げばいいだけだという。彼は人生が差し出してくれる偶然のパズルの中で、ストーリーを編み上げていたのだろう。フランス語には「この世に偶然というものはひとつもない。それは運命だ」という箴言もあるくらい、いわゆる「偶然」に重きを置く人が比較的多い。

初期の頃に『大人は判ってくれない』(1959年)という映画史に残る不朽の名作を世に出したばかりに、トリュフォーを思春期映画の監督だと思っている人たちがいるのには驚かされる。最初に傑作を撮ったばかりに、2年後にトリュフォーの真骨頂ともいえる大人の愛の世界を描いたもうひとつの名作『突然炎のごとく』(1961年)の影が薄くなってしまっているのは、とても残念なことだと思う。

『突然炎のごとく』はジャンヌ・モロー演じる蠱惑的で、自由な女性カトリーヌをめぐって、親友で文学青年のふたりが、彼女を深く愛してしまうというストーリーだった。ひとりの男性をめぐるふたりの女性の関係ならよくある話だが、ふたりの男性との女性中心のストーリーは、1961年に作られたとは思えないくらい、時代を先駆けた物語だった。

やっと最近になって、そうした映画が出てきても不思議はない流れになってきているが、そう考えるとトリュフォーは半世紀以上も先に、女性の時代の潮流がやってくることを、まるで予言していたかのようだ。晩年、重度の癌に侵され、愛人ファニー・アルダンの元に暮らしていたトリュフォーは、死の1年前には愛人の元を去り、本妻のもとに帰っている。衰えていく自分を、愛する人に見せたくなかったのだろうか。それともただ本能的に本妻が懐かしくなったのだろうか。ともかくトリュフォーは、とことん愛を与え続け、愛に生きた人だった。

彼の死後間もなく、ファニー・アルダンはトリュフォーとの愛の結晶、ジョセフィーヌを出産している。あまりにもドラマティックな死だった。52歳で亡くなるなんて......。もっと、もっと映画を作ってほしかった。

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フランソワ・トリュフォー1932年、パリ生まれ。両親の離婚から孤独な少年時代を送り非行に走るが、15歳の時、後の映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」の初代編集長となるアンドレ・バザンに見出され、以降バザンの死去まで親子同然の関係を送る。20歳の時に映画評論を始め、54年に短編映画監督としてデビュー。『大人は判ってくれない』(59年)で長編デビューと共にカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメールらとともにフランス映画ヌーヴェルヴァーグの担い手として活躍。25本の監督作品を残し、1984年に脳腫瘍で逝去。photography:Raymond Depardon/Magnum Photos/Aflo

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