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消えゆく校歌 北海道発・「カレーの日」でにぎわう寺院の試み(第3話)【連載】お寺は怖いか

  • 2024.3.26

「子どもの顔を見るのは楽しい」

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(後ろ姿)「帰厚院」住職・成田賢一さん(岩内町・3月4日)

(成田さん)
「『ぞうさん』の歌、みんな、知ってるよね?『ぞ~うさん、ぞ~うさん、お鼻が長いのね…』の歌!」

帰厚院の住職、成田賢一さんの声が、大広間に響き渡りました。同寺が毎月第1月曜日の夕方、檀家や地域の住民らにカレーライスを振る舞って親睦を深めるイベント「カレーの日」でのことです。

今月は「みんなで校歌を歌おう」を合言葉に、お母さんに抱かれた乳児から80代のお年寄りまで70人以上が参加しました。

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「こんなに子どもがいたんだね。普段、街中ではさっぱり見かけないのに…」

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高桑俊彦さん(80歳)

町内に住む高桑俊彦さん(80歳)はこの日、「カレーの日」に初めて参加しました。高桑さんは独り暮らしで、「子どもの顔を見るのは楽しいよな(本人談)」とニコニコしながら、カレーライスを頬張りました。

引っ越しが決まって…

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各校の校歌の譜面/画像提供:帰厚院

岩内町には現在、2つの小学校と2つの中学校、1つの高校があります。これらの学校の校歌を卒業式シーズンの3月に参加者で歌って、歌詞に記された身近な風景や、耳に残るメロディをしばし思い返してもらおうという成田さんの思いによる企画です。

そのきっかけは、ある檀家の女性の言葉でした。

「岩内を離れると思うと、涙が出てくるんです…」

その女性がお寺を訪ねたある日、成田さんの長女が大広間に置かれたピアノで、自分が通う岩内第二中学校の校歌を弾いていました。女性はその音色にしばし耳を澄ましたそうです。女性も二中の卒業生で、何度も歌い何度も聴いたメロディでしたが、夫の仕事の都合と息子の進学を機に札幌へ引っ越すことが決まった矢先のことで、思わず聴き入ってしまったとのことでした。## 童謡「ぞうさん」の作曲家が…

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岩内西小学校の校章(岩内町ホームページより)

北海道の人口は多くの市町村から札幌市への一極集中が続いています。岩内町もその一つで、人口が減っています。

こうした流れを受けて、町内の4つの小中学校は1校に統合され、2年後の2026年4月から9年制の義務教育学校となることが決まっています。そして4つの小中学校の校歌はなくなります。

消えゆく校歌の一つ、岩内西小学校の校歌は1951年(昭和26年)に作られました。当時は町がスケトウダラ漁で栄え戦後の復興が始まった頃で、商工会議所が町に創られた年でもありました。

作詞は日本芸術院会員にも選ばれた俳人・荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)で、作曲は童謡からクラシックまで幅広いジャンルの作曲を手掛けた団伊玖磨(だん・いくま)です。カレーの日のイベントで、成田さんが紹介した童謡「ぞうさん」のメロディも作った作曲家です。

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帰厚院(3月4日)

著名な団伊玖磨が岩内西小学校の校歌を作曲したのは、なぜか?詳細はわかっていませんが、アスパラガスの研究と生産を日本で初めて手掛けた岩内町出身の農学者・下田喜久三(しもだ・きくぞう)が三井財閥の総帥だった団琢磨(だん・たくま)と親しく、その縁で琢磨の孫の伊玖磨が作曲に関わったのではないかという見方があります。

岩内西小学校にはかつて、歌手の中島みゆきさんも在籍していました。きっとこの校歌を歌ったことでしょう。

岩内町立岩内西小学校・校歌

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□作詞:荻原井泉水/作曲:団伊玖磨

1.岩内山は 雪の日も 若葉したたる 夏の日も
朝はかがやく 太陽の 高い心 もちましょう もちましょう

2.岩内町は 港町 浪立つ海の ふところに
夕べはともる 灯台の 明るい もちましょう もちましょう

3.日本海は まっさおに はばたく翼 まっしろに
すがた逞(たくま)し かもめどり 舞い立つ心 もちましょう もちましょう

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岩内西小学校の校舎と校庭(岩内町ホームページより)

去る人、来る人

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「あら~、きれいな顔しているね~」
「これ、出すの大変なんだわ」
「うちはもう、おひなさんとお内裏さんだけ…ここ何年も」
「やっぱり段飾りはいいね」

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校歌が歌われた3月4日、帰厚院にはひな人形も飾られていました。これらの中には檀家から寄進されたものもあり、参加した人たちが、段飾りされた人形の顔を一つ一つ眺めながらおしゃべりをしていました。

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来場者を見送る成田さん(右)

(成田さん)
「人口が減って、檀家さんも札幌や本州へ散らばってゆく流れなんですけど、地元の人が、おじいちゃんやおばあちゃんや子どもたちが何気ない会話を交わして、笑い合ってくれる姿が好きなんです」

「きょうも高桑さんというおじいちゃんが初めて来てくれたんですが、事前に電話をいただいていたんです。『俺みたいなもんでも、行ってもいいのかい?』って。『もちろん、どうぞどうぞ!』とお話して来ていただきました。去る人、来る人、様々ですね」

3月20日はお彼岸の中日でした。

帰厚院では、冬の間、閉められていた本堂の正面玄関が開き、春彼岸法要とおとき(食事会)が行われて、檀家が久しぶりに集いました。

・・・

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帰厚院で行われた春彼岸法要(3月20日/画像提供:帰厚院)

お寺さんが日常から遠い存在になって久しくなります。“葬式仏教”と揶揄(やゆ)される時代に檀家離れや墓仕舞いが進んでいます。そうした中、「カレーライス」を誰彼なく一緒に食べて、高齢者も子どももお父さんもお母さんも同じ時間を過ごすことで、その存在意義を問うお寺があります。

お寺は怖いところなのか?葬式の時にしか行かなくなってしまったところなのか?そもそもお寺の役割は何か?北海道の人口1万人余りの小さな町で、ある寺院が試みる地域のつながりを考えます。

*この連載は、帰厚院の催事や活動に合わせて、今後も不定期で出版してゆきます。
◇文・写真: HBC油谷弘洋

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