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俺はもう死ぬんだ ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第3話)ホームレスを支援する元ホームレス・その1

  • 2024.3.20
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路上生活者はこの十数年で減り、街角でも見かけることが少なくなりました。そ の一方で、車の中やインターネットカフェを転々としながら暮らす人が増え、生活困窮者の実態が見えにくくなっています。ハウスレスという言葉をご存知でしょうか?ホームレスとハウスレスの違いは何でしょうか?

生活困窮者がそうした暮らしを続ける理由は多様です。経済的な問題だけではなく、家族や職場とのトラブルから居場所をなくして孤立する人、障害や精神疾患があって社会への適応が難しい人、依存症になって治療を要しながらもその伝手を得ることができない人、一旦は生活保護の受給を得てもまた路上に戻る人など様々です。

冬には-10℃を下回る厳しい環境の札幌で、ホームレスの人、ハウスレスの人、彼らを支援する人…。この連載企画では、それぞれの暮らしと活動に向き合って、私たちのすぐそばで起きている貧困と格差の今を考えます。

→前回:【第2話】怖くて怖くて。 ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第2話)ホームレスもハウスレスも経て…

強きをくじき、弱気を助ける

Sitakke
(イメージ)

「お兄さんがやられていると、弟が必ずリングサイドから分け入って、助けるんです」

ゆっくり、一つ一つの言葉をかみしめるような口調の島田省治さん(59歳)は、子どもの頃、プロレスをテレビで見るのが楽しみでした。中でも当時、「ザ・ファンクス」のリング名で兄弟タッグを組んでいたアメリカ人プロレスラー、テリー・ファンク(1944~2023年)を尊敬していました。

「強きをくじき、弱気を助ける姿が格好良いんです」

Sitakke
島田省治さん(59歳)

そう話し始めた島田さんは、かつてホームレスでした。その後、一転してホームレスを支援する側になり、紆余曲折があって今、生活保護を受けながらも、ホームレスやハウスレスの支援にどのように関わるのが当事者のためになるのか、模索しています。## 国家公務員、ギャンブルにはまり…

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島田さんは、北海道北部の山あいの小さな街、中頓別町(なかとんべつ・ちょう)で生まれ育ちました。時代は昭和の高度経済成長の真っただ中でしたが、その恩恵を感じた覚えはあまりなく、自宅に風呂がなかったため、歩いて40分かかる銭湯へ通うほどでした。

「冬は辛くてね、帰りが。-20度の雪道を歩くんですから。せっかく温まったのに、家に着いたらガタガタ震えていましたよ」

地元の高校を卒業した後、堅い仕事に就こうと国家公務員試験を受けて合格しました。配属先は札幌にある国の出先機関の省庁で、同時に大学の夜間部にも通い始めて、学びながら働く公務員人生をスタートさせます。

29歳で霞が関の本省に出向して早朝から翌日未明まで働き、「ニッポンを動かしている一員(本人談)」と感じたこともありました。時はバブル経済の余韻が残る90年代前半のことです。プライベートでも、出向の直前に結婚してマンションを買い、翌年、長女も授かりました。順風満帆の日々で、親族の中でも自慢の存在でした。

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しかし逆風にさらされるまで、時間はかかりませんでした。知り合いに誘われて始めたパチンコや麻雀にはまり、パチスロも知って、一度につぎ込む金がそれまでの数千円から一気に数十万円単位に増え、借金をするようになりました。

その後、40歳で離婚して、ギャンブル漬けの日が続きます。当時はサラ金が簡単に金を貸してくれました。しかし高金利で、例えば1万円を借りても、金利で半分近い額を差し引かれました。「だから、当然のように闇金にも手を出してしまって(本人談)…」、返済の取り立てが激しくなり、給料も差し押さえられるようになって、国家公務員としての職を辞することになりました。43歳の時でした。

ホームレスの日々

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それから離職者支援の貸付金で何とか食いつなぐ日を続けます。しかしその時もギャンブルを断ち切ることはできませんでした。45歳の年にその貸付金も得ることができなくなり、麻雀店などで働きながらその日暮らしを続けます。そうして得たわずかな稼ぎもギャンブルにつぎ込み、遂には路上で寝泊まりする身となっていました。46歳でした。

「夜はビルの地下などに潜り込んで横になっていました。2月の最も寒い時期で、ほとんど眠れませんでした。おなかがすいて、スーパーの試食コーナーで食いつないでいたんです。深夜まで営業しているゲームセンターで、ゲームするふりをして時間を過ごしたりしていました」

「退職した時は自己破産するつもりでした。でも、妹が助けてくれたんです。借金の一部を返済して連帯保証人になってくれて、離職者支援の貸付金を一時得ることができたんです」

「でも、それからもダメダメで、ホームレスになってしまったんです」

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北海道北部の小さな町から国家公務員になり、霞が関でも働いたエリートが、一転、ホームレスとして辛酸をなめることになりました。

「俺はもう死ぬんだろうな」

島田さんはぼんやりと覚悟しながら、その日のねぐらを探す身となりました。

その路上生活で、後の人生を左右する出会いを迎えることになります。

◇文・写真 HBC油谷弘洋

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Sitakke
「夜回り」をする支援者(札幌市・1月)

*このシリーズは今後も不定期で連載してゆきます

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